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第24話 ③

『わたしは再三お前に魔王へ戻り同化せよと申し伝えてきた。お前は、拒んだがね』

「ったりめぇだろうが。テメェみてぇなのと一緒になるとか気色わりぃ」

『人間となることのほうが、屈辱だと思うのだがね?』

「言ってろ」

 理解が及んで、きました。

 スカーがエードラムを狙ってきた理由は、再び肉体を得るため。

 しかしすでに勇者と親しく、家族になっていたエードラムは再び闇の世界へ戻る事を拒み、その結果スカーは実力行使に出たのでしょう。

 けれどそもそもの魔力を失っているエードラムが、自分の魔力そのものであるスカーに勝てるわけがありません。

 失敗した、と、柊が呟くのが聞こえました。

 わたしも同時に同じことを考えて、おりました。

 エードラムが昨日までしていた修行は魔力を取り戻すための修行であり、身の内の魔力を強化するための修行。

 ですがそれは、結果的に魔力タンクとも言えるあのスカーを強化することにしかならなかったのです。

 勇者の膝が折れ、柊に支えられました。表情の変わらぬその顔にあるのは、はっきりとした絶望、でした。

 勇者に残されているだろう唯一の感情は、悲しみ。

 その悲嘆の全てを身に抱き、どうしようもない絶望に苛まれているだろう勇者の手から、太古の本が虚しく音をたてて、落ちました。


『愚かなりや太古の勇者よ。貴様は最期まで虚しく我に抵抗しながら魂そのものまで消滅をするのを待つだけなのだ』


 猫の姿とは思えぬ重圧で高笑いながら、スカーの全身から黒い魔力が放たれました。

 わたしを持つエードラムと盾持つガーラハドがそれを弾きますが、しかしそれだけで全てを払いのけられるような量ではありません。

 柊が結界を張っても魔王の魔力はガラスに濁流でもぶち当たったかのような音を立てて結界を苛み、あまりの重さに絶句をするしかありませんでした。

 エードラム単体の放つ魔術はここまでの重さは持っていませんでした。

 わたしの勇者の結界で弾ける程度、わたしの刃で切り裂ける程度。

 その程度であった魔力が、太古の秘薬によってエードラム本人の魔力管が全開になっているというだけでここまでの重みを持つとは、流石のわたしも想像もしておりませんでした。

 人間の魔力管とは根本的に異なる魔物の魔力の源。

 その意味を身体に刻まれたような心地になります。

「……そう何度も、弾けない」

「参ったなぁ、こりゃあ」

 柊の結界に退避しつつ、ガーラハドが魔力で砕かれた盾を捨てながら苦笑しました。

 ガーラハドの盾が砕かれるなど、わたしは今まで見たこともありません。

 それほどまでに強力な魔力。

 それを絶つには、その源を根絶するしか、ありません。

 しかしそれは結果的にエードラムの死を意味します。

 エードラムが死ねばループが起こり、あと数回か猶予も無いそれを繰り返せば、わたしの勇者が消滅する。

 八方塞がりすぎて、泣きそうです。勝てる見込みが無さ過ぎて、希望が見出せない。

 これを、若者言葉で「無理ゲー」というのでしょうか。

『エードラムよ、我が器に戻れ。さすれば、其処の者たちの命くらいは助けてやろう』

「はっ……よく言うぜ。どうせ今日は助けても明日には殺す、とかそんなんだろうが」

 エードラムも、それは分かっているのでしょう。

 じっとりと手に滲んだ汗で柄が滑り、何度も何度も握り直しています。

 こうなると、エードラムが人間のままループを脱却する方法はひとつ……このままループし続けて、わたしの勇者の消滅を待つしかありません。

 勇者が消滅すれば契約者不在による不履行が発生し、ループは消失することでしょう。

 恐らくは最近の勇者が狙っていたそれは、しかし絶対に受け入れられないものでもあります。

 けれど他にループを抜ける方法は、ありません。

 ループの時間軸の中で生活をしていてもその世界自体の時間が進むのかも分からず、何年何十年を過ごせても彼等に寿命が来ればまた全てをやり直させられてしまう、終わりの無い世界が待つ事になります。

 そうして、結局は契約者たるわたしの勇者が消失し終わるのを待つしかない……結果は、同じです。

「僕、が……」

 スカーの魔力が止まるのとほぼ同じタイミングで、濁流を光の無い目で見詰めていた彼の唇が震えました。

「僕、が……願わな、ければ……」

「おいっ」

「わたし、の……せい……」

 わたしの勇者の腕の中の小さな身体はピクりとも動かず、傷が穿たれた勇者の腕からはまだ血が流れ続けています。

 これでは恐らく時間が経てばどちらの命も危ない。

 傷を侵食する闇の魔術は、生きる力すらも奪いじわじわと生命を脅かし始めておりました。

 しかしそれ以上に、絶望に塗られた勇者の表情からは生気が薄れつつありました。

「お前の、じゃねぇだろ。あの家に住むのを決めたのはオレだっつーの」

「…………」

「冗談じゃねぇ。オレはお前等と暮らすって決めたんだ。人間になるって決断をするにも時間が掛かったつーのに、また戻って来いとかふざけんなっつんだ」

 来週は悠輝の保育園のお遊戯会があるだろうが、みんなでちゃんと見に行くって約束した。

 お遊戯会で悠輝はお姫様の役を射止めたんだ。まぁ、女子はみんなお姫様役なんだけどな。

 作り置きの飯をとっとと食わないとテーブルの上に置きっ放しだからダメになっちまう。

 この間貰った取って置きの菓子をまだ少しも食ってねぇんだから戻らないわけにはいかない。

 まるで再確認をするように、エードラムの言葉は未来についてを話しながら止まりませんでした。

 そのひとつひとつはとても小さくて、とても素朴なものでしかありません。

 しかしそのどれもが希望に満ち、やりたいという願いで覆われておりました。

「知ってるか、おい。悠輝のやつお絵かきの時間にお前とオレを描いたんだってよ。お遊戯会のときに保護者にお披露目で、その後持って帰っていいんだってな」

「ははは、そりゃあ是非とも見ないと勿体無い」

「羨ましいですね。我々も描いて欲しいくらいです」

 壊れた篭手も捨てて槍を持ち直しながら、ガーラハドが笑いました。

 わたしの勇者の肩を支え杖を握りなおしながら、柊も笑いました。

 忌々しげに鼻の頭に皺を刻むスカーの喉からおぞましい声が上がり、しかし誰もがそれに少しも怯みませんでした。

 希望を持てるのは人間の特権。

 未来を夢見るのもまた、人間の特権。

 それを知った以上、エードラムを引き戻すものも、我々を止めるものも、最早ありませんでした。

『下らぬ人間風情が! よかろう、また絶望だけの過去へ引き戻してやるっ!』

「猫の姿で言われてもなぁ? 可愛いだけだぜ、ネコちゃん?」

『消えよ!!』

 再び、スカーの背におびただしい量の魔力が渦巻きました。

 それを見詰めながら、わたしはひたすらに己の中に存在する太古からの記憶を検索し続けておりました。

 エードラムが死ななくていいように、わたしの勇者が消えなくていいように、スカーを倒せるように。

 そんな都合のいい呪文も武器も存在はしているはずがないのですけれど、それでも、神とも呼ばれた方々に縋りたくてたまらなかったのです。

 彼等は絶望しか抱けなかった人間に希望を与えました。

 勇気を奮い立たせた者たちに武器を与えました。

 今また、この世界の端っこで絶望に包まれているわたしの勇者を守る希望を下さいと、そればかりを願っていました。

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