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第37話:見ててヒーロー

 ──この二か月間ずっと、水瀬には獅子堂の稽古相手になってもらっていた。これは微かな可能性として考えていた対柊戦においての予行演習も兼ねていた。


 右片手上段も基本的には上段と同じだ。ただ最短距離にある小手の位置が左右逆ということだけ。柊の右腕がどれだけ神がかっていようとも、そこは変わらない。


 だから、結局のところ警戒するべきは初撃だ。一撃目を捌く。できれば受け流す。そうすることで発生する切り返しのコンマ数秒の遅れを拡大させていけばいい。そう伝えている。伝えているから。





 柊の初撃で水瀬の面が打ち抜かれたのを、俺は信じられなかった。





「面アリィッ!」


 思わず立ち上がってしまった。

 それほどまでに、今の一瞬で起きた現実は空想じみていた。


 なんだ今の間合いは。二人の背丈はほぼ変わらない。いくら半身で打つ上段だからと言っても、開始線から一歩も前に出ずに跳躍して届くはずがない。


 柊のヤツめ、マジで潜在能力が底知れねぇ。指導していた時から思っていたが、アイツの才能は留まるところを知らなすぎる。


「……涼花」


 隣で獅子堂が呟いていた。歯を食いしばって、今にも再び泣き出しそうだ。


「どうしたのですか? 大口叩いてこの程度ですか?」と柊が竹刀を払いながら言う。


 しかし──俺は今の一撃で確信した。


「ハッ……ちょいと面喰らっただけや。まだ試合は終わっとらんぞ……ッ」


 柊よりも獅子堂の方が、打突スピードは上だ。

 水瀬が開始線で竹刀を構える。一切の闘気は衰えていない。おまえも気付いたか。


「なら終わらせてあげます」

「やってみぃや」


 今取られたのは獅子堂以上の間合いから打たれたからだ。だが、それはもうインプットしただろう。獅子堂の面打ちを散々浴びて来たおまえなら──、


「二本目ッ!」

「「ハァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!」」


 ヤツの打突を正確に捌くことも不可能じゃない。

 続けて飛来する稲妻の如き一撃。柊の手が、竹刀が消失したように見えた。


 並みの剣士なら反応することも不可能だろう。しかし──、


「シィッ!」


 水瀬は竹刀の側面、鎬の部分で柊の打突を受け流した。

 そのまま振りかぶり、攻勢に出てがら空きの面を打ち抜く。


「へぇ、驚きました」


 だが、柊の足捌きが速過ぎる。水瀬の打突は竹刀の根元でしか面を捉えられなかった。これでは一本にならない。鍔迫り合いへ移行する。


「ここまで綺麗に捌かれるのは久方ぶりです」

「こちとら、とんでもない猛獣を相手にしとったからなぁ……」


「なるほど。そういえば獅子堂さんも上段でしたね。多少耐性がありましたか」


 柊の竹刀の持ち手が変わった。柄頭から鍔元へと。あの位置は間合いが狭くなるものの、小回りが利く。マズい、打ってくるッ!


 柊の体重が僅かに後ろに乗った。拳一つ分程度の空間が生まれる。


「テ、リャァッッ!」


 その小さな空間を、柊の竹刀が斬り落とした。微かに反応できた水瀬が有効部位から打突を逃がす。肘に直撃していた。微かに重心が右に傾くが、残心で後退する柊を追う。


 滑るように停止する柊。その間に元の柄頭まで持ち手を戻していた。

稲妻が充填される。


 追撃に掛かる水瀬を重い一撃で迎撃する柊。しかし、水瀬は真正面から向かうのではなく、微かに左──柊から見たら右側に向けて足を捌きながら接近していた。


「小賢しいですね」


 右片手上段は右腕で頭上に構えるので、必然的に右側が死角になる。


 視界に入れるには体を捻る必要がある。柊の打突がワンテンポ遅れた。水瀬が正確に対処する。しかもただ流すだけじゃない。柊の力が内側に流れるような捌き方だ。


「……チッ」と舌を打つ柊の表情が見えた。


 やはりだ。アイツの右腕がどれだけ鍛えられたものだとしても、遠心力や物理的な死角には半歩遅れる。それでも背筋が震えるほどの速度だが、コンマ数秒遅れるのは確実だ。


 そこから、シロアリが家の柱を崩すように少しずつ決壊させていく。

 もう一本も取られてはならない極限状態かつ、制限時間もある中で。


 水瀬が打突する──と見せかけ、刃を上に向ける形で打突を封じる。


 そのまま一歩小さく、されど鋭く間合いを詰める。上段の射程範囲を超え、中段でも対応できる距離にまで攻め入った。柊の体が一瞬だけ硬直する。その隙を水瀬が穿つ。


「小手ェアッ!」


 鍔に直撃。再び鍔迫り合い。今度はすぐに水瀬が間合いを切った。鍔元に持ち直した瞬間の柊が再び反応に遅れる。


「せ、らぁッッ!」


 防御に回られる前に竹刀を打ち払い、そのままの流れで面を打ち抜こうとする水瀬だが、鍔元に持ち手があって小回りの利く状態である今の柊にそれは悪手だ。くるりと一回転する柊の竹刀。水瀬の面打ちを躱しながら出小手を放つ。旗は一本だけだった。


「あ、ぶないですわ……ッ」


 雅坂が頬を引き攣らせた。俺も一瞬息が止まった。しかし、水瀬は怯えない。勇敢に最強の敵へ立ち向かっていく。大好きな幼馴染のために、気勢を振りかざしながら。


 荒くなっていく二人の呼吸が、手に取るように伝わってくる──。


「涼花のヤツ……柊と、戦えてる……」


 隣で獅子堂が目を丸くしながらぼやいていた。


「獅子堂。おまえは練習試合の時に、団体戦は好きじゃないって言ってたな」

「な、なんだよ急に……」

「結局個人戦を繰り返すから……ああ、そうだろうよ。おまえの言い分は合ってるよ」


 全国の上位五人を集めたら、そのチームは最強だ。


「見てみろよ。おまえが先鋒で負けてしまって、作戦がめちゃくちゃだ」


「……ごめん」とかつての姿とは思えないほどしょぼくれる獅子堂。


「でも、雅坂が取り返してくれた」

「──」

「そんで今、水瀬が雅坂のつないでくれた希望を、さらに託そうとしている」


 誰に? と獅子堂が問うた。


「決まってんだろ、おまえにだよ」

「は? アタシはもう終わって──」


「代表戦だ。準決勝でやったろ」

「……あ」


「ここで水瀬が引き分ければ、スコアは完全に同じ。準決勝と同じく代表戦だ」


 そう──柊がどこで出てくるか。それを考えた時、俺は代表戦の可能性を考えていた。

 柊が先鋒で来たらガチンコ勝負だった。中堅で来たらこっちの読み通りだった。


 そして大将で来たら──俺の保険が活きるかもしれない、と考えていた。

 獅子堂を先鋒で出したのはこれが理由だ。


 ハッキリ言おう。獅子堂と柊が先鋒でぶつかったとしたら、勝てる確率は三割以下だった。だが、俺の仕込んだ保険が発動された時、その勝率は五分以上にまで跳ね上がる。


 俺は知っている。

 柊は体力がない。


 練習試合でもそうだったが、アイツの試合時間はいつも短い。

 なまじ強すぎるから、いつも相手を瞬殺してしまう。


 それはつまり、試合時間ギリギリまで戦う経験がほとんどないということだ。試合特有の体が重くなる感覚、本番の緊張、肺が引っ張られ呼吸しづらくなる息苦しさ、終盤の体が燃え上がる錯覚──その経験が、柊にはほとんどない。


 ここで水瀬が一本を取って、代表戦にまで持ち込めたら、先鋒から体力を回復させた獅子堂と、連戦で体力を摩耗した柊の一騎打ちになる。さらには柊からしたら雑魚と見下していた相手に並ばれたことによって発生する精神的負荷も追加できる。


 ここまでやって、ここまでやってようやく五分なんだ。

 だから頼む、水瀬。どうか獅子堂までつないでくれ。


「水瀬はそれを分かってる。だからつなごうとしてる。勇気振り絞っておまえのために」

「……涼花」


 獅子堂の瞳が濡れる。そのまなざしは、まっすぐに奮闘する幼馴染を見つめていた。


「うああああああああああああああああああああああああああああああッッ!」

「忌々しい小判鮫がァッッ!」


 白線の内側で繰り広げられる打突の応酬は、もはや喧嘩に近かった。譲れない想いが二人の中にあるせいで、一撃に重みがある。直撃するたびに二人の表情が歪んでいく。


 格上である柊は、このまま一本勝ちで逃げ切ることなどプライドが許さないだろう。だから仕留めに掛かってくる。どれだけ体力を削ろうとも、ここで勝ち切るつもりなのだ。


 対して、降り注ぐ雷撃の中、皮膚を焼き焦がしながらも曇天を突破するために歯を食いしばって攻勢に出る水瀬。拮抗したかに見えた打ち合いは、されど天秤を傾けていく。


 両手を使える水瀬が、片手の柊に追い込まれていく。


 飛来する雷の一撃。受けた水瀬の膝が折れる。限界か──ここまで無酸素に近い運動を一分以上繰り返していたのだ。瞬きすら許されないような落雷の中、よくぞ持ち堪えたと言ってやりたいが……と歯噛みした瞬間、


「涼花、頑張れぇぇ────────────────ッッ!」


 獅子堂が声を張り上げた。審判が睨むように獅子堂を見ていたが、お構いなしだ。


「負けるな、踏ん張れ涼花ぁッ! おまえはヤンキーすら恐れる風紀委員長だろォがッ!」


 喉を裂くような必死の叫びが、水瀬に伝わったのかは分からない。

 だが、俺は見た。水瀬の体から、凄まじい闘気が膨れ上がるのを。


「────ッッ」


 跳び込んでくる柊に対し、一切臆せず真正面から迎え撃つ水瀬。

 ほんの僅かに躊躇すれば、間違いなく試合は終わっていた。


 だが、水瀬は荒れ狂う稲妻に跳び込み、面同士が擦れ合うくらいの距離で──、


「一つええこと教えたるわ、柊さん」


 左腰が回る。左腕が回る。


「ウチな、不良を力づくで抑えるために選ばれた風紀委員長やねん」


 回旋の力が加わった水瀬のボディブローもとい、強烈な体当たりが柊を宙に浮かせた。


「ごは……ッ」


 胴越しでも内臓に響いたのだろう。着地した柊が踏鞴を踏んで後退する。

 このバイオレンスいいんちょめ。下手したら反則だぞ。


 だが、教科書にない攻撃をされた柊の体勢が崩れる。ここが千載一遇のチャンス。水瀬が最後だと言わんばかりに飛び込んだ。


「この……賢しらな真似をォッッ!」

「ぶっ飛べやァッッ!」


 柊の竹刀が加速する。水瀬の竹刀を追い越す勢いで。


 二人の打突には決定的な差があった。


 退がりながら、片手で打ち抜く柊。

 前進しながら、両手で打ち放つ水瀬。


 その状況の差が、とうとう二人の実力の差を覆した。


「メェェ───────────ラァ────────────────────ッッ!」


 柊の繰り出す稲妻を斬り落とし、ついに水瀬の打突が柊を捉えた。

 残心、文句無し。旗が上がる。赤三本──。


「この、小判鮫が……ッ」


 柊が唸るが、判定は覆らない。


「面アリッッ!」


 同時だった。試合終了の合図。すぐに消えた。場内が怒涛の歓声に包まれたから。


「……涼花ぁ」


 水瀬の一撃に込められた想いを受け取った獅子堂が、自分の胸を握り締めていた。


「獅子堂、伝わったか。水瀬の想いが」

「ああ、ああ……ッ! クソが。熱いよ。今、全身が……燃えてるみたいに熱い……ッッ」


 自分の胸に頭を埋めるようにして、獅子堂が口を戦慄かせながら、


「ありがとう……雅坂。ありがとう……涼花。ありがとう──センセ。アタシ、アタシ分かったよ。これが、誰かと一緒に戦うってことなんだな」


「それでいい。なら、後はもう分かるな?」


「おう……。このつないでくれた想いを、柊にぶつけりゃいいんだろ?」


「そうだ。代表戦……いけるか?」


「ああ。行かせてくれ。アタシが決める。決めてやるッ!」


 アナウンスが流れた。大将戦、引き分け。勝利数及び取得本数が同じのため、両校代表者による代表戦を行います。繰り返します。大将戦、引き分け。勝利数及び……。



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