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第7話 おおきなぎねん

 次の日、完全に回復した勇者が悠輝と共に家を出た後、エードラムはまた退屈そうに家事を始めておりました。

 エードラムが共に暮らすようになってそろそろ半月が経過します。

 まだまだ失敗は多いとはいえ、ある程度のレベルには達そうとしているエードラムは、力加減さえ覚えればやはり器用な男ではあるようです。

 相変わらず皿は割りますが。

 まずは洗濯物を洗濯機に放り込んで回しつつ朝食の後片付け。それが終わると洗濯物を干し、天気がよければ一緒に布団やクッションなんかもバルコニーに出します。

 それからはロボット掃除機を家の中に放ちつつ先回りして少し高いところの掃除と、まるで主婦のようなその姿に勇者の教育の成果を見たような心地になりました。

 掃除を終えれば魔王の家事もひと段落です。

 最近楽しみ方を覚えたテレビなんかを見つつコーヒーをいれ、薫り高いそれを味わいながらの休憩をしている魔王は、何とも人間臭いものです。

「お前も日光浴でもするか?」

『わたしはフカフカにはなりませんよ』

「陰気くせぇのはとぶかもしれねぇだろ」

 しかしこの憎まれ口は直りませんな!

 勇者の前ではしおらしいというのに、わたし相手にはこれなのですから困ります。

 年齢で言えばわたしはもうお前なんかよりもずっと尊い存在であるというのに何たることでしょうかっ。

 そんなことを叫んだところでいつものようにスルーされるのは目に見えているので何も言いませんでしたが、エードラムがわたしを運ぶ時に意趣返しとばかりに少しばかりの電流をお見舞いするのだけは忘れませんでした。

 仕返しに膝で折り曲げられて背が折れるかと思いましたが。

 そんなことで折れてしまうわたしでもないので結局はテラスに置いてもらえるわけですが、クッション用の干し竿に置いてもらうと何とも言えない心地よさにため息がもれました。

 秋から冬に入るこの頃の日の光は、わたしの好きなもののひとつです。熱すぎず冷たすぎず、丁度いい暖かさに本来は必要としないはずの眠気が呼び起こされるような気がしてしまいます。

 それはエードラムも同じであったのか、エードラムは少しばかりクッションを叩いて埃を追い出すと、椅子をテラスに持ち出してクッションを背に日光浴を始めました。

 日光浴をする魔王。

 アンバランスすぎて笑ってしまいそうになりますが、このまま人間として生活をするのであれば感じてもいいささやかな幸福である事でしょう。

 エードラムが人間として暮らすにはまだまだ学ばなければならない事は山ほどありますが、このまま勇者と共に生活をするのであればある程度はクリア出来るような気がしないでもありません。

 そもそも【勇者】というのは彼個人が得ている称号であるわけではないので、他の【勇者】と接触をしてエードラムもそれと認めてもらえば、彼もまた【勇者】になる事が出来ないわけでもないのです。

 問題は彼が元魔王であるという事で、他の【勇者】がその事実をどう受け止めるかは分かりません。

 それに、【勇者】となれば当然戦う相手は魔物ですから、エードラム本人の気持ちの切り替えというのも必要になってしまいます。

 けれど、個人的に言わせていただくならば、エードラムがこれから生きていく上ではそれが一番順当、かつ楽な生き方であると言えるのです。

 提案してみようか、と思わなかったかと言えば嘘です。

 エードラムがここで暮らすことになってから、何度となく勇者とエードラムに提案しようと考えてきました。

 けれど何となくタイミングがつかめず、ずるずると半月も来てしまいました。

 エードラムが【勇者】になると覚悟してくれれば、いつかこの男が再び魔王となって我等の敵になるという事態は回避出来るのです。

 そうなればもう、勇者はひとりで戦わずに済むのです。

『……魔王よ』

「……おい剣」

 思い切って提案してしまおう、と口火を切ろうとしたその時、同時にエードラムが口を開きました。

 もしか同じ事を話そうとしていたのではと一瞬期待をしてしまいましたが、真面目な眼で周囲を見回すその姿は、どう見てもわたしと同じ事を話そうとしていたとは思えません。

 反射なのかどうか、わたしを掴み警戒するように周囲を見回すエードラムの眼光は、いつか勇者と戦った時の恐ろしき支配者そのもの。

 魔王に握られるという事態に動揺しつつも、わたしも周囲にセンサーを張り巡らせました。

 センサーは家全体をカバーするように張り巡らせてありますが、対魔物用結界の周囲を覆うようにしてあるため小さな生き物なんかは引っ掛からないようになっているものです。

 そのセンサーに、微かな引っ掛かりを感じました。

 本当に小さな引っ掛かりは、普段野良猫や小鳥や何かでも感じる程度のものですが、何かが違うという確信がありました。

 エードラム侵入時にすら感じなかった引っ掛かりは徐々に大きな違和感となり、きょろきょろと周囲を見回しているエードラムと共にセンサーの感度をより強くして周囲を覗い続けました。

 しかし今自分たちの周囲にあるのは家を隠すように植えられている木々と少し向こうに見える電線。

そしてその電線で憩う小鳥と、壁の上を歩く黒と金の毛色の猫だけです。

 ではこの違和感は何なのか……何か重苦しいものを感じつつセンサーを巡らせていると、ふと壁の上を歩いている猫がこちらを見ている事に気付きました。

 いえ、猫からはこちらは見えないはずです。こちらからはエードラムの身長のお陰でテラスの手すり越しに猫が見えますが、猫からは手すりが邪魔で見えないはずで。

 そのはず、ですのに。

「あの猫……」

 エードラムもそれに気付いたのか、わたしを持つ手にググと力を込めながら猫を見詰めておりました。


『人間にかぶれて鈍ったか、魔王エードラム』


 その我々の耳に、突然低く重い声が響いてまいりました。

 いえ、耳ではなかったのかもしれません。

耳というよりもむしろ脳に直接語りかけてくるようなそれに、わたしとエードラムは無意識に息を呑んでおりました。

 声の主は、十中八九あの猫、でしょう。

「……何だ、テメェは」

『堕ちた魔王が勇者と暮らしているという話を小耳に挟んでな。まさか真実であるとは思わなんだわ』

「あぁそうかよ。見学して満足したか」

『何、怒るな魔王よ。我はお前に忠告をしに来てやったのよ』

 忠告? と返しつつ、エードラムは手すりに腕を乗せて猫を見下ろしました。

 その手にはわたしは持ったまま、ただし猫からは見えないように手すりの影に隠して足はいつでも応戦出来るようにか肩幅まで広げられています。

『お前の勇者は、お前をただ利用しておるだけよ。お前はそれを知りつつ、勇者と共に在るものか?』

「利用だぁ? 力を失った魔王の利用価値なんざねぇだろ」

『そう思うておるのはお前だけよ、魔王エードラム』

 一体何の話をしているのでしょうか。わたしは口を挟む隙すら見出せず、ただ静かに魔力を帯びた双方の声を黙って聞いておりました。

 利用、というのは一体どういう意味なのでしょうか。

 確かに勇者は彼の方から魔王をここに住まわせる事に決め、誘いを行いました。

 しかしそれは双方の利害関係の一致というもので、別に勇者には魔王を引き留めるメリットなんかはないのです。

 それを利用と言ってしまうのは、無理があるのではないでしょうか。

『魔王エードラム。お前の魔力の源を折ったのは誰ぞ?』

「あぁ?」

『源を折り、お前が力を失った理由を作ったのは誰ぞ?』

「そりゃあ……それは」

『あの勇者は、お前を手中にするためにわざわざお前の角を折ったのよ』

 馬鹿を言うな、と言いかけて、わたしは何も言えずに無言を貫きました。

 魔王の魔力の源を折ったのは、間違いなく勇者です。

 それが魔王をこの家に呼び込むためなのだとしたら、この猫の言っている事もあながち間違いではないのではないかと、思ってしまったからです。

 しかし、自分からそんな事をするメリットは勇者にはないのではないかと思うのです。

わざわざいつ裏切るか分からない魔王を呼び込むなどというリスキーなことを、あの勇者が打算も計算もなしにするものでしょうか。

 そう思いはしますが、しかし、最近の勇者のおかしな様子を思い出すとやはり何も言えませんでした。

 最近勇者は、常とは違う様子であったと、わたしは思っておりました。

 それは間違いなくエードラムが家に来てからの事で、それまでは何の違和感ももっていなかったのです。

 でも、まさか。

そういう気持ちが、わたしにはあります。

 エードラムも同じであるのか、無言で猫を見詰める瞳には戸惑いがありました。

 勇者がエードラムを理由もなく受け入れたこと、生活を共に出来るように最低限の知識を与えて委ねたこと、エードラムの生活環境がよくなるように勤めたこと。

それらは確かに、勇者という存在が魔王に与えるべきではないものの数々でした。

 しかし、でもまさか……

「……何のために?」

『さぁ? そこまでは我は知らぬよ。本人に聞いてみてはどうかな』

 飼い慣らされた犬であり続けるならばそれでもいいが、と嘲るように言いながら、猫はひょいと壁を下りてどこかへと走り去ってしまいました。

 後には、穏やかな冬の陽気の下には不釣合いな我々が残されるのみ。

 しかし我々は互いに無言で、何を言うべきか分からないまま立ち尽くすのみでありました。

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