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第42話:それが俺の、剣道ならぬ剣導だ

 スマホが震える。意識の遠くでぼんやりと分かった。見やしないメルマガの着信かと思ったけど、何度も震えるからきっと違う。あ、電話か。


「ん……なんだよ……」


 意識が広がっていく。蝉しぐれが窓を貫通してくる。

 ってか、そうだ。今日は稽古がある。今何時だ──。


「…………あ?」


 ──朝の九時。


 一瞬だけ思考が止まった。稽古開始は九時からだったような……。


「っげぇ! 寝坊したぁ!」


 スマホには水瀬の文字。通話が切れて通知欄が表示される。少なくとも十件は水瀬から着信が来ていた。着替えながら弁解の電話を掛ける。


『先生、やっと出た! 今どこなん!』

「すまん! 完全に寝坊した! 雅坂はもういるか?」


『いますわよ~』と遠い位置から雅坂の艶やかな声がする。


「すぐに学校に向かう! 先に素振りと足捌きをやっててくれ!」

『ホンマなんしとんねん! 今日はせっかく愛奈ちゃんの帰ってくる日なのに!』

「分かってるよ! ダッシュで行くから!」


 服はどうする? 着込んでる時間はない。デニムパンツと白のポロシャツ──でも向こうで着替えている余裕はない。すぐに稽古できるように道着か?


「ええい、クソ! なんだってこんな大事な日に限って俺ァ……ッ」


 あの大会から二か月。

 今日は、獅子堂が福岡の個人遠征から帰ってくる日だ。






 うだるような暑さに眉をひそめながら、学校の敷地内を走って道場へ向かう。

 動悸がすごい。走っているから──だけじゃないだろう。久しぶりにあの問題児に会えるということを、楽しみにしている自分がいるからだ。


「ったく、結果を引っ提げてきたんだろうな」


 そういえば俺が出発する直前、雅坂からメールが飛んできていた。


『霧崎先生、いらしたらびっくりしますわよ』


 どういう意味だ? 学校に来る途中で考えていたが、分からないままだった。

 道場の前に立つ。まぁいい。扉を開ければ分かることだ。


「すまん、遅くな──」

「おっせぇぞオッサン! 指導者が遅刻とかなめてんのかぁ────────ッッ!」


 扉を開けた瞬間、一人の女生徒が飛び蹴りかましてきた。

 その姿は、ソイツと初めて会った時に見た美しい足技そのままで。


 思わず懐かしいなと感慨深くなったのと同時、


「ぶべらぁぁッッ!」


 獅子堂の容赦ない飛び蹴りが俺の胸に突き刺さった。


「おいおいおいおい夏バテか! ちゃんとスイカ食ってんのかコノヤローッ! せっかくアタシが凱旋したってのにいい御身分だなぁオイ!」


 見下ろす獅子堂が暴力的な笑みを浮かべて拳を鳴らしている。

 ん? ってか凱旋って……。


「おう獅子堂。おまえ勝ったのか」

「あたぼー、楽勝楽勝! 柊なんざ片手で捻ってやったぜ! 片手打ちの上段だけにな!」


 面白くねぇ。獅子堂の背後にどこかぷりぷりと怒っている水瀬と雅坂がいた。


「先生、遅刻やで!」

「うふふ、でもそんなずぼらな先生だからこそ、いざという時に光るものが……」

「遅刻は本当にすまん。ところで雅坂、びっくりすることってこれのことか?」


 獅子堂の優勝報告。俺としては勝ってくるだろうと思っていたからあまり驚かないのだが。むしろ、開けた瞬間のドロップキックの方がびっくりした。


「ああ、いえ。びっくりすることというのは──」


 雅坂と水瀬の視線が、道場の奥に向けられる。

 ん? なんだと思っていると、防具などを置いているところから「失礼します」と言って姿を見せたのは──なんと、天凛の制服を纏った柊だった。


「おまっ……え? は? なんで?」

「こんにちは。二学期から天凛高校へ転校することとなりました。不束者ですが、末永くよろしくお願いいたします、剣一先生」


 恭しく正座で三つ指をついて深々と頭を下げる柊。いや、それ新婚の挨拶じゃん。


「私は福岡の大会で獅子堂さんに敗北しました。よって、先生を獅子堂さんから奪い取るような真似はしないと誓いましょう。ですが、私は先生を諦めきれなかったので、つい」


 つい、じゃねぇよ。こっつんこ☆って自分の頭を叩くな。


「奪い取るのではなく、シェア。それが獅子堂さんと話して辿り着いた結論です。であるならば、より密接に関われるように、私が天凛へ転校するのが合理的かと思いました」

「いや、あの、え、えぇ~……?」


 もはやどこからツッコめばいいのか分からねぇ。


「いやぁ~、愛奈ちゃんと一緒に道場に来たときはホンマにびっくりしたで」

「ええ。先生を驚かせようと、来るまで黙っておいてほしいとは彼女の言です」

「てへっ☆」


 てへ、じゃねぇよ柊コラ。マジでびっくりしたわ。

 しかし、水瀬も雅坂も、驚きつつも受け入れる態勢みたいだし。


「ちなみに、私の方からもお近づきのしるしにと思いまして」


 言いながら柊が取り出したのは、有名店のチョコレートだった。


「うわぁ! 美味しいヤツやん! ええの? けっこう高かったんやない?」

「ご心配なく。家計の負担にはなっておりません」


「まぁ、これはこれはご丁寧に……見どころがございますわね」

「そして、これは先生に」


 俺には違う袋を持ってくる柊。……手作りチョコ?


「たーっぷり、愛情を込めて作らせていただきました。どうぞご賞味くださいね」

「お、おう……ありがとう」


 なんでだろう。なんか背筋がゾクッとした。食うなと俺の本能が告げている……。


「柊、着替えて来いよ! 稽古しようぜ!」

「そうですね。少々お待ちください皆さま。道着に着替えてきます」


 いってらっしゃ~いと告げる水瀬と雅坂。


「いやぁ、一時はどうなるかと思ったけど、ええ子そうやんな柊さん」

「そうですわね。ですが、いいんちょさんは小判鮫って言われてたのは良いんですの?」

「ええよええよ。引き分けまで追い込んだし、ウチの寛大な心で流したる」


 ふんす、と胸を張る水瀬。

 柊が良い子、か。いや、そうかもしれねぇけどよ。

 でもこの渡されたチョコから闇のオーラを感じるんだよなぁ。怖くてしょうがねぇ。


 百獣の王、教師狙いの女生徒、実は喧嘩最強のバイオレンス風紀いいんちょ。


 これだけでもお腹いっぱいだってのに、トンデモサイコパスが追加されちまった。問題児が、増えちまった……。この先どうなるんだろうな、俺は。


「っしゃーッ! オッサン来たし、稽古しようぜ稽古!」

「獅子堂さん、今日は私が勝ちますから」


 着替え終わった獅子堂と柊が道場にやってくる。


「雅坂さん、ウチらも準備しよか」

「そうですわね。ワタクシももっと出小手に磨きを掛けませんと……」


 四人が横一列に並んで着座し、胴と垂れを着けていく。


「どしたセンセ? やろうぜ」


 その中で、一番右に座る獅子堂が振り向いて俺に告げた。


「今日も稽古、よろしくな!」


 太陽のように眩しい笑みで、そう告げた。


「……ああ、分かった。稽古しようか」


 俺は生徒たちの期待に応えるべく、四人の正面に着座する。


「黙想ォォ────────────ッッ!」


 俺の声が道場内に響き渡る。

 目を閉じて、精神を落ち着かせる。日常から剣道に切り替わる瞬間だ。

 この時に吹く風が好きだ。この時に感じる空気が好きだ。


「止めッ!」


 目を開ける。四人の教え子を見渡す。

 全員が──夏の気温にも負けないほど熱いまなざしで、俺を見ていた。


 宝物と言える教え子たちが、俺との稽古を望んでいる。

 この先の未来に何が待っているんだろう。

 年甲斐もなく、ワクワクしている自分がいた。


 新たに一歩を踏み出した俺たちの剣が描く未来は、きっと無限の可能性に満ちている。

 俺はおっさん。二十九のおっさんだ。ロクな実績もない指導者だ。


 それでも──子どもたちと共に歩む未来だけは、守っていかなくちゃあな。




 それが俺の、剣道ならぬ剣導だ。




「稽古を始めるぞ。正面に、礼ッッ!」

「「「「お願いしますッッ!」」」」


 四人の元気な声が、道場内に響き渡った。



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