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第12話 まおうとけんじゃ①

 翌日、いつものように大した会話もせずに家を出る勇者と悠輝を見送った我々は、エードラムがささっと家事を済ませるのを待ってからこっそりと家を出ました。

 彼は今日は確か外せない講義のある日であると言っておりましたので、今日の悠輝のお迎えもエードラムがしなければならない事でしょう。

 つまりは、悠輝のお迎えの時間までエードラムは自由時間であるという事です。

 そもそも保育園までの道のり以外をあまり歩いた事のないエードラムは少しばかりおっかなびっくりではありましたが、保育園から程近い我が家の最寄り駅へと向かいました。

 この近辺には駅はふたつほどあり、家からはどちらも同じ程度歩けば到着する程度の距離です。

 しかし保育園から近いと言えばこの、地元民が主に使う程度の人気の少ない駅でありますもので、大柄なエードラムは大層目立っておりました。

 何しろ大柄で色合い的に派手な外国人が背中に細長い袋を背負っているのですから、目立たないわけがありません。

 あんまりぶすくれた表情で立ち尽くしていたら、下手をすれば通報されてしまうのではと冷や冷やしてしまうほどです。

 さてここに来て何をすればいいのかと二人で悩みつつ券売機の前を通り過ぎて改札口まで言ってみると、自動改札機のうちのひとつが明らかに不自然である事に気付きました。

 言ってしまえば、魔力を帯び空間がゆがんでいる、と言えばよいのでしょうか。

 エードラムは背に帯びているわたしの入っている袋を指先でトントンと叩き、わたしもセンサーをそちらに向けて改札機に魔力検知を掛けました。

 改札を利用している人々はそこを避けるように暗示でも掛けられたように違う改札を抜けて行き、そこに注目をしているエードラムの方が不自然に見えてしまいます。

 が、そこに掛けられている魔力が転移のものであるとわたしが伝えると、そちらへ足を向けました。

 自動改札機は切符も電子マネーも使わずに通ろうとしてもゲートが開かず、開いていた場合には閉じられ通り抜けを阻止されてしまうものですが、その改札機はエードラムが通るとまるで彼の帯びる魔力に反応するかのようにゲートを開き、招き入れました。

 いきなりバタンッと音をたてて開いたゲートに驚きつつも足を止めなかったエードラムが改札機を完全に通り抜けると、そこは駅の構内ではありませんでした。

 なるほどあのゲートは入場者をふるいにかけるものだったのかと納得しつつ、目の前に広がる真っ直ぐな廊下を歩きます。

 廊下は真っ白で正方形で、エードラムが両腕を左右に開いてもまだ足りないほどには広い空間でございました。

 左右の壁には窓も扉もなく、薄くかすんですら見える突き当りにある茶色いドアらしきものだけが唯一の色彩であるかのようにも見えます。

 わたしとエードラムは無言で進み、程なく茶色い扉に辿り着きました。

 油断なく広げていたセンサーを扉に集中して鍵も罠もない事を確認し、エードラムはノックもせずにドアを開きます。わたくしとしてはノックをしない事が気になりましたが、そもそも魔物にはノックなんて風習はないのでしょう。


 「いらっしゃい、ふたりとも」


 と、そこには灰褐色の髪にブルーのローブをまとった賢者が待っておりました。

 彼こそが、柊。この日本において《太古の勇者》ガーラハドの右腕と呼ばれ、わたしの勇者と比肩する魔力を持つと言われている、現代では数少なくなった魔術を生業とする者。

 左右の壁が全て本で占められているこの空間は先ほどまでとは違い本の表紙の様々な色で埋まり、その中央のデスクの前に居た柊が逆に異色のもののように見えてしまいます。

「お前が、柊?」

「えぇ。貴方とは過去に数回会った事がありますね、魔王エードラム」

「あぁ? お前に会うのなんざ今回が初めてだ」

「いいえ。あるのですよ。貴方が知らないだけで」

 怪訝そうに眉を寄せつつもわたしを袋から取り出したエードラムは、柊に示された椅子にドカリと座りつつわたしを抱えるようにして腕を組みました。

 柊が我々に何かをするという事はまず考えられませんが、しかしエードラムにとってしてみれば過去に同胞を何人も倒している【勇者】の右腕は警戒する対象でしかないのかもしれません。

 柊はそんなエードラムも咎めずに、のんびりとした動作で紅茶をいれてくれました。

 勿論わたしが飲めるわけもありませんので自分を含めてふたり分です。

 しかしエードラムは眼の前に差し出された紅茶を一瞥するだけで手を伸ばしはしません。その警戒っぷりは、なんだか飼い主以外からのご飯を受け付けない大きな犬のようにも見えました。

「テメェは、何か知っているのか」

「何か、とは?」

「……オレたちの知らない何かを、だ」

 何を問おうとしても曖昧にしか事態に気付けていない我々には、問う言葉はありません。

 どうしたらいいのか。

エードラムがちらりとわたしに視線を向けました。

 そんな目で見られても私としても言える言葉なんかはないのですが、私はしばし思考してから、

『柊。これから我々はおかしな事を言うと思いますが、最後まで聞いてはくれますか』

 そう言い置いて、わたしはエードラムとの戦いの後に感じ始めた違和感をひとつひとつ、自分たちでも再確認をするように柊に話しました。

 【あの人】の個人情報が家に一切ないこと。

 【あの人】に対して感じている違和感。

 意味の分からない不安感があること。

 そして、【あの人】の名前が分からないということ……

 柊は口を挟まずに全てを聞いてくれましたが、逆に何も言ってもらえないことが我々の不安を煽りました。

 エードラムも居心地が悪そうに幾度か椅子に座りなおし、しかし何も言わずに柊を見詰めます。

「……綻びが生じ始めているのですね」

『綻び……?』

「あなた方の違和感は、正しいものです。今まで気付かなかったのも仕方がないこと」

「どういう意味だ?そりゃあ」


「あなた方は、今日という日がすでに複数回来ているのだと言って信じますか?」


 柊が口を開いたのは、一体どれほどが経過してからでしょうか。

 ごく自然な、何でもない世間話のように言われたその言葉に、我々は意味もなく互いを見詰め合ってしまいました。

 今日という日が複数回来ている、とはどういう意味なのか、いまいちよく分かりません。

 そりゃあ、確かに今日という日付は一年に一度はくるものです。

 曜日で言えば週に1回は必ず来ますし、月単位の日付で言えば月に一回はくるものです。

 我々の戸惑いを察したのか、柊は小さく笑みを浮かべると、

「そうではありません。あなた方は……いえ、我々も、同じ日を何度も繰り返しているのです」

「ループしてる……って事か?」

「えぇ、そうですね」

「何言ってんだ、馬鹿馬鹿しい。時間を操る魔術なんざ、それこそ太古の二人でもなきゃ使えるもんじゃねぇ」

 嘲るように鼻を鳴らすエードラムに、柊はまた小さく笑みを浮かべました。

 太古の二人、というのは、かつてこの世界で起きた大戦の折に人間の【勇者】たちに味方した二人の太古の人々のことでしょう。

 伝承の中では神にも等しき、と言われる二人であれば確かに時間を戻したりする魔術をお持ちかもしれませんが、それは運命を捻じ曲げる事でもあります。

 太古の二人を実際に目にしたわたしにしてみれば、厳格で誠実なお二人の事、例えそんな魔術があったとしても故意にその呪文を発現させる事はないと断言できます。

「では、あなた方の感じている違和感をひとつずつ潰していくとしましょう」

「あぁ?」

「まずはエードラム。あなたは、かつて経験した事があるかのように、人間生活を送ることが出来ていますね?」

「……オレが堕ちるのは初めてだ」

「えぇ。今回はね」

 にっこりと微笑みつつ言う柊が、何故だか恐ろしく感じました。

 ループだなどと、そんな馬鹿げた妄想のような、そんなものはあるわけが、ない。

 そうは思うのですけれど、それを前提としてみると色々なものがしっくり来るような、そんな気がしてしまいます。

 エードラムは掃除の仕方も、洗濯の仕方も、料理も、悠輝の世話も、知らないはずであるのにさも当たり前のようにこなしていました。

 エードラムは本来黒の言語しか知らない魔物であるはずであるのに、ごく当然のように日本語を、人間の言語を書きました。

 それこそ、柊が言うようにかつて経験した事があるかのように、です。

 それは、それが、実際に過去に経験したからこそ分かるものなのだとしたら、納得がいきます。

 勇者が、彼がエードラムを家に招きいれたのも、かつても一緒に暮らしていた上でエードラムを信頼出来たからこそ招き入れたのだとしたら。

「……馬鹿げてる」

「でも、納得はしているんでしょう?」

「ふざけるな。じゃあ何か、オレは何度も人間に負けてるってのか」

「えぇ、そうです。貴方の倒し方を知った、彼の勇者によって」

 あぁ、なるほど、それもそうです。

 彼はエードラムに勝利をしました。

 強く、頑強で、とてつもない魔力を誇る魔王……そんな敵を相手にしては、例え一度勝利していたとしても幾度も倒すのは簡単には出来ないはずです。

 けれど、エードラムの弱点を知りそこを突くことが出来たのだとしたら、難易度はがくんと下がったことでしょう。

 そして、だからこそ毎回のようにエードラムの角が折れているのだとしたら。

 魔力の源を、失っているのだとしたら。

「……じゃあ、聞くが」

「はい」

「何故そんなに何回も、ループしてるんだ」

 何で綻びとやらが起きたんだ。

 そのエードラムの問いに、わたしは柊の方へセンサーを向けました。

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