『……少し前、柊に会いました』
「そう」
『話を、聞いて参りました』
「全部?」
『……はい』
「そう」
彼の返答は、それだけです。
だから何だと言いたげなその眼差しは、もしかしたらすでに我々が柊に話を聞いていた事を察していたのかもしれません。
そうなのだとしたら、随分と淡白な反応ですが……
「それで?」
『え?』
「それで、どうしたい、の」
どうしたいの、とは、どういう事なのでしょうか。
コーヒーの湯気を吹きつつこちらに視線を向けるその人は、勇者は、美しい
あえて表情に出さないようにしているのか、それとも本当に何の感情の動きもないのかは、わたしにはわかりません。
勇者がどこまで感情というものを失っているのかも、わからないのです。
正直な話、わたしはこの話を勇者に振ったときにもっと動揺するのではと思っておりました。勇者が我々の行動の全てを察していたとしても、何らかの反応があるのではないかと、そう思っていたのです。
しかし勇者の反応はいたって淡白で、興味がない話を振られたかのような態度でしかありません。
その反応には逆にわたしの方は戸惑ってしまいました。
『……貴方にも、彼にも、死んでほしくはありません』
「出れない、から?」
『ループがなくとも、です』
「本当に、全部、聞いたんだ」
わたしがループという単語を出すとやっと、勇者は少しだけ反応を返しました。
柊は口が軽い、とも呟いて。
『わたしに出来ることは、ありませんか……我が勇者よ』
「ない」
『ひとりで戦うおつもりか?』
「さぁ」
勇者の返答には抑揚もなければ内容もありません。
わたしには何も言えないという事なのか、全てを自分でやろうとしているという事なのか。
恐らくその両方を含んだその短い返答の意味を察してセンサーを向けると、勇者は本当に少しだけ、よく見ていなければ分からない程度に小さく小さく、口の端を上げました。
それはきっと、今のこの人が出来る精一杯の微笑だったのでしょう。
時間を戻すために自分を差し出したこの人に出来る、唯一の感情から出た、表情だったのでしょう。
「心配、しなくても、多分、もう少しで、終わる」
『終わる? 勝つということですか?』
「逆。もうすぐ、僕はきっと、消える」
『……消える?』
「綻びが起きた。君たちが気付いた。それはつまり、僕が薄れてるという、事」
長い言葉を紡ぐのが辛いのでしょうか、勇者はゆっくり、区切りながら話をしました。
思えば、この人と長い会話をしたことはあったでしょうか。
いえ、あったはずです。
しかし今、今回は、彼とそこまで長い会話をしてはいなかったように思うのです。
勇者はいつも一言二言だけ言葉を返し、あるいは無視をして、会話自体をしていなかったのではないかと思い至りました。
それは勇者が無口であるから、無感情であるからとわたしは思っておりました。けれどもしかしたらそれは間違いであったのかもしれません。
わたしの勇者は、もしかしたら、それすらも……会話を続けるという、それすらも……
「聞いたん、でしょ、柊から。対価」
『えぇ……』
「対価は、そのうち尽きる。差し出すものにも、その重さにも、限界がある」
『それは……』
「最後には、出せるものは、この命しか、ない」
柊は、この人の死が引き起こしたループもあると言っていました。
けれど、では、そのループのためにこの人の命が失われたのだとしたら、ループはどうなるのでしょうか。
その場合には、エードラムは……?
我々は、どんな世界を生きることになるのでしょうか?
「ちゃんと、彼が生きていられるようには、したいね」
『……貴方はもしや、そのために……』
「最期には、アイツを殺して、死にたいな」
あまりにも危なく、あまりにも切実なその希望を吐き出しながら、わたしの勇者はまた本当に小さく小さく、口の端を上げました。
アイツ、とは、わたしの想像が正しければ、エードラムを狙う別の魔王とやらでしょう。
自分の命を投げ出し刺し違えてもエードラムを生かしたいというのは、今の勇者の本心なのでしょう。
そこにはすでに希望と言えるものはそれしかなく、自分も生きたいという希望はすでに無いように聞こえました。彼と共に生きたいという、最初の願いさえも。
柊すらも知らないループを繰り返したのだろう勇者の気持ちは、もしかしたらこのループの時のエードラムの裏切りによって萎えてしまったのかもしれません。
もう駄目だと、諦めてしまったのかも。
愛すべき人を守るために自分を切り離し犠牲にしてきた勇者の心を折るには十分の出来事であったの、かも。
どうするべきなのか、どう反応を返していいのか、わたしはまた分からなくなりました。
そんなことはしないで欲しいと言いたいけれど、今まで幾度もしてやられてきた魔王を倒すためには生半可な気持ちではいてはいけないのだという事は分かります。
それはまさしく命懸けの願いで、命懸けの戦いなのかもしれません。
ですがやはり、わたしはわたしの勇者に死んで欲しくは無いのです。
勇者がループによってどんどんと自分の存在を失っているのだとしたら、消える前に何とか解決できればと、そう思うのです。
『その魔王とは、どのような者なのですか?』
「小さい」
『小さい、のですか』
「小さい。けれど、とても、大きい」
小さく、大きい。
相反するようなその単語の中にも何か得体の知れないものがあるようで、わたしは幾度かその言葉を繰り返し呟き、わたしの勇者を見詰めました。
太古の人間である私の勇者と、元とはいえ魔王であるエードラム。
そのふたりですら倒せなかった、小さく大きい、魔王。
「お前みたいなヤツだな」
話し疲れた勇者と、考え込むわたしと。
その合間に割り込むように、突然エードラムがドンとテーブルに手をついて現れました。