「獅子堂と春瀬は切り替えからの打ち込み稽古。雅坂は防具を着けて竹刀を振る稽古から」
三人が鋭く返事をして稽古に取り掛かる。
獅子堂が上段に構えて気勢の声を上げる。直後、春瀬の面を打ち込むが、
「うおっ」と慣れない間合いに戸惑ったのか、竹刀の根元で春瀬の面を捉えた。
「獅子堂、上段の間合いは思ってる以上に遠いぞ。いつもの間合いよりも広く構えろ」
「ちぃ……感覚が分かりづれーな」
文句を言いながらも、前進して春瀬の両側面を交互に打っていく獅子堂。春瀬は打突を受けるように左右交互に竹刀を配置しながら後退する。
「先生、あれは?」と雅坂。
「切り返しだ。切り返しには剣道の基礎が全て詰まっている。初心者から達人までみんなが大事にしている稽古法だ。いずれは雅坂もやるぞ。今は考えなくてもいいがな」
雅坂と同じ高さの位置に竹刀を横向きに構える。
「まずは大きく一歩を踏み出して面打ちだ。まっすぐ振ることを意識しろ」
「分かりましたわ」
雅坂が中段に構える。初めての防具だからか、肩に力が入っている。
「リラックスだ雅坂。力が入ってると打突が歪むのは知ってるだろ?」
はい、と小さく返事をして深呼吸をする。
そして、気勢を竹刀に漲らせ、
「やぁ──ッ! メェ────ンッ!」
バチーン、と俺の竹刀を打った。
「そうだ! その打った姿勢のまま足を捌け!」
雅坂の背中を優しく押すように足を捌かせる。
良い感じだ。この打突に慣れさせてから、実戦を意識した打突もさせていこう。
視界の端で春瀬と獅子堂の稽古を見る。春瀬が胴打ちを行っていた。
流れるような動きで獅子堂の胴を打ち、足を捌いていると──、
「あっ……」
袴が爪先に引っ掛かったのか、春瀬が唐突に転んだ。
瞬間、俺の背筋が途方もない恐怖に震えた。
「おいおい涼花、大丈夫かよ」
「たはは~……失敗してもーた。ありがと愛奈ちゃん」
獅子堂が呆れた声を漏らしながら春瀬の手を引き上げる──よりも早く、俺は春瀬の元へ駆け寄っていた。挫いたかもしれない足首を掴む。
「春瀬、大丈夫かッ! どこかケガしてないか! 捻挫でもしてたらすぐに氷で冷やさないと! 雅坂! 体育教官室から氷とバケツを! 獅子堂は椅子を用意しろ!」
心臓がバクバクとうるさい。どうにかしろと囃し立てているようだった。
その警告に従って俺が雅坂と獅子堂に指示を飛ばす。しかし、雅坂も獅子堂も呆気に取られたように動かなかった。何やってんだ馬鹿野郎。
「早くしろ二人とも! 取り返しがつかなくなる前に!」
「先生」
「処置は早くしないと後の回復に影響が──」
「先生ってば!」
耳元で怒鳴られる。この透明感に満ちた声は……春瀬、か?
「先生、ウチは大丈夫やで。どこもぐねってへんよ。ちょっと転んじゃっただけやって」
「そ、そうだぜおっさん……何をそんなに慌てて……」
「ワタクシは先生の意外な一面が見れてちょっとドキドキしましたけども」
「「雅坂(さん)は黙っとけ(てて)」」
んもう、と口を尖らせる雅坂。その姿を見て……スーッと心が冷静になった。
「……何とも、ないのか、春瀬」
「うん、おおきに。大丈夫やで。先生心配しすぎやって。嬉しいけどな」
何ともない。ケガはない。……ケガは、ない。
「良かった……」
長く息を吐く。心臓が慌てたことで発生したガスを抜くかのように。
「でも、念のため足首の様子を見せろ」
「それくらいならええよ。あ、でもここじゃ恥ずかしいから向こうで」
よし。なら万が一を考えて春瀬を歩かせるワケにはいかない。
お姫様だっこで抱えてやると、春瀬が一気に慌てだした。
「うわわっ! え、道着と防具着てるのに……ってかなんしとん先生!」
「喋るな、舌を噛むぞ」
「自分で歩けるから下ろしてくださいっっ!」
下ろすワケないだろ。喚く春瀬を無視して俺は道場を走った。
……ケガがなくて、本当に、良かった。