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第5話 いっしょに②

「服と、下着と、靴と……後は何かあるかな」

「ごはんのときの!」

「あぁそうか。お茶碗とお箸買わなくちゃ」

「箸……あの木の棒か」

「いつまでも子供用のフォークってわけにもね。悠輝の教育に悪い」

 スーパーの中のフードコートで軽く昼食をとった後、ガサゴソと音をたてる大きな荷物は魔王に持たせて勇者と悠輝はさっさと地下の食器売り場へ足を向けます。

 そこで買うのは皿とエードラム用の食器ですが、勇者は箸売り場の方に足を向けて食器売り場の方には近寄りませんでした。

 「食器は好きなものを選んでいいよ」と言って悠輝に魔王を任せ、自分はそちらの方には一切足を向けないのです。

 はてどうしたのだろうと思ってから、わたしはふと思い到りました。

 そういえば家でも、勇者はあまりガラスの食器を使うことはありません。流石に一切使わないというわけでもないので家には沢山食器はありますが、食器棚にはきっちり鍵がとりつけられ、一枚一枚の食器がかなりしっかりと固定される台を使っているのです。

 食事を盛る時にも先に食器だけをカートで食卓へ移動させてそこで食材を盛りますし、食事を終えればまたカートに載せてシンクまで移動させます。

 それはまるで、ガラスを持つのを恐れているようで……つまるところ、わたしの勇者はガラスや陶器といった割れ物が苦手なのだろうなと思わせました。

 エードラムもそれに思い至ったのか何も言わずにおおはしゃぎの悠輝と共に食器を選びはじめます。

 勇者の唯一の弱点かもしれないそれに突っ込まないところは、少しばかり好感が持てました。

 本当に、少しばかりですが。えぇ、本当に一ミリほど。

「バル、今何時」

『じきに十五時を過ぎるところです』

「三時か……意外と早く済んじゃいそうだな……」

『夕飯も外でお食べになりますか?』

「そのつもりだったけどね。家を出るのが早すぎたかもしれない」

『家電をご覧になっては? あるいは、家具など』

「家具か……そういえば選んだことなかったな。いつまでも客用布団ってわけにもいかないし、そうしよう」

 周囲の人に違和感を持たれない程度の小声で、勇者は次の移動先を決めます。

 元々あまり口を大きくあけて喋ることのない人ですので、声さえ小さければ周囲に話していることを悟られたりはしないでしょう。

 そういえばわたしは、勇者が大口をあけて話すも叫ぶも、見たことがありません。

 戦闘中ですら無言で淡々と、呪文の詠唱だって小声でまるで歌うように行います。

 そんなこの方が声を荒げるなんて事はあるのだろうかと、箸を二種類ばかりチョイスして購入する勇者を眺めつつ思いました。

 悠輝がガラスを割ってしまっても、おねしょをしても、ちょっとした失敗をしてしまっても、わたしの勇者は声を荒げる事も怒ることもありません。

 感情がフラットと言ってしまえばそれまでですが、そこにまた少し不思議なものを感じました。

 こんなことは今まで考えた事がなかったものです。

 エードラムという比較対照が出てきた事で感じるようになったのでしょうか、それともただそういう時期なだけなのでしょうか。

 なんとなくまたもやっとしたを感じつつエードラムのための買い物に付き合い、帰宅した時には車も荷物でいっぱいで、空は完全に暗くなっておりました。

 悠輝は昼食も夕食も外食という珍しさに大喜びで夕飯をデザートまでしっかり食べたものですから、車に乗ってすぐに船を漕ぎ出し今ではすっかり夢の中。

 荷物の運び込みをエードラムに任せた勇者は、悠輝を寝かしつけに寝室へと入って行きました。

「この後か?」

『えぇ。そうだと思います』

 食器を食器棚に入れ、自分用の服を入れるためのカラーボックスの包みをあけていたエードラムは、寝室に視線を向けつつ言いました。

 何がこの後あるかと言えば、ひとつしかありません。

「オレも一緒に行くべきなのか」

『さぁ……分かりません。行きたいのですか』

「……わからねぇ」

 ぐしゃぐしゃと包み紙を乱暴に丸めるエードラムの表情は硬くこわばっておりました。

 さにあらん、闇の魔物はほんの少し前まで彼の同胞であり、部下であった者たちです。その魔物退治に向かう勇者を、どういう顔で見送ればいいというのでしょう。

 まして、共に行くなどという事は彼にとってはどういう意味を持つのでしょうか。

 当然ながら、今まではそんなことだって考えた事はありませんでした。

 魔王が知り合いになることも、まして一緒に暮らす事だって想像もしていなかったのですから、それも当たり前でしょう。

 エードラムは、考え悩んでいる様子こそみせておりますが、声を荒げるでも取り乱すでもありません。

 何を言えばいいのか分からない、というのが正しいところでしょうが、それはわたしも同じ気持ちでした。

 エードラムに何と言えばいいのか、勇者に何と問えばいいのか、分かりません。


「じゃあ、行って来る」


 その沈黙の場に、勇者が戻って参りました。

 私の勇者は魔物退治のときにも特に武装をするでもなく、普段着のままです。違いと言えば、その背か腰にわたしを帯びるかどうか、というくらいでしょう。

 当然今も先ほどまでと同じ普段着なのですが、今は腰にも背にも、わたしを帯びるためのベルトをつけてはいませんでした。

 あまりにも普通の様子にどう問い掛けてもいいのか分からなくなったわたしとエードラムは、とりあえず勇者と共に玄関前まで移動をしました。

 エードラムに抱えられて移動をするのは初めてではありませんが、やはり魔王に持って移動されるというのはもぞもぞしてしまいます。動く事なんかは出来はしませんが。

「……オレはどうする」

「どうするって? 眠いなら、寝ていればいいよ。あぁ、でもお風呂には入って」

「付いていくことは?」

「いらない。今日は一人で行く」

『ひとり、とは』

「バルもお留守番」

 なんと、と思わず声が出ておりました。

 エードラムが居残るのは分かるのです。単に邪魔なのか、エードラムへの配慮であるのかは、表情の乏しい勇者からはうかがい知ることは出来ませんが、まぁそういうものです。

 しかしまさか、勇者の武具であるわたしまで居残りであるとは思いませんでした。

 確かに、勇者は魔術を行使することが出来ます。多少の魔物であればその魔術で殲滅することだって容易であるのです。

 ですが魔術のみで戦うのと武器を持って戦うのとでは疲労の度合いが違う、と言っていたのは他ならぬ勇者自身です。ですのに、まさか武器を持たずに行かれるとは。

「ちゃんと警戒だけはしておいて」

『お、お待ち下さいっ』

「おやすみ」

 引き止めましたが、勇者はこちらに一瞥もくれることなく家を出て行ってしまいました。後には、ぽかーんとしている我々が残されるのみです。

 勇者は確かに強いお方です。わたしを手にされる前には別の武具をもって戦っていらっしゃったのでしょうから、他の武器で戦えない事もないのでしょう。

 しかしこうもあっさり置いていかれてしまいますと、ほんの少しばかり矜持が傷つきます。

 今日の敵は弱いから、などと言われたとしたって、そんな、どんな相手が出現するかは分からないのですから慰めにもなりません。

 閉ざされたドアを何も言えずに見詰めていると、エードラムは乱暴に髪を引っ掻き回してからわたしをひょいと持ち上げていつものソファに投げました。

 これ以上玄関前に居ても意味がない、という事でしょう。

 それはその通りなのですが、やはり釈然とはしません。

 エードラムが来て、色々と変化が訪れてしまったように思います。いい変化であるのか、それとも悪い変化であるのかはわたしにはわかりません。

 ただ分かるのは、確実にそれは今までとは違う生活に変化してしまうという事で、中々に受け入れ難いものがありました。

 わたしは子供とは違います。製造された頃から数えれば、この世界にある何よりも古いかもしれない物質です。

 それが故にわたしの考え方が硬いのか、と思わないでもありませんが、やはり魔王によってもたらされる変化というものを受け入れたいとは、思えませんでした。

 しかし、と、考えを一度切り替えます。

 勇者は変わりました。

 ハッキリと言葉には出来ませんが、確かにほんの少し、雰囲気が変わったのです。

 しかし、では、わたしは勇者が「凄く変わった」と言えるくらいに勇者のことをよく知っていたのでしょうか。

 勿論勇者とはそれなりに長く暮らしておりますので、一通りの事は理解しております。しかし、かといって全てを理解していると言えるのでしょうか。

 そんな事を考えてしまう程度には、わたしは色々なものに自信がなくなってしまいました。

 わたしは勇者の剣です。

 他の代わりの無い、世界にも、全ての時代にも、ただ一本の剣なのです。

 ……なのです、けれど。

 ふぅ、と肺があれば恐らくは大きく吐き出されていただろう音を出しながら、わたしはソファの上に転がってセンサーを家中に張り巡らせました。

 つい先ほどまで自分用にあてがわれた部屋でゴトゴトと荷物整理をしていたエードラムも、言われた通りに風呂に入って寝る準備に入ったようです。

 普段であれば、わたしも夜に家の明かりが消えたならばセンサーだけを起動させて休眠状態に入りますが、この日はなんとなく休眠状態に入る気がせずにぼんやりと真っ暗な空間を眺めておりました。

 わたしは人間では御座いませんので、疲れなんてものは御座いません。ですから、一晩中起きていたって問題はないのです。

 かといって起きている理由もないのですが、なんとなく休眠状態に入る気になれなかったのです。

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