三度目の、魔力の本流。
闇に抗うわたしの輝きと柊の結界を重ねても肉を裂き心を萎えさせるそれに、エードラムの肩が深く傷を受けました。
最早我々の中で無傷の者は居らず、結界を張るだけで魔力が失われていきます。
何とかしなければ、全員死ぬ。
わたしは、身にヒビが入る音を聞いたような、気がしました。
「あっ!」
わたしとエードラムの背後で、柊の悲鳴が聞こえました。
一体何だとセンサーをそちらに向けようとしたとき、視界の端を赤い影が走り抜けたことに気付きました。
その影は闇の魔力の中に突っ込んで、驚くべき速度とパワーで魔力の渦を引き裂き突破しました。
わたしの、勇者。
止める間もなく、わたしの勇者の硬く握られた拳が最早猫とも言えぬ形状になっている魔の者の身に埋め込まれ、その衝撃にか魔力にかスカーの立っていた壁がハンマーでも食らったかのように粉砕されました。
「死なっ、ない!」
死なせないっ
そう叫びながら、再び振るわれた魔力を帯びた拳がスカーの頭部のほんの数ミリ隣を粉砕しました。
恐らくコンマ数秒、スカーの回避が遅ければその頭部は勇者の大きいとは言えない拳に叩き潰されていたでしょう。
それをダメージも感じさせぬ身のこなしで回避したスカーは、闇の魔力を槍のように細く長く収束させると連続でわたしの勇者に打ち出しました。
しかし勇者はやはり素手でそれを叩き落し回避すると、腕から流れる血はそのままに再びスカーに肉迫しました。
その速度は最早、わたしのセンサーでも追うのがギリギリなほどで。
『す、凄い……』
「さ、流石は太古の勇者」
「馬鹿野郎!」
押し付けられた悠輝を抱えなおしながら呆然と呟くガーラハドに同調すると、それを叱咤したのはエードラムでした。
「あんな戦い方してたら潰れるに決まってんだろうが! あの馬鹿、全身から魔力噴き出してやがる!」
「あれでは、魔力管がズタズタになってしまいますっ」
戦闘に加わろうと反射的に駆け出したエードラムは、しかし襲い来る闇の魔力と光の魔力の混ざり合った衝撃に押し流されてたたらを踏むしか出来ませんでした。
危く弾かれそうになったわたしも、ただ見つめるしか出来ません。
柊が言うようにあれではいずれ失血と魔力管の使用過多で身体か精神がダメになってしまうかもしれません。
けれど、でも、ではどうやって止めればいいのか。
止めたところで、何が出来るというのか……
悩むわたしがそれに気付いたのは、再び突入をしようと自分の身の回りに結界を張ろうとしたエードラムがわたしを脇に抱えなおした時でした。
視界の端でうっすらと光を放っていたそれは、わたしの勇者が持っていた太古の本、でした。
まるで勇者の魔力に反応するように明滅を繰り返す太古の本は風でページをパラパラと自動で泳がせていて、そのどのページにも魔力が宿っているのが目に見えたのです。
太古の本。
太古の方々が魔力を持つ字で直接記した、それ自体が莫大な魔力を秘める伝説の書物。
それを見た瞬間、わたしはひとつのひらめきを得ました。
『我が勇者よ!! スカーを倒してください!』
「!」
「おいっ!」
『大丈夫です! そのまま、殺してしまってください!』
「バルッ!?」
エードラムが、ガーラハドが、柊が、驚愕しわたしを咎めるように視線を向けます。
スカーを殺せと言うという事は、エードラムにも死ねと言っているのと同じ意味を持っているというのは流石のわたしにも分かっています。
けれどそれだけではない。それだけでは、ないのです。
魔力を放ちながら一度後退した勇者の視線が、わたしに向けられました。
表情はなく、血塗れの顔にあるのは困惑と、ある種の決意。
『大丈夫です、わたしを信じてください』
その目に向けるように、今度は静かに、わたしは言いました。
途端に視線を外されたのは、それ自体が返答だったのでしょうか。
勇者は着ていたジャケットの裏に隠し持っていた銀の短剣を抜き放つと、再びスカーに相対しました。
『愚かななまくらが! 我を殺せると思うておるのか!』
『愚かはお前です。我が勇者はお前になど負けはしないっ』
『言わせておけばっ!』
膨れ上がる闇の魔力に、反射的にエードラムが柊の傍に退避をしました。
彼が間に割って入って魔術が放たれる勢いを削いでも、普通の人間にとってはスカーの魔力は一撃必殺のもの。
一人で防げるものではないのです。
しかしこれはわたしにとっては僥倖でした。
『エードラム。その本を拾いなさい』
「あぁ? これか」
『そしてそれをわたしと重ねて、胸に抱いたままで居てくださいっ』
わたしの声はエードラムに聞こえたのでしょうか。
襲い来る闇の魔力の激突に膝をついたエードラムは、本を抱え込むのに精一杯といった表情でした。
最早柊も立っていることが出来ず、ガーラハドと共に悠輝を抱え込むようにして守るのが精々で。
それでも、わたしは最奥から引きずり出してきた過去の知識を全身に行き渡らせながら、闇の魔力の向こうで戦う彼に視線を向けておりました。
我が勇者。
今尚心折れず、わたしを信じて刃を振るう勇気ある者。
わたしはあなたのためならば何でもしてあげたかったけれど、身体を持たぬ存在では何も出来なくて幾度臍を噛んだことか。
だから、せめて、出来る事があるのならば存在をかけてでも達成をしなければならないのです。
ひとつでも、あなたのために出来ることがあるのならば、何だって。
「くっそ……!」
血反吐を吐きながら、エードラムが本ごとわたしを自分の胸に抱きました。
そうすると、本を挟んでいるというのにエードラムの心臓の音が確かにわたしに流れ込んで来るような錯覚に囚われます。
それにしても、あぁ、太古の本の魔力の何とあたたかな事か。
知らぬというのにまるで母の腕に抱かれているようなそのあたたかさに、わたしは存在しない腕を、本に向けて伸ばしているような感覚に陥りました。
太古の人々は、人間の救いになるようにとわたしをお創りになられました。それを考えると、わたしにとってはこの本は母なる御手の一部であるのかも、しれません。
また放たれようとしたスカーの魔術を、わたしの勇者が懐に飛び込んで相殺しているのが視界の端で見て取れました。
しかしその勇者の身体は血で塗れ、最初に穿たれた腕は最早だらんと下がり勇者の動きと共に情けなくぶらぶらと動くばかり。
見ていられなかったのか、エードラムがわたしの柄をとって駆け寄ろうとしました。けれどその足は踏み出される事はなく、闇の重圧に負けてガクリと膝を折るだけで終わりました。
闇の魔術はエードラムの魔力管を通ってスカーによって放たれているために、その負荷はエードラムただ一人に掛かっているのでしょう。
魔力管と魔力の源を切り離す事で自分に負担を及ぼす事もなく強力な魔術を連発するだなんて、人間では考えられないことです。
しかし、魔力の源が別にあり、それが命の根幹であるというのなら……
『エードラム、本を離さないで下さいね』
「何を……する気だ」
『さぁ、なんでしょうね』
それはただの賭け、でした。
存在自体が魔力の塊である魔王は、魔力の源を失えば消滅する。
けれど今のエードラムは魔王でありながら人間として生きると決断した者でもあり、柊の渡した魔力回復薬のお陰で角という魔力の源以外でも自らの肉体を構成させる事が出来ている。
しかしそれでも、魔力の源が存在している以上は、魔力の源が消失すれば、彼は道連れにされて死ぬ……
ならばスカーが完全に消滅し、エードラムが完全に人間となるまでの間命を繋いでやれる、別の魔力の源を用意してやればよい。
わたしは、太古の人々に刻まれた記憶の中から魔術文字に命を吹き込む魔術を、引っ張り出しました。
「!!」
驚愕に、エードラムが身体を震わせます。
元々わたしは対魔物用兵器であり、持ち手の魔力に反応して自らの刀身に対魔物用の魔力を帯びさせる能力しか有していない存在です。
しかし、持ち手の魔力に反応する事が出来る機能のお陰で出来ることが、あるのです。
「バルィ!」
私の勇者の声が、聞こえてきました。
あぁ我が勇者よ、貴方がこんなにも声を荒げるところを、わたしは一度も見たことがありません。
そう、一度もです。
貴方は今まで幾度戦いを経験しても、悲しみの慟哭すらも上げませんでした。
それでも、我が身を案じ声を上げてくださいますのか。
――何と、嬉しいことなのでしょうか。
エードラムの闇の魔力と、太古の人々の光の魔力。
相反するふたつの魔力に反応を返せば、恐らくわたしは無事ではいられぬ事でしょう。
わたしを掴んでいるエードラムの闇の魔力を吸い出して、わたしに触れている太古の本の魔力と同質のものへと変換をさせる。
それが、わたしがこれから行おうとしている賭けで御座いました。
わたしの中に記録されている様々な魔力への対応手段。
その中のひとつに、闇の魔力に汚染された大地を浄化していくためのプロセスが残っていることを、思い出したのです。
それは単純に泥水の中に真水を延々流し込んで徐々に透明度を上げていくような、気の長くなるような手段です。
しかしエードラムの魔力と太古の本とを共鳴させる事が出来たなら、太古の本が彼の魔力の源の代わりとなってエードラムが生き延びられるかもしれません。
出来ないかも、しれません。
けれど、出来ない可能性に怯えている場合ではないのです。
我が勇者がずっと、ほんの小さな可能性に賭けて戦い続けていたように、わたしだってこの身を投げ打ってでも先へ進まなければならないのです。
ビキリと、硬い物にヒビの入る音が聞こえた気がしました。
それが身の内から発せられているのか、それとも違う所からなのか、それはわかりません。
我が視界に入るのは最早太古の本から発せられる白い輝きと、エードラムの逞しい腕のみでしたので。
あぁ我が勇者よ、誇らしく御座いました。
貴方と戦ってきた日々は、貴方の腕にあった日々は、わたしにとっては何よりも誇らしい日々でありました。
貴方がわたしを信じて戦ってくれたことは、何よりも喜ばしい事実でありました。
ただ、惜しみます。
今一度貴方の笑顔を見たかった。
今一度、貴方の名を呼びたかった、のですけれど