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第10話 おおきないわかん

 そんな戦いから程なく、魔力を失い人間に堕ちた魔王エードラムは、勇者の勧めによって共に暮らすようになりました。

 勇者はわたしの意見なんかは一切聞かず、居たければ居てもいいと言って部屋を一室エードラムに与え、それからはほとんど彼の存在を無視するようにいつも通りの生活をしておりました。

 その様子にエードラムは少しばかり困った顔をしたものの、自分が他に行き場所がない事を理解しているのか文句を言うでもなく黙って悠輝の世話をし、黙ってこの家での生活を始めていました。

 わたしはわたしで、エードラムの存在を特に気にするでもなく、彼ではなく勇者の方をよく見るようになっていました。

 勇者の様子は今までと少しも変わりません。

 表情を変えず、口数は少なく、エードラムの存在など一切気にもせず、悠輝と二人暮らしであるのと変わらずに過ごしております。

 エードラムとの接触は当然あります。

 勇者が忙しい時に食事を作るのはエードラムですし、時には悠輝を保育園に送り、迎えるのもまたエードラムです。

 少しくらいは意に介してやってもいいとは思うのですが、勇者はあくまでも普段通りに……そう、エードラムが家に来る前とほとんど変わらずに振舞っておりました。

 唯一彼と直接接触していたのは、車で彼の生活用品を購入しに行ってやったときくらいです。

「どかすぞ」

『あぁ、はい』

 この日も、エードラムはいつものように悠輝を保育園に送った後に、家の中の掃除をしておりました。

 しかし、そういえば、この男はいつこのような技能を身につけたのでしょうか。

エードラムに机の上に持ち上げられ、テレビの上やら棚やらを拭いているのを眺めながら思います。

 そういえばエードラムは料理をするのも掃除をするのも、まして悠輝の世話をするのにも一切よどみはありませんでした。

 最初こそ少しばかりの抵抗を感じていたようでしたが、ほんの数日で何事もなかったように普通に今のような生活をし始めたのです。

 それは寧ろ勇者よりも人間らしい暮らし方で、この男が魔王であるという事なんてすっかり忘れてしまうような暮らしぶりでした。

 また、もやっとしました。

 そのもやもやは、まるで何かを忘れている時のようで、その言葉が喉元に引っ掛かって出てこないような、そんな嫌なもやもやでした。

 わたしには感情プラグラムはあれど脳みそなんかはありませんし、胸だって当然ありません。

 それだというのにこの苦しさは何なのでしょうか。

「なぁ、おい」

『何です』

「……あー、いや、何でもねぇ」

『何なのです。言いたいことがあるならば言えばよいでしょう』

「そりゃそうだが……言いたいことっつーのが、わかんなくなっちまったんだ」

 ロボット掃除機を慣れた手つきで起動させたエードラムは、どこか遠くを見るような目で動くそれを見詰めておりました。

 その言葉が、その表情が、わたしに肉体があればきっと同じような表情をしていたのだろうなという表情で、わたしは言葉を止めてエードラムを見詰め続けてしまいました。

 エードラムは、何かを言おうとするように口を開き、しかしまたすぐに閉じてしまいます。

 何かを言いたいけれど言えない、言葉にしたいけれど言葉が出てこない、そんな表情で。


「……アイツ、あんなだったか?」


 それでもやっと、エードラムはひとつの問いを搾り出しました。

「まだアイツを知ってからそう長くねぇのは分かってる。アイツの性格だってよく知らねぇ。だが、アイツがあんなだったか……いや、ちげぇ。なんだ……何が言いたいんだオレは……」

『エードラム……』

「分かってんだ。分かってるんだが、分かってちゃいけねぇと思ってる……」

 なんだこれは、と、エードラムは言いました。

 彼の言葉には一貫性はなく、支離滅裂とも言える言動です。

 しかしわたしには何故か彼の気持ちがとてもよく分かって、けれど分かってはいけないような気もしてしまっていて、何とも言葉にし難い心地がしておりました。

 そもそも、魔王なんぞという存在とこんな風に生活をするのも、会話をするのも、嫌で嫌でたまらないはずです。

 それであるというのに、ごく普通に会話をしているのにとてつもなく違和感を感じつつも、不思議ではないような心地もして、やはりそれも頭を悩ませる原因になっておりました。


「オレは、お前等を知っている気がする」


 それもずっとずっと昔から。

 エードラムの言う言葉に、わたしは異論を返せませんでした。

 わたしも何故か、そう感じてしまっていたからです。

 当然そんなものは世迷言でしかありません。

彼と出会ったのはあの戦いの時が初めてですし、生活を共にするなんてした事があるわけもありません。

 それであるというのに、わたしもエードラムも、この日々は初めてではないと感じていたのです。

 理由はありません。

 ただ、たっぷりと水を湛えた器にほんの小さな傷がついて水が漏れたかのように、ほんの少しだけの違和感が我々の中にはあったのです。

 その違和感の正体が何なのかは、わかりはしませんが。

「あー……すげェ胸糞わりぃなんだこれ」

『同意したくはありませんが、同感です』

「アイツのツラがぴくりとも動かないのもムカつくし、こっちを完全に無視してんのもムカつく」

『えぇ、そうでしょうとも』

「アイツはあれが普通なのか? アイツは、最初からあんなだったか?」

 聞かれても、わたしには返せるものはありません。

 わたしにとっては勇者は最初からあぁだったように思いますし、しかし違うとも言えてしまいそうにも思えるのです。

 それが、何故なのかはわかりません。ただ、そう思うだけで。

 どうしたらいいのか、どう言えばいいのかも、わかりません。

『魔王よ、お前はこの違和感を解決する気はありますか?』

「まぁ…そりゃあ……」

『では、これから浮かんだ違和感は全て話してください。わたしも、話しましょう』

「あぁ、そういうのな……それしかねぇかな……」

『嫌なのですか?』

「嫌っつぅか……それもわかんねぇんだけどよ」

 その場に座り込みながら、エードラムははっきりとしない返答を返します。

 まぁ、それも分からなくはありません。わたしも同じ気持ちでしたし、例え互いの違和感を話し合ったところで解決をするかも分からない問題です。

 ですが、それしかないのも確かです。違和感は共有しなければ、違和感だとも気付かないかもしれないのですから。

「今はまぁ……アイツのツラか?」

『そうですね。あんな風であったような気がしません』

「無視されんのもクソむかつくしな」

『はいはい』

「あとは……なんだ」

 二人して考え込みます。

 今のところの違和感は本当に勇者に関することだけで、それであるので違和感とも言い切れず、しかしそれは大きすぎる違和感であったのです。

 他に何か、と言われても、思い浮かびません。

 確かにもやもやはしているのですけれど。

「あっ……」

 しかし不意に、エードラムが顔を上げつつ声をあげました。

 無言でセンサーを向けると、座り込んでいたエードラムはまたゆっくりと立ち上がりながら口元に手を当て、眉間にとても深い皺を刻んでいました。

 それはまるで、気付いてはいけないものに気付いてしまったかのような表情で、知れずわたしも緊張してしまいます。

 そして、その言葉に、わたしは今度こそ言葉を失いました。




「なぁ、アイツの名前って……何だった?」

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