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第2話 はじまりのひ②

「まったく役に立たない」

『返す言葉も御座いません……』

 ようやっと昼寝に入った幼子の髪を撫でてやりながらの辛辣な言葉に、わたしはもう恐縮するしか御座いませんでした。

 役に立たないと言われても私には反論する材料すらありません。

 何しろ魔王の接近にも気付かず、窓を割られ侵入されるまで正体を暴けもせず、さらに言えば幼子に救出されるまで何も出来ずに手ぐすね引いていたのですから、そりゃあもう役立たずで反論のしようもありません。

 ですが弁解させていただくとすれば、わたしはあくまでも勇者の剣でありますので、単体で行動をすることなどは不可能なのです。

 想像してみていただきたい。剣に突如足が生えてひょこひょこ動くなぞ、気持ち悪いにも程があります。

 まぁ、でも、そうです。わたしの役目のひとつは敵の接近を勇者に教えて警告すること。

 つまりは、接近に気付かなかっただけでも相当の役立たずなわけで御座います。

『しかし何故、あの者はわたしのセンサーにも掛からなかったのでしょうか……』

「そんなの簡単だよ。彼はもう魔王ではないからさ」

 幼子を起こさないようにそっと子供部屋から出た勇者は、ひょいと肩を竦めつつ言いました。

 魔王ではない、というのはどういう事でしょうか。勇者の背に揺られながら考えます。

 魔王ではない、というのは、つまりはもう魔物の類ではなくなったという事なのでしょうか。

 元々魔物というものは、この世界においては闇から生まれているだけに光にはとことんまでに弱く、太陽の光で限りなく弱体化してしまうものです。

 それでありますので、魔王が人間の姿をして徒歩でここまでやってきた上、魔力でもなんでもなく拳で窓をぶち破る、というのにはあまり違和感を感じておりませんでした。

 魔王クラスでもなければ人間への変化というものも行えませんでしょうし、そこで魔力を使い果たしていたのだとしたら、他のことに割く魔力の余裕なんかはなかったはずです。

 では何故、と思いつつ勇者の背で天井を眺めていると、勇者はガシャンガシャンと乱暴な音をたてている奥の部屋へと足を向けました。

 音がしているのは勇者の寝室です。

 基本的にはわたしの勇者は幼子と一緒の部屋で眠るのですが、自室がないわけではありません。

 音がしているのも……先ほどまでわたしが居たのも、勇者の部屋です。

「もう少し綺麗に片付けられないの」

「んだとォ……」

「その程度も出来ないんだ、魔王って」

 そこでは今、魔王がその身体には似つかわしくないサイズの小さな箒とチリトリを使ってちまちまとガラスの欠片を掃除しておりました。

 なんともはや、自分で割ったとはいえ魔王がガラス掃除だなんて、なんという光景なのでしょう。

 こんな光景を見たら、さしもの古の神々たちもびっくりするのではないでしょうかね。

「魔王もあんまり役に立たないんだね」

「うるせぇ! オレの力はこんな事に使うためにあるんじゃねぇ!」

「つまんない魔王」

「魔王魔王うるせぇな! オレの名前はエードラムだ! 知ってんだろうがっ」

 あぁそういえばそんな名前で御座いましたか。

 勇者も同じ感想だったのでしょうかまた肩をひょいっと竦めると、怒れる魔王エードラムを無視してベッドのシーツとカバーを包んでとると無言でエードラムへと差し出しました。

 何をしろと言うのでしょうか。

 わたしが何も言わずに勇者の行動を見ていると、エードラムはまるで牙のような歯をギリギリと噛み締めると布を引っ手繰るようにとってから窓の外でバサバサとやりました。

 あぁ、なるほど。ベッドの上にとんできたガラス片を落とせ、という事でしたか。

『……よくわかりましたね』

「意外とあぁいうタイプは気が細かいんだよ」

「ふっざけんな!!」

 顔を真っ赤にして怒るエードラムでありますが、バサバサとやった後に手で叩くようにしてきちんと最後までガラスを落としている姿では何の説得力もありゃしません。

 勇者の言うとおりに気が細かい男であるのか、それとも勇者の迫力に押されているのでしょうか。

 はて。

「で、その魔王さまは何をしに来たの」

「そう! それだ! オレはお前に復讐をしに……」

『復讐……ですか』

「復讐、ねぇ」

「しに……する、つもりだったんだ……」

 言いながらも、魔王の肩はがっくりと落ちます。

 完全なる不意打ちならばともかく、勇者の背には勇者の剣わたしがおり、すでに魔王の顔面には拳の痕。完全に後手後手、というよりも、勝機なんかはほぼないと言ってもいいでしょう。

 もしか、魔王の手中まだわたしがあったなら可能性はあったかもしれません。ですが、今の状況ではとてもとても。

 それにしても、エードラムは何故夜に襲ってこなかったのでしょう。

 夜間であれば勇者は幼子を寝かしつけた後に魔物退治に出ている事はよくありますが、魔王だって闇の中でフルパワーで戦う事が出来たはずです。

 なのに何故、自分にとって実に不利な日中に襲ってきたのでしょうか。

「魔力の源を失ったからだよ」

『魔力の源?』

「なっ…なんでお前がそれを……」

 倒した時に角がぽっきりいったでしょ、と、勇者は自分の両人差し指を角のように前に突き出しながら言いました。

 それを見て思わず「あぁ」と声が出ます。

 確かに、今のエードラムの額には元々角のあった場所がこぶのようにボコボコと出ておりますし、わたしは魔王との戦いの折に彼が前のめりに倒れその拍子で角が両方ぽっきりいったのを確かに確認しております。

 なるほど、あの角は魔王の魔力の源だったのですか。

 その魔力の源が失われているせいでこの家の結界にも引っ掛からなかったし、わたしのセンサーにも反応がなかったのですか。

 ついでに言えば、闇の魔力が失われたからこそ日中ウロウロするのも問題がなかった、ということなのでしょう。

 理解いたしましたが、なんとも哀れなことです。

 魔王という地位についた男が、魔力の源を失った挙句にここまで落ちるとは。

「まぁ、魔王ってのは目に見える魔力の源だけが全てじゃないから、変身は維持出来てるんだよ。戦闘においては、もう前のようにはいかないみたいだけどね」

「クソが……」

「君だって分かってたんでしょ? 僕にはもう勝てないって。それでもここに来たっていうのは、つまりは元の場所にも居られなくなったのさ。闇の魔力におされて、力を失った肉体に影響が出てね」

「テメェ、なんでそこまで……」

「知ってるから」

 あぁ、流石は我が勇者です。

 勇者の慧眼にぐうの音も出なくなったらしいエードラムはまたがっくりと肩を落としてぎゅうとシーツを握り締めています。

 さしものわたしも、闇の力を失った魔物が闇に適応できなくなるという事実は存じ上げませんでした。

 マルヴが闇の魔力を失ったら消滅するものですが、魔物はそうではなく元々の存在に戻されるのかもしれません。

 そもそも闇の魔物というものは、マルヴが憑依したり闇の力そのものに捻じ曲げられて異形化してしまった存在の事を言います。

 魔物は自分と同じように闇の力を得た存在以外を無作為に襲うようになり、一部の闇そのものから生まれた知性ある魔物たちがその指導者となるのだそうです。

 となると、エードラムは闇そのものから魔王となった存在ではなく、闇によって捻じ曲げられていた方の魔物、という事なのでしょうか。

 そこを突っ込んでも意味もない事なので突っ込みませんが、がっくりと肩を落とし小さくなっているエードラムはなんとなしに哀愁を漂わせています。

 勇者に敗北した上に魔力の源を失いさらには仲間の所へも戻れなくなるだなんて、わたしだったら途方に暮れて何も出来ずに呆然としてしまう事でしょう。

 エードラムも、そうして途方に暮れた挙句に特攻のようにここに襲撃を仕掛けてきたのかもしれません。

 その後のことは何も考えず、死すら覚悟して。

 勇者もそう思ったのでしょうか、チェストの上のガラス片をわたしで払って落としながら――こんなの本来の使い道ではないのですが文句は言えません――黙ってエードラムを見詰めていました。

 流石にあれほどの死闘を繰り広げた男がここまで落ちてしまうとなると、一抹の切なさすらも感じてしまいます。

「……ウチに居れば?」

「は?」

『へ?』

「丁度、ウチの子の子守も欲しかったんだよね。僕は家を空けがちだし、バルは役に立たないしね」

『正気ですか! 相手は魔王なんですよっ!?』

「もう魔王じゃないでしょ」

 きっぱりと言う勇者に、わたしもエードラムも無言で勇者を見詰めてしまいました。

 何を言い出す勇者なのでしょう。

 そりゃあ、そりゃあですよ? 魔王には同情を禁じえないところは御座います。

 けれど相手はあの闇の魔物なのですよ? それをこの家に一緒に住まわせるだなんて、勇者は勇者でちょっとおかしくなってしまったのでしょうか?

 しかし残念ながら、わたしはこの勇者が冗談を言うタイプではないのはよく知っています。冗談を言うときには、必ず半分以上の本気や揶揄があるという事だって知っています。

 つまりは、わたしの勇者は本気でこの魔王をここに住まわそうとしているのです。

「……あのガキか」

悠輝ゆうきって呼んでくれる。これから、君が育てる子供だ」

「日本人か」

「だから何? 選り好みできる立場?」

 じわじわと近寄ってくるエードラムと勇者の体格差は、びっくりするくらいにあります。

 魔王は勇者よりも頭ふたつは大きいですし、横幅で言えば勇者が一人くらいは入ってしまいそうなくらいあります。

 しかし腕を組んでエードラムを睥睨する勇者は一切ひかず、逆にエードラムは背を丸くして完全にその赤い眼に気圧されているようなので、立場はまるで逆転しているかのようです。

 エードラムには、今後生きるためには選択肢というものはほとんどないと言ってもいいでしょう。

 勿論彼には自分のプライドを選ぶ権利は存在します。自分のプライドを守り、勇者の手を拒むのであればそれはそれでいいと思うのです。

 しかし彼があくまでも『生きる』という事を重視しているのであれば、勇者の手を拒むのは得策ではないと言えるでしょう。

 何しろ彼は人間世界での生活経験なんてものは存在しません。

 闇の世界に戻る事が出来ない以上、何としても闇の力を取り戻すという努力をするか、そうでなければ人間として順応するかしか生きる手立てはないのです。

 そして、闇の力を取り戻すにしても、何よりもまず自分の生活基盤を整えて情報を集める必要はあるわけで。

 まるで獣のような唸り声をあげて勇者を睨む魔王には、二つの選択肢が存在します。

 しかし、最早彼にはどちらを選んでも経過は同じでしかないという、苦渋の決断だったのかもしれません。


 こうして、魔王の角ぽっきり事件が発端の魔王同居事件が勃発したのでありました。

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