そして暫くは言葉をとめ、紅茶を一口飲んでからまた言葉を続け、彼等の身に起きた悲しい運命を語りました。
生活を共にしながら幸せに暮らしていた彼等のところに、他の魔王が襲撃してきたということ。
その魔王の攻撃から悠輝とわたしの勇者を守って、エードラムが命を落としたこと。
「貴方の死を嘆きに嘆いたあの子はその嘆きによって心を砕き、悲しみによって命を落とそうとしていたのです。しかしそれに気付いた大いなる力が……あの子の身に流れる血が、あの子を守るために動いた」
『あの人の身に流れる血、とは……』
「あの子はお前と同じなのです、バルィ。太古の戦いの終焉を見て眠りにつき、目覚めた者。何故あの子がお前を見つけることが出来たのか、疑問に思ったことはありませんでしたか? それは、あの子が元々貴方の存在と、貴方の眠っている場所を知っていたからなのですよ」
次に驚くのはわたしの番でした。
確かに、何故あの人がわたしを手に出来たのかと疑問に思ったことはありました。
しかし勇者本人が「偶然」とさらっと言っていたために、わたしはそれを疑ったことはなかったのです。
「……つまり、アイツも太古の人間?」
「そうです。眠っているあの子を見つけたのはガーラハドで、人間として生活出来るように見守ってきたのも我々です。だからこそ、あの子に近しかったからこそ……このループに気付いてしまったのかもしれない」
柊は続けました。
唯一残る太古の人間であるあの人の心が弱り死に向かおうとした時、あの人の唯一の所持品であったこの本が光を放ったこと。
そして、あの人が本に向けて悲しすぎる誓いをたてていたのを見てしまったことを。
「本に、誓い……?」
「本には太古の人々の意思が宿っています。具体的な力は流石に察することは出来ませんが、本自体が強力な魔術媒体であった事を、あの子は知っていたのかもしれません」
『その、誓いというのは、何ですか?』
「えぇ……至極単純な願いです。エードラムを生き返らせる事は自然の摂理に反することのため、太古の人々は許しはしない、ならば対価を差し出し過去をやり直す事でエードラムが生きるチャンスを与えたい。だから……」
自分を構成する一部を差し出すから、過去をやり直させてくれと、彼の勇者は願った。
柊のその言葉に、我々は詰めていた息を思い切り吐き出しておりました。
自分を構成する一部。それは、肉体である場合もあるでしょうが、恐らくはあの人の場合は違うものを差し出したのだとすぐに気付いてしまったからです。
我々が気付いた事を察したのか、柊も指折り数え始めます。
「最初は、財産でした。彼は持っていた太古のものを含めた財産を全て差し出して時間を戻しました。次は、感情。怒りという感情を、彼は失いました。三度目には、楽しさ。喜怒哀楽のうちの半分を捨てたのです。その次は、人間関係。目覚めてから今までで構築してきた人間関係を差し出し、あの子は友人と呼べる存在を全て失いました。五度目には、名前……恐らく、あなた方があの子の名前を忘れたのは、その影響です。そして一番最近には……喜びを」
指折り数える全てに、わたしは心当たりがありました。
家の中を探っている間に見つけた家の財産は、全て悠輝のものでした。
あの人が稼いだものもあったでしょうが勇者はその全てを悠輝のための通帳に入れておりましたし、私物と呼べるものは一切所持をしておりませんでした。
感情だって、なかった。
いつも固まった表情をして、声を荒げることもなければ何かに気持ちを揺さぶられる事もなかったのです。
友人関係も、わたしの知る限りはありませんでした。
太古の人間である彼の勇者にとっては、この時代の友人というものがどれだけの価値在るものであってかは分かりません。しかし、大学に通うあの人のことですから当然友人関係はあって然るもので、それがないというのはあまりにも不自然過ぎました。
そして、名前……あぁ、彼の勇者の名前は一体何だったのでしょうか。
わたしは彼の勇者を名前を呼んでいたのでしょうか。
彼の勇者の名前を呼んでくれる人は、他に居たのでしょうか……
「……そんなに、オレは死んだのか?」
「一度定められた運命を覆すことは容易ではありません。が、死んだのは貴方だけではありません。逆にあの子が死んだ事もありました。しかし、契約はあの子の死を許さず、予め制定されていた誓いによって時間を巻き戻したのです」
あの子の願いは、貴方と一緒に存在する事でしたから。
そう呟く柊に、わたしは沈黙をするしか出来ませんでした。
それはあまりにも当然で、あまりにも悲しく、あまりにも切実な願いであったからです。
愛した存在と一緒に暮らしたいと願うのは、人間であれば当然の感情であるはずなのに、どうしてあの人の場合にはそれがこんなにも難しいものになってしまったのでしょうか。
自分を犠牲にしてでも、自分の精神を削ってまで魔王エードラムと居たいと願う彼の勇者は、ループのたびに何を思ったのでしょうか。
失敗をするたびに、どれだけ絶望したことでしょうか。
今エードラムと関わろうとしないのも、もしかしたら自己防衛本能に近いものなのかもしれません。
必要以上に関わらなければ失敗したときにも辛くはない。だから、必要以上に関わらない。
そう決断するのは難しいことではないはずですが、ひと時でも家族となった相手との関わりを持たずに居るという事がどれだけつらいことであるのか、想像するだけで存在しないはずの胸が張り裂けそうになります。
「この前のループの失敗は、あの子の死によるものです」
「オレが死んだんじゃなく、か」
「そうです。貴方があの子を殺した」
「……オレが? 一緒に暮らしていたんだろう?」
「えぇ。ですが、貴方を揺さぶる存在がいたせいで貴方は疑心暗鬼になり、あの子は貴方の生存を優先するために接触が薄くなったことから貴方は揺さぶりをかけてきた方を信じた。その結果の裏切りでした。相当ショックだったのでしょうね、あの子はまたひとつ自分の感情を差し出したものの、そこに生じた悔いのせいで対価の力が弱まり、結果としてあなた方が気付くような綻びが生じてしまったのではないかと、わたしは思っています」
人間の持つ感情というものは、喜怒哀楽のどれであれ自分を構成する上ではとても強く重いものです。
しかしエードラムの裏切りによってショックを受けた彼の勇者の心は弱り、感情を差し出し続けたことと重なって差し出せる残りの感情の重みが薄れていた。
それが、今までの対価よりも今回の対価を弱らせた大きな理由だろうと、柊は言いました。
その結果、今まで強固に構成されていたループの魔術が弱くなり、そのループの中心に居た我々の心に違和感という名の波紋を落としてしまったのだろう、と。
無言で話を聞いていたエードラムは大きな拳を膝の上に置き、衝撃を受けているのか小さく震えておりました。
今までの話を全て嘘だと言い切ってしまえば楽である事でしょうが、心のどこかで柊の話をすんなりと受け入れている我々が居ます。
柊の話に嘘はない。
本当なのだ、と。
「二度目のループの時に、あの子は貴方と誓ったのです。共に生きることを。エードラムは、何としても生きてあの子の傍に居ることを、誓いました。それが、その本の文面です」
『つまりは……それが果たされない限りはこのループは途切れない?』
「そういう事です……あなた方には、障害が多すぎた。それゆえにエードラムは命を狙われ、中々生き続ける事が出来なかったのです」
「……障害、な……そりゃそうだろ。そもそも勇者と魔王だろうが……」
「それだけでは、ないのですよ」
柊は、一枚の普通の紙を差し出してきました。
まだインクの乾ききって居ないところのあるそれは恐らくつい先ほど書かれたのだろうと分かるもので、太古の本とは違い現代の日本語で書かれておりました。
エードラムがそれを受け取って読み、分からない部分をわたしに読ませて確認します。
それは、エードラムとは違う派閥の魔王の資料でした。
【勇者】がこういった形で魔物の生態を把握し共有するという事はよくある事です。次に狙う相手の確認にもなりますし、同じターゲットを複数で狙うというミスも省けるためです。
「ソイツが、貴方を狙い、殺そうとしている魔王です」
「なんっ……」
「貴方とソイツにどんな因縁があるのかは知りません。ですが、貴方があの子を殺してしまった前回以外は全てそいつが貴方を殺しています。そして、前回はソイツが貴方をそそのかして、あの子を殺させた。そして、違うループの時には、貴方とあの子を殺せそうにない時には、戦っていた地域ごとふっ飛ばして無駄な犠牲を山ほど生み出したのです」
ぐしゃりと、エードラムが書類に皺を入れました。
何か、わたしはその魔王を知っているような気がします。
気がするだけですのではっきりとは分かりませんが、恐らくわたしも過去にその魔王に会っている、のでしょう。
忌々しい、本当に憎らしい……
「わたしは、別にループから抜けたいとか、面倒とか、そういうのは思っていません。ですが、あの子の苦しみが早く終わればいいとは、思っています。勿論、あの子が望んでいる形でね」
『柊……』
「この話を貴方にしたのは、この誓いを見届けてからは初めてです。勿論あの子との関係を強制するつもりはありませんが、わたしは貴方には生きていて欲しいと願っています……あの子と家族にならなくてもね。ですが……ですから……無理はしないで、下さい」
柊がこのループに気付いてから、一体どれほどの時間が経過したことでしょうか。
一体何度彼の勇者の絶望を見詰め、何度あの人の幸せを願ったことでしょうか。
切実な眼でこちらを見詰めてくる柊に我々は何も言うことが出来ず、この日はそのまま彼の部屋を辞去いたしました。
これ以上何を聞いても混乱するだけでしょうし、聞いた話だけでも脳の許容量がいっぱいいっぱいだったから、です。
柊の話を鵜呑みにしていいのか、と幾度目になるのか、同じ問いを自分に問い掛けます。
柊の話に嘘はない、と分かってはいるのです。
しかし、エードラムがこの先死ぬ運命にあるという事や、彼が我々の勇者を殺してしまった過去があったという事が我々の気持ちを重く重く落とし込み、柊の言葉を否定したい気持ちでたまらなくなっていました。
わたしでこうなのですから、エードラムの方の気持ちもずっとずっと混乱していたことでしょう。
その混乱している気持ちは、手に持ったまま握りつぶされている書類が表現しているようでもありました。
それでも、彼はこれから悠輝を迎えに保育園まで行って、面倒をみなければなりません。
少しでも表情が曇っていると心配する優しい子でありますから、笑顔で。
「どうすりゃいいんだかなぁ……」
悠輝のお世話に関してのことなのか、それともこれからに関してのことを言っているのか。
はっきりとは分からないものの重々しく呟かれたそれに答える術をわたしは持たず、ただ黙って彼の背に揺られることしか、出来ませんでした。
わたしには脳というものがございません。
けれど、わたしは先ほど見た、擦れてしまっている彼の名前がこびりついてしまったように離れないのを感じていました。