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第21話 つながれたて

「前後は……一日」

「前倒しもありなのか」

 頷く勇者に、エードラムの表情が引き締まりました。

 勇者の指差した日付はあと三日の先。

 けれど前後一日が今まであったという事は、短くて二日、長くて四日程度しか猶予がないという事になります。

 オマケに、今までも前後があったという事は今回も同じ日付で来るとは限らないという事……

 もしかしたら、明日突然襲撃を受けることだってあるかもしれないのです。

 エードラムはまだ、魔力を取り戻したとは言えません。

 取り戻せるかも分からないのですけれど、戦いの準備が万全であるとは言えないのです。

 けれど、それでも、戦いの日は来ます。

 それは決して、避けられないのです。

「スカー……か」

『どうしました?』

「いや、そんな名前の奴居たかなと思ってよ」

 エードラムは、難しい顔をしたままリビングの中をぐるぐると歩き回り始めました。

 手にコーヒーを持ったままでありますので少しばかり行儀が悪いのですが、深く考え込んでいるらしいエードラムを止める気は起きません。

 スカーという名前の魔王は、わたしも聞き覚えがありません。

 わたしの中にあるデータベースには名の知れている魔王の名前はある程度入っているはずなのですが、その名前のデータはないのです。

 エードラムも自分で知る限りの記憶を掘り返しているようですが、やはり知らないらしく眉間に深く皺を刻みます。

 スカー。

 傷を意味するたった三文字の短い名前だというのに、やけに遠い存在のように感じてしまいます。

「なぁ、おい。何でオレらには記憶ってもんが残ってねぇんだ?」

 苦々しい表情で、不意にエードラムがそんな事を言いました。

 勇者も不思議そうに顔を上げ、わたしもついついエードラムに意識を向けます。

「お前と柊はちゃんと覚えてるくせぇのに、何でオレ等には過去の記憶が残ってねぇんだ? もうちょっと覚えてれば、色々対策とれたかもしれねぇのに」

『そういえば、そうですね……』

「もどかしすぎんだろ、こんなのはよ」

 言われてみればその通りです。

 彼の場合はループを引き起こした張本人であるから、という名分があるかもしれませんが、それだというのならエードラムだって記憶が残っていておかしくはありません。

 反面、柊はきちんと覚えているのですから不思議です。

 彼の場合にはもっと早くにループに気付いていたのでしょうからその影響かもしれませんが、それであるのならばもう一度ループが起きたら我々も覚えている事が出来るのでしょうか。

 いえ、ループは起きないにこしたことはないのですが。

「……やり直すから」

 はて、と首を傾げていると、独り言を言うように勇者が小さく呟きました。

「やり直すって、人生をってことかよ?」

「全部……その全て……気持ちも、生活も……」

 やはり、勇者の言葉は返事にはなっていません。

 しかしその言葉は確実にエードラムへの返答となっていて、エードラムは鼻の頭にぎゅうと不快そうなしわをたっぷりと刻みました。

 全てをやり直す。

 気持ちも、生活も。

 勇者のその言葉はとても重く、耳に痛いような気分になりました。

 わたしの勇者が言いたいのはきっと、ループして時間をやり直す時にエードラムの気持ちもやり直しをさせるため、という事でしょう。

 記憶を残して最初から家族になるための準備を完了してスタートをするのは簡単だったのかもしれません。

 それによって敵への対策を万全にして挑むというのも、出来ないことではなかったのかもしれません。

 けれどわたしの勇者はそれを選べなかったか、選ばなかったのでしょう。

 それが何故であるのかは分かりませんが、少なくともこのループにおいてはエードラムとの関係性もやり直して、その上で一緒に居る事を選べるかが肝要だったようです。

 その間に情が芽生えればよし、芽生えなくてもそれはそれでよし、だなんて、全てを覚えている勇者にとってはある種拷問のようであったのではないかと思います。

 しかし、エードラムに新たな人生を与える以上は必要なファクターであったのだという事も、なんとなしには理解が出来ます。

 全てを知った上での過去へのループなどというものは、流石に反則過ぎるでしょう。

 だからこそ、記憶を持って戻れないという足かせが必要だったというのは、太古の人々の性格上納得がいく話です。

「オレが、ここで暮らさない事ってのはあったのか?」

 流石にそれには、勇者は返答をしませんでした。

 柊の言葉を信じるならエードラムは一度わたしの勇者を、しかも一緒に暮らした上でその手にかけているのですから勇者とエードラムの関係が良好ではなかったループというのも確かに存在していたのだと推察が出来ます。

 それをわたしの勇者に問うのは、ちょっと残酷すぎやしないでしょうか。

 しかし勇者に問いかけるエードラムの目は真剣で、少しばかり視線を上げた勇者が思わず視線をはずしてしまうくらいには、真っ直ぐでした。

「こっち見ろ、おい」

「…………」


「ったく、頑なだなお前は……あのよ、オレは今、正直お前が好きだとか嫌いだとか、そんな気持ちは一切ねぇんだわ」


 何を言い出すのでしょうかこの男は!

 ピクリと指だけ反応を返した勇者を見て、私は背中に冷たいものが走ったような心地がしました。

 デリカシーがない男だというのは分かっていましたが、まさかこれほどであったとは!

「でもな、お前が死ぬのは、やっぱ嫌だわ」

  殺しちまうのも絶対ごめんだ。

 きっぱりと言うエードラムに、勇者の視線がわずかに上がりました。

「オレは今、お前の知ってる"前"のお前よりもずっと短い時間しかお前といねぇんだろうな。だから、まだ近くない。でも、近付きたいって気持ちは確かにある。なんだろうな? こりゃあ、お前が知ってるモンなのか?」

 テーブルに座って、勇者の目を真っ直ぐに見て、エードラムが問います。

 それでも変わらず、勇者の表情には一切の変化も見えません。

 顔色も、視線も、ただぼんやりと目の前に居るエードラムを見詰めているだけで、感情の揺らぎすらあるようには見えませんでした。

 けれど、ゆっくりと伸ばされた手がエードラムに触れ、自分のものよりも幾分か分厚く、ずっと大きな手に重ねられるのが見えました。

 言葉もなく、感情も揺れず。

 けれど確かに何か意味のあるその動作に、エードラムが口角をニィと押し上げて笑いました。

 結局その日は何の収穫もなく、会話というものにか、それともエードラムの軽口にか、ずっしり疲れてしまったらしいわたしの勇者が燃料が切れたようにうとうとと舟をこぎ始めたためにそのまま話は終了となりました。

 わたしは少し考えてわたしの勇者の出してくれた資料を柊へ送り、何度も何度も文面を読み返すことにしました。

 勇者の作った資料はほとんどアンノウンでしたが、スカーの使ってきた技や、今までの姿なんかはメモ書き程度には記録がされています。

 属性に囚われぬ多彩な魔術に、鉄板すらも打ち砕くパワー。時にわたしの刃すらも弾き返す肌など、まったくとんでもない性能の持ち主です。

 それでも、打ち倒すことに成功したことは少なからずあったと記載はあります。

 残念なことに、最期っ屁のようにエードラムを道連れにされたようですが……忌々しいことです。

「おい、ソファで寝るんじゃねぇ」

 柊からの返信を待ちつつデータを確認していると、完全にソファで寝入ってしまったわたしの勇者をエードラムがつつき始めました。

 元々あった眠気に疲労が重なってしまったのでしょうが、ぐっすりと寝入ってしまっていて起きる気配がありません。

 起こすのもしのびないのでこのまま眠らせておいてあげたいのですが、こんな所で寝ていては風邪をひいてしまいそうです。

 この大事な時期に風邪でダウンだなんて、そんな情けない敗北の仕方は流石に問題です。

『エードラム』

「へぇへぇ」

 仕方なく、エードラムが勇者を横抱きに抱え上げました。

 眠りによってぐったりと身体の力の抜けている勇者はとても抱き難そうではありましたが、頭を自分の首で支えるよう抱えて抱き寄せるようにして抱えてやると安定したのか、ひょいと抱え上げて階段を上がっていきました。

 もっとゆっくり眠らせてあげたいのですけれど、それはきっと全てが終わるまでは無理なのでしょう。

 全てが終わった時に対価として差し出したものが戻ってくるとは思えないのですけれど、しかしほんの少しでもいいので戻ってくればいいと思わないではいられません。

 穏やかに、何も心配せずに、家族たちと一緒に眠ることが出来たなら。

 そうは思うのですけれど……思うだけなのですけれど……

 ふぅ、と無い肺からため息を吐き出すと、パソコンにメールの着信音が軽やかに鳴りました。

 柊からの返信です。

 開いてみると、その返信は実に短く、しかし重々しいものでした。


『スカーは存在しない魔王、か……』


 柊すらも知らない魔王。

 それはつまりは、「存在しない存在である」という事。

 太古の剣であるわたしも、太古の勇者であるあの人も、魔王そのものであるエードラムも、全てを知ると言われている賢者である柊すらも知らない魔王。

 存在しないけれど確かに存在している、もの。

 胸の中がざわざわとして、とても嫌な心地がして、わたしは無言でメールを閉じ、パソコンの電源を落としました。

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