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第1話 はじまりのひ

 さて、わたしの勇者の住んでいる場所は日本という国でございました。

 日本とは不思議なもので、目に見えない不思議な生物が山ほど居り、少し視線を動かすだけでも沢山のそれらに出会う事が出来たのでございます。

 それがゆえにわたしのような存在も受け入れられたのかなと思うところも御座いますが、とにかくわたしと勇者はその国に住んでおりました。

 と言っても、勇者はこの日本の国籍にあるわけではないようでした。それどころか、戸籍というものがあるのかどうかもわたしには分かりません。

 そもそもわたしの知識というもの自体が過去の大戦のときからそう成長がしておりませんもので、戸籍が何のために使われていたものかもよく知らないわけなのですが。

 いえ、知識はあるのです。

 勇者はわたしに色々な事を教えてくださいましたので、日常生活を営む分には一切問題の無い程度にはわたしとて色々とは知っているので御座います。

 それが専門的な話に及ぶと、調べなければ分からないだけで……はい。

 ともかく、勇者とわたしはそこに住んでおりました。

 生活資金がどこから出ているかはわかりませんが、勇者は別にお金に困っている風でもなく、しかし働いているようでもありませんでした。

 基本的に【勇者】と呼ばれる人々は自分たちで作り上げられた組織の中で魔物やマルヴを狩り、その報酬を受け取って生計を立てているものです。

 しかしわたしの勇者は「自分はそういう組織には所属はしておらず、学生をしている」のだと言いました。

 学生、というのが何を意味しているのかはわたしにはよく分かりませんが、とりあえずは家に居ない時間は勉強をしているのだと言います。

 素晴らしいことです。勇者として戦いながらもなお勉学に励んでいるとは、まさに勇気ある人々の末裔として相応しい姿でしょう。

 ですがそれはほんのちょっぴり、わたしにとっては退屈でもありました。

 何しろ勇者が勉強をしているときはわたしはお留守番をしているしかないのです。

 時折一緒に大学というらしいそこに連れて行ってくれることもありましたが、基本的にはこの家に居るしかないのです。

 それは、とてもとても退屈なことでした。

 ですがわたしの勇者の言いつけを破るわけにはいきませんので、わたしは大人しく家でお留守番をするしかありません。

 勇者が私をいつも窓辺に置いてくれたり、テレビなる電化製品をつけっぱなしにしてくれていることが唯一の救いと言えば救いだったでしょう。


 そうしてその日も、わたしは家でじっと留守番をしておりました。


 とても退屈でしたが、今日は勇者がわたしのためにカーテンを開けておいてくれて外を眺めることが出来ましたので、鳥が飛び交う様子や木々の葉の擦れなんかを見守って暇を潰しておりました。

 先の大戦の折にも、このようにして暇を潰していたことがありましたもので、こういった暇つぶしはもう慣れっこです。

 ですがこの日、わたしは思いも因らぬ珍客に遭遇することになったのです。

 その珍客は燃えるような赤い髪を持った屈強な男で、二階であるはずのこの部屋の窓の外に突然ぬぅと姿を現したかと思えば乱暴に窓を叩き破って部屋に侵入してきたのです。

 その時の驚きったらありませんでした。

 何しろ男は過日勇者が倒した魔王に瓜二つだったのですから。

 「やーっと見つけたぜぇ……」

 ですが驚きはそれだけに留まりませんでした。

 よくよく見ればその男の髪の隙間から見える額には、赤いこぶのようなものがふた~つばかり対になるように存在していたのです。

 そして今の言動。

 そう、この男はまさにあの時倒した魔王だったのでした。

 もう驚いたのなんの。魔王はすっかり人間の姿をしておりましたもので、さしものわたしもまるで気付きませんでした。

 平素であればわかるのです。マルヴであるのか、それ以外の魔物であるのか、人間であるのか、そういった生物に内包されている魔力を探れば一目瞭然なのですから。

 けれど今回ばかりはまったくもって分かりませんでした。

 この家にも闇の魔物用の結界は張られているものの、どうやらすっかり人間に化けている魔王にはその効果を現さなかったようなのです。

 あまりの驚きに動く事が出来ずに居ると、魔王はむんずとわたしを掴んで振り回しました。

 「あのクソ勇者はどこだ! あのヤロウ絶対にゆるさねェ!」

 ひえぇえぇ、などと情けない声をあげながらも、わたしは魔王に力任せに振り回されるに任せるしかありませんでした。

 わたしは勇者が居てこその存在でありますので、自分だけではなんとも無力なのです。

 あぁ太古の偉大なる方々よ、何故わたしにひとりで戦える術をお与え下さいませなんだかと、何千年ぶりかの恨み言を吐きたくなるくらいには、わたしは無力でした。

 ですが、救いはこれも唐突にやってきたのです。

 その救いはとんでもなく小さくて、とんでもなく無力な存在でした。しかし少なくともわたしよりは無力ではなく、勇敢にもなにか丸いものを投げて魔王の頭に見事命中させたのです。

「イテェ! なんだ!」

「ど、どろろー! どぼろー!」

「どぼろーだぁ?」

「どろろー!!」

 その無力で小さな存在は、魔王の膝下程度の大きさしかない子供でした。

 甲高い声で「どろろー」と叫び続ける子供は、そのうち自分の声の大きさにびっくりしたかのように大泣きを始め、一声叫ぶごとに一個何かを魔王にぶつけはじめたのです。

 その勢いには、さしもの魔王もたじたじです。

 どこから持ってきたのやら料理を乗せるための銀色の盆であったり床掃除の道具であったりと、子供の身体の大きさからは想像も出来ないくらいに沢山の大きなものを魔王に投げつけました。

 それは当然魔王に振り回されているわたしにもぶつかってきましたが、そんなものは些細な事です。

 いいぞもっとやれ、とは煽り立てませんでしたが、すっかり困りきっている魔王に反して子供は泣き叫び続けます。

 流石、勇者に養われている少女です。まったくもって将来有望な膂力である事です。

 この子供が誰かと申しますと、わたしの勇者に養われている子供です。

 親を亡くしたのだか捨てられたのだか、とにかく親がなく引き取り手がなかったところを勇者が引き取ったのであると聞いています。

 勿論、勇者の子ではありません。子供はパッと見てもよっつかいつつといったところ。

 勇者がその子の親であれば、まだ成人前に子供を作ったことになってしまいますからね。

 まぁ、そのくらいの色気があるくらいが、勇者にはちょうどいいとわたしは思うのですけれど。

「お、おいテメェ! あのクソガキなんとかしやがれ!」

 なんとかと申されましても困ります。

 実のところ、あの少女にはわたしの存在は知られていないのです。

 それであるのに何とかしようとしたならば、少女はさらに泣き叫ぶこと必定というもの。

 しかしながら、わたしはわたしで困ってしまいました。

 何しろこの小さな子供は泣き喚きすぎたのかひっくひっくとしゃっくりあげ、物を投げるのはやめたものの今にも嘔吐してしまいそうな泣き声をあげながら顔を真っ赤にして泣きじゃくっているのです。

 その姿は今は居ない保護者を求めて大声で鳴く小鳥のようで、なんとも胸が詰まってしまいます。

 かといって何かが出来るわけでもないのですが、何とかしてやらねばこの子供の喉が裂けてしまうのではないかと心配になってきました。

 魔王は魔王で顔を真っ赤にして叫んでいる子供の扱いをどうしたものかと悩んでいるようで、わたしを掴んだまま少年を見下ろしてオロオロとしています。

 まるでサイレンのような泣き声を放置していれば、そのうち近所の方々に通報されてしまいそうです。

 さてどうしたものか、と悩み始めた時、ゴトン、という音が泣き声の合間に聞こえてわたしも魔王もそちらに意識を向けました。

 そこには、いつの間に帰ってきていたのやら、学校へ行く時のバッグを背にしたままの勇者が壁に凭れかかって腕を組み、こちらを見詰めておりました。

 足は外出時のブーツのままで、恐らくは急いで上がってきたのだろうと想像が出来ました。


「人の家で、何をしているの?」


 勇者は、ゆっくりゆっくりと、まるで歌うように聞いてきました。

 歌うようでありながらも凄まじい迫力に、わたしは「魔王と勇者は同じ赤い髪の色なのに随分と印象が違うなぁ」などと人事のように――現実逃避をいたします。

 それしか出来なかったとも、言いますが。

「ウチの子泣かせて、何してるの?」

 一瞬で、魔王の手にじっとりと汗が滲みました。

 それくらいに、薄い笑みを浮かべこちらを見詰めてきている勇者には、迫力があったのです。

 その迫力とは、泣き喚いていた子供も泣くのを忘れて勇者を見上げて動きを止めてしまうくらいでした。

「オ、オレはテメェにだな……」

「遅い」

 聞いたのは勇者であるというのに何と無慈悲な一刀両断であることか。

 喉を引きつらせつつやっとのことで声を絞り出した魔王の顔面には、気付いたときには勇者の拳が埋め込まれ、そこでようやく解放されたわたしは、ガランと音をたてて床に転がりました。

 これでは天井しか見えませんし、乱暴な扱いをして刃毀れでもしたらどうしてくれるのでしょうか、まったく。

 あぁ、申し遅れておりました。

 わたくし、バルィ・クアラと申します。


 【祝福された英雄の剣】の異名を持つ、はい、勇者の剣で御座います。

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