──面の前に着座する。深呼吸して、心を整える。
手ぬぐいを頭に巻く。あの稽古から一度も巻いてなかったはずだけど、俺の手は迷うことなく作業を終える。面を着ける。視界に張り巡らされる鉄格子。自分の呼吸だけやけに大きく聞こえる感覚は、残念ながら忘れることのできなかった感覚だ。
紐を結ぶ。面の横で捩れないように注意を払う。後頭部で蝶々結びにする。結び目が縦にならないよう、下から紐を通すのがコツだ。
パン、と紐を引っ張れば、面の着装は完了だ。
小手を着ける。面越しに匂いを嗅ぐ。藍染と汗が染み込んでいる。くせぇ。だけど、懐かしい。思わず涙が出て来そうだった。
握ることと開くことしかできない手で竹刀を握り、右膝から立ち上がる。
道場に足を踏み入れる。
既に防具を着けた教え子が三人、待っていた。
「おせーぞ」と一際背の高い女子が、竹刀を肩に担いでいた。
「獅子堂、竹刀を担ぐな。喧嘩でもしに行くのかおまえは」
「へへっ、わりぃわりぃ」
三人の間を通り、振り向く。ここは上座と呼ばれる、指導者が立つ位置だ。
「待たせたな──こっから二か月、本気で稽古をつける。剣道ってのはより強い剣士と稽古を重ねることで、少しずつだが確実に伸びていく。安心しろ、俺はおまえらより強い。実績はロクにないが、これでも二十年以上剣道をやってきてんだ。経験が違う」
「カッ、すぐに追い越してやるよセンセ」
「ああ、それは楽しみだ」
じゃあ、並べと告げる。
稽古はやっぱ偶数じゃないとな。一人でも手持ち無沙汰を作るのはもったいない。
これからは、無駄な時間なんざ与えねぇからな。
「やるぞ。まずは切り返しから──始めッ!」
「「「やぁああああああああああああああああああああああああああああああッッ!」」」
踏み込む音と、竹刀が面を叩く音が、狭い道場に鳴り響いた。