1
多分バナナだろうと思う。
あれはお昼寝の時間、飼育員さんが用意してくれた寝床に向かう途中。
足を滑らせて、転んで。
「ウホ?(何この状況?)」
気が付くと、沢山の木に囲まれていて。
「クォルルル…(ココサンの幼獣、に見えるが…)」
目の前に、大きい四つ足の獣がいた。
「ルルル…(どっから湧きやがった…)」
威嚇し、また警戒もしている。真っ黒なこの獣はボクを食べる種類だろうか。
ボクはまだ小さい。あの大きな口で噛まれたら、直ぐに苦労のない穴へサヨナラだろう。
「コクルル…(まぁいい…)」
しかし、恐ろしい想像とは裏腹に、獣はフイとそっぽを向いて、木々の中に消えていった。
「ホゥ…(助かった、のか…)」
だからといって油断は出来ない。何しろここは木だらけで、ほんの少し先も見通せやしないのだ。
警戒を解いたところでガブリ、なんて事も十分にありえる。
そうして暫くの間、目覚めた場所でじっとしていたが、やがて疲れ果てて、ボクは眠ってしまっていた。
「ッホッホ?(ねぇアンタ生きてるの?)」
「ッボ!(うわぁ!)」
「クッキャキュ!(うぎゃあ!)」
寝ているところに頬を殴られ、ガバっと身を起こす。
「ウホッ!(噛まれたあ!)」
「ウホッ!(噛んでなんかないわよ失礼ね!)」
横を向くと、ボクと同じくらいの子ゴリラが、訝しげな目でボクをみていた。
「……ゴリラ(……ゴリラ)」
「チガウ(ゴリラって何?食べ物?)」
「ゴリラ(いや、ゴリラでしょ?君)」
「チガウ(だからゴリラって何よ、アンタまさかアタシのこと食べるつもりなの?)」
どうにも話が通じない。首を傾げながらも、ここは何処かを尋ねる。
ゴリラではないらしいその子は、ここは森だと、話でしか聞いた事のない単語で答えた。
2
「ボッホホッ(まさか一頭でガブガブと遭遇して生き残るヤツがいるとはなぁ)」
ほぼ真っ暗な洞窟の中、明るくそう言ったのは、やはり僕からみたらゴリラ。
ココサン、という生き物らしい。
「ホッホポ(しかもその黒いのは『オオアゴ』って呼ばれてる特別なガブガブだ。立派なもんじゃねぇか)」
左腕が無いシルバーバック。多分この群れの長だろう。
「ウホ…(運が良かったんですよ…)」
謙遜ではない。本当に幸運だったのだろう。
以前、飼育員さんが言っていた。
野生の肉食動物は、臆病なまでにケガを怖れるのだ。
だってケガをしてしまったら、次のエサが獲れないから。
次の狩りまでに万全にならなければ、エサをしくじる。エサをしくじれば、パフォーマンスが下がる。パフォーマンスが下がれば、エサをしくじる。
条件は悪くなる一方な訳で。
勇猛と無謀のバランスのとれた、良いコンディションを維持し続ける事の出来る、つまり賢い個体でないと、野生では餓死してしまうのだから。
恐らく、思ってもいない場所から、突然ボクが現れたので、『よく分からないし襲うだけ損』と、思われたのだ。
「ウッホ(なに、運も実力のうちさ)」
そう言ってボクの背中をパシリと叩くココサンの長。
ココサンは、シルバーバックを長として十頭程度の群れで暮らす大型の猿であるようだ。
主に草食だが、虫なども少し食べる。賢く手先が器用で二足歩行が出来るつまりゴリラである。
しかしながらここは、ボクがいた動物園とは違う世界。
何がどうなってこんなところに居るのか、ボクには全く理解ができないのだが。
「ウホカイ?(異世界?)」
飼育員さんが溢していたのを聞いた事があるし、苦労のない穴の先は、誰も知らない。
となると、ボクはバナナに滑って穴に落ちた、という間抜けな結論が出てしまうのだが。
「ホ?(あんだって?)」
「ゥホ。シバレル(いえ独り言です。しかし洞窟は冷えますね)」
「オウヨォ(ああ、ずっとこんなだ)」
ここ何年かは、冬がとても長いらしい。寒い時期が続き、食べ物が減り、生き物も減った。
氷河期、というやつだろうか?飼育員さんが前に言っていた。
ココサンも頭数を減らし、外の血を取り入れる機会も減ったという事で、ここの群れでボクを受け入れてくれるようだ。
苦労のない穴を抜けた先の世界。
ボクの転移に、意味はあるのだろうか。
3
「パパ!キャッキャウ!(ねぇダディ!コイツなんかガサガサしている!)」
「ウッ、ホゥ?(アレ、ボクなんかやっちゃいましたか?)」
だって、あんまりにも寒かったから。
「ホッボッボッ!?(うわなんだソレ!?)」
「ヌクモリティ(これは、服というものです)」
葉っぱを集めて、着てみた。
いつぞやに、飼育員さんが身に着けていたギリースーツというヤツである。
「キモイ!(アンタほんと変なココサン!)」
「ヌクモリティ(寒いねん)」
冬が長く、遍く動物が飢えたるこの世界。
前世の知識は色々役に立つ。
「ウホホホホ!(伍を組んで背中合わせになるんだ!)」
「ポ!ポッホゥ!(バカヤロウ相手はガブガブだぞ!逃げるんだよ!)」
「ビヘイバカヤロ!(背中をみせたら襲われる!)」
「ビヘイコノヤロ!(何でそんなこと分かるんだよ!)」
「ヌクモリティ!(飼育員さんが言ってたんだよ!)」
ボク達は、一頭の死者も出さずにガブガブを撃退出来たし。
「フルエル…(今日も寒いな…)」
「ウホ(火できた)」
「ッキャキョホオオオ!(うわあああ!)」
「シュウレンハッカ(氷使ったら何か出来た)」
「キカクガイ!オマエノフツウチガウ!(コイツ雷持ってる!超怖いんですけど!)」
「ヌクモリティ(飼育員さんコレで焼き芋やってた)」
餓死も凍死もなく、冬を乗り越えた。
「ゴリラヤベエエエ!(オマエみたいなココサンがいてたまるか!)」
「チートコエエエエ!(さすゴリ!ヌレたわ!)」
4
遅い春が訪れて、洞窟の中。
ようやっとギュウギュウにならないで眠れる。
服をぬいで一頭、焚き火の番をしていると。
「ウホゥ(今夜はオマエか。ご苦労さん)」
種付けを終えたシルバーバックが、ムワッとさせた身体を右手で扇ぎながらボクの隣に座った。
「タネマキハタケ。スンダスンダ(今年は子を増やせる。オマエのおかげだ)」
「いえそんな。全部飼育員さんが教えてくれた事ですよ(ウホ、ホウホ)」
「サクツケシュウカク?(次はどんなトンデモを見せてくれるんだ?)」
「畑を作ろうと思ってます(ウホ)」
「ハタケ?(畑?)」
「土を耕して種を撒くんですよ(ウホッ)」
「タネマキ?(種撒き?)」
「コレで冬、飢えずに済みます(^o^)」
「ファーwww(´º∀º`)」
農業という『概念』をこの世界に持ち込もうとしているボクを、長はもはや、驚き疲れたというような顔で見ている。
「オイゴリラ…(なぁ…)」
「ハイゴリラ…(なんです?)」
「オイゴリラ、ゴリラァ…(もう少しして、オマエが成獣したら…)」
「……?(……?)」
長が何かを言いかけたその時。
「マルタハモッタカ!(ガブガブが来た!)」
見張りに立っていた長の娘っコサンが、慌てた様子で洞窟の中に駆け込んできた。
「イクラダカラチクショウ!(『オオアゴ』!ダディの左手を喰ったヤツだ!)」
そういうことなのだろう。恐怖に金切り声を上げる。
「ウホィエット!(落ち着け!皆を起こすんだ!)」
眠っていたココサンを起こし、焚き火の奥に避難する。
飼育員さんが言っていた。
火を越えて来るのは、余程に追い詰められた個体。つまり弱っているはずだ、と。
冷静に対処できる、しなければ。
果たして、焚き火を挟んで現れた黒いガブガブ、『オオアゴ』。
「ココココ…(た……すけ、て…)」
その姿は、目を背けたくなるくらいにボロボロで。
「ウホゥ(助けて、ってガブガブが?)」
その言葉の、恐ろしさ。
「ボボッホッ…(長、ガブガブって…)」
「ツヨイ、マジゴリラ(ああ、この森の覇者だ)」
「ホホホ…(そんな…)」
更に驚いた事に。
「ワンワンオ!(勇者がレベル上げをはじめた!)」
この世界には、勇者がいて。
「ワンワンオ!(あの野郎!うっかりで森を半分吹き飛ばしやがった!極大魔法だ!チクショウ!チクショウ!)」
魔法があって。
「ウホゥ…(クソ、魔力草はまだ生えてないってのに。だが仕方ねぇ…)」
しかも。
「ウホ!(皆、魔力の補充は出来てねぇが、死にたくなければ出し惜しむな!)」
ボク以外、全員使えた。
「ヨンベエダアアア!(四倍だ!)」
猿から人へのミッシングリンク。
てっきり、ボクがそれを埋めるものだと、思っていた。
ここはずっと昔の地球で、ボクがココサンを、ヒトに進化させるんだって。
それが穴に落ちた意味だって。
でも、それは勘違いで。
ボクはただの迷いゴリラだったんだ。
プロローグ
これは、魔法が使えず群れから追放されたゴリラが、実はバナナでウホホゥホッホ……ホアアアアアア!!