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第28話:理事長

「獅子堂 愛奈を退学にする」


 理事長室に入った途端、いの一番に今の文句が飛んできた。

 何言ってんだ理事長。アンタが猶予は一年って言ったんだろうが──。


「逆らうのならクビだ」


 教師たちを掻き分けて奥へ進むと、俺が頭に描いていた理事長はそこにはいなかった。代わりに機械みたいに感情のない面を貼り付けた、異様な雰囲気を放っている男がいた。五分刈りの頭に緑のスーツ。目は窪んで周囲は若干黒い。どこか不気味さも併せ持っていた。……今までの理事長じゃない?


「霧崎先生、つい先日、この方がウチの高校の理事長に新しく就いたそうです」


 教えてくれるのは狐島教頭だった。しかし、どこか慌てた様子なのが気になった。


「君が霧崎 剣一か……。私は辻本つじもと 康平こうへいという」


 自己紹介をされるが、その目つきは尋常ないほど鋭かった。

 まるで仇でも見るような目じゃねぇか。俺この人になんかしたかよ。


「ちょいちょいちょい新理事長サマよ。獅子堂が退学ってどういうことですか」


 理事長のデスクに手をつく。座っているコイツを見下ろす形になった。


「言葉の通りだ」

「獅子堂が退学になるかどうかは、剣道部で更生できるかどうかでしょうが。前の理事から聞いてないんですか?」

「──ヌルいな」


 声のトーンが一層低くなった。地の底から呻く風のような。


「ヌルすぎる。そんな悠長なことをやっているから、この学校は底辺なのだ」


 底辺と言われ、ムッとした顔になる狐島教頭。


「私はこの学校を改革しに来た。何年も県内の地べたを這いずりまわっているこの高校をな。手始めに、過去一度でも悪評があった生徒をすべて退学にする。獅子堂 愛奈はその筆頭だ。今すぐ、今日付で退学にする」


 反論しようと息を吸った俺よりも早く、狐島教頭が新理事に訴えかけた。


「おかしいです! 県内最低偏差値なのは私たち教師陣の実力が不足しているからです! そのことを棚に上げて子どもたちを排斥するだなんて、あなた本当に教育者ですか!?」

「今は教育者だが──元々私は警官だった」


 教師たちが息を呑んだ。


「一人が好き勝手な行動をすれば、自分が守るべきもの──国や家族、恋人や財産といったかけがえのないものが失われるのだ。よって、可能な限り不穏分子は排除せねばならん。いざという時に足を引っ張られてはかなわんからな」

「ここは学校だ。育てる場だ。戦場じゃないですよ」


 反論するが、この新しい理事長サマは鼻で笑い、


「組織、という意味では一緒だよ霧崎 剣一。現に、一部の不良たちがこの学校の評判を落としているじゃないか。癌なんだよヤツらは。他の生徒への授業効率の妨げになる」


「……効率とか、そんなもんが子どもよりも優先順位が高いと?」


「そうだ。一%の癌を取り除けば九十九%の正常な細胞がより効率よく生き残る。であれば取り除くのに躊躇うはずがなかろう」

「さっきっから聞いてりゃ獅子堂が癌だのなんだのって──」


 アイツがどうしてあんな風になっちまったか、ロクに知りもしねぇくせに。

 思わず拳を握っていた。狐島教頭が俺の手を取って御しようとした瞬間だった。


 理事長室の扉が開け放たれた。

 メイド服姿の獅子堂がそこにいた。おまえ着替えてねぇのかよ。


 今すぐにでも怒鳴りつけてやりたい表情をしていたが、獅子堂は歯を食いしばって「失礼、します」と一礼をした。


「……なんだねその恰好は」

「ほっといてください。ってかなんすか。アタシが癌? なんで分かんすか。聞いた感じつい最近に就任したばっかじゃないんすか」


 口調は荒っぽいが、以前の獅子堂に比べればだいぶマシだ。

 っていうか、さっきの入ってきた時の態度。前ならコイツは……。

 そのことに気付いているからか、他の先生が驚いたような目で獅子堂を見ていた。


「確かに私が就任したのは最近だ。しかし、この学校に就任することが決まってから情報を集めた。多くが貴様の悪評だったよ。貴様がこの学校の評判を、評価を落としているのだ。であればその責任は取ってもらう。クビだ」


 息を切らせながら、春瀬と雅坂も合流した。二人は制服だった。ちょっとホッとした。


「愛奈ちゃんが、退学……?」

「納得いきませんわ」

「君らも剣道部か。確か風紀委員長の春瀬 涼花と、男性教諭からすこぶる評判のいい雅坂 志保だったかな。もったいない。君たちはもっと付き合う相手を選ぶべきだ」


 普段怒ることのない雅坂が、明確な怒りを示した。


「ワタクシ、先生という職業に従事する方は好きですけど、あなたのことは嫌いですわ」

「ウチも。ひっさびさにカチンと来たわ」

「やれやれ。朱も混じれば赤になるというが、これはその逆だな」


 呆れたように首を振る新理事長に向けて、獅子堂が一気に詰め寄った。


「上っ面だな。上っ面だぜおっさん。アタシゃそういう人の表面しか見ないような大人が世界で一番嫌いなんすわ。評判だの噂だの、ソイツの本質ってのに触れようともしねぇで分かった気になりやがって。そんなヤツに好き勝手されるくらいなら死んだ方がマシだ」


「君は子どもだな」

「あぁ?」


「人がいきなり人の本質に触れられるはずがなかろう。評判、噂、第一印象……そういったフィルターを通して他者を、世界を見るのだ。その評価が悪い時点で相手にもされん。だから大人は身だしなみを整えるのだ。霧崎 剣一のような無精ヒゲなぞ論外だ」


「「先生のヒゲはカッコイイですッ!」」


 春瀬と雅坂が全く同時にそう言い放った。恥ずかしいからやめてくれ。

 だが、新理事長サマは無視した。


「いいかね。組織の評価というのはだな、どれだけ優秀な人間がいるかで決まるのではない。どれだけ無能な人間がいるかどうかで決まるのだよ」

「アタシが無能って言いたいんすか」


「無能だけならまだいいがな。何度も言っているだろう。君はこの学校の癌だ」


 沈黙が挟まる。残酷な言い分に、誰もが口を開く気力すら削がれているようだった。

 大人たちは動けない。そりゃそうだ。この新理事長の言っていることは、大人から見たら正しい。学校の評判を落とすような存在は、いなくなってくれた方が清々するだろう。


 俺も、知らなければそう思っていたかもしれない。


 でも、俺は知ってしまった。関わってしまった。それに、コイツは少しずつだけど変わり始めてる。授業に出るようになった。さっきの態度だってそうだ。牛歩かもしれないが、それでもコイツは良い方向へ変わろうとしているんだ。


「────、」


 反論しようと口を開きかけたところで、言葉に詰まった。喉が塞がったようだった。


 ──俺が、コイツを庇ってどうする? 指導する気力も湧いていないというのに。

 口を閉じてしまう。俯くと同時だった。獅子堂が代わりと言わんばかりに口を開いた。


「つまりアレっすよね? アタシがこの学校の評判を上げるような実績を残せばいいんすよね? やってやるよ。剣道だ。剣道でアタシゃ実績を残す」


「具体的には」

「おっさん、今度の大会っていつだ」

「……おまえたちが出れるような三人戦は、二か月後だ。おそらく、柊もそこで──」


 よしッ! と獅子堂が手を叩く。


「まず手始めにそこで優勝してやる。そして今後出る大会全部で優勝してやる。剣道が強ぇってんで入部したいヤツらが入学希望して新入生ドッサリだ。悪い話じゃねぇだろ」

「おま……ッ」


 無茶なこと言ってんじゃねぇ、と止めようとした瞬間、


「ふん、できるものならやってみろ。もしも失敗したら、私に逆らった罰として──」


 ──貴様と霧崎はクビだ。


「おぉッ! 上等だよやってやらぁ、なぁおっさんッ!」


 獅子堂が鼻息荒く俺に詰め寄るが、俺はそのまっすぐな目を直視できなかった。


「……、……そう、だな」


 それが精一杯だった。大人の愛想笑いで誤魔化すしかなかった。

 だが、獅子堂はピクリと片眉を上げて、


「……おっさん、ちょっと来い」


 俺の耳を摘まみ、とんでもない握力で引っ張っていった。


「いてぇ、何すんだおまえッ」

「うるせぇ、黙って来やがれ」



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