放課後。次の作戦を実行する。
「なんでロリコンおっさんがいんの?」
獅子堂は自分の教室──の隣にある空き教室の扉を開け、開口一番に嫌そうな顔で文句を漏らした。
そう思うのも無理はない。何故ならコイツは春瀬に呼び出されてここに来たからだ。
春瀬は紙コップに淹れた緑茶を飲んでいた。近くに俺と獅子堂の分も置いてある。
「決まってるだろ。俺が春瀬にお願いしたんだよ。あと、俺はロリコンじゃねぇ」
「堪忍な、愛奈ちゃん」
「はぁ? 涼花おまえ、このおっさんとグルかよ」
「うん、せやで。こっちもこっちで切羽詰まっとるからな」
目を閉じてそっけない態度を取る春瀬。
「んだと?」と幼馴染を睨みつける獅子堂。
二人の間に火花が散る前に、俺が手を叩いて注意を向ける。
「獅子堂、朝は言わなかったがな、実はおまえが剣道部に入部しないと……」
「剣道部が廃部になるんや」と春瀬が俺の言葉を代弁する。
「……なんでだよ」
「簡単な話だよ獅子堂。剣道部は今顧問がいない。人数もいない。このままでは廃部だ。しかし、俺が顧問をしておまえが入部すれば廃部から一気に遠のく。最低限の人数である三人まではあと一人必要だが、これはまぁ、追々集めればいいだろう」
「そゆこと。ウチを助けるって思って入部してや、愛奈ちゃん」
「ぬ、ぐぐぐ……」
葛藤するように呻く獅子堂。春瀬がこっそりと俺にウインクを飛ばしてくる。
これは春瀬にも手伝ってもらってこそ可能な作戦だ。獅子堂が自分と母親の側面から説得されても動かないのならば、獅子堂にとっての幼馴染の境遇から同情を誘う。
さぁどうだ? 俺が直接誘うよりも効果は覿面と見えるが。
「あ、アタシじゃなくたっていいだろ」
「嫌や。ウチは愛奈ちゃんとまた剣道がしたいんやもん」
「ぐ……」と少しグラつく獅子堂。ふむ、どうやら獅子堂の中で幼馴染を放って剣道から身を引いたことは、どこか後ろめたさを感じているようだ。
「そもそも愛奈ちゃん、
「辻本?」と聞き慣れない名前に思わず眉をひそめる。
「愛奈ちゃんが中学三年の時に、県大会の決勝で敗けた相手や」
「そ、それ言うなよ涼花!」
ああ、そういえば獅子堂のお母さんも言ってたな。県大会でも準優勝だったって。
「ほぉ、だったら尚更だな獅子堂。おまえ、ソイツに負けっぱなしでいいのか?」
獅子堂は呻きながらわなわなと震えていた。
「愛奈ちゃん、お願い」
追い打ちと言わんばかりに春瀬が下から手をすり合わせてにじり寄る。
きゃるん、って効果音が聞こえた気がした。声も飼い主にじゃれつく仔猫のように甘い。かわいいな。
「ぬぬぬ、ぬっが────────ッ! そうやって甘えれば何でも言うこと聞くと思うなよ! もうその手には乗らねぇんだからなッッ!」
しかし、会心の一撃かと思われた春瀬のアピールを振り切り、獅子堂が逃げていった。
だだだーっ! という足音がどんどん小さくなっていく。
「う~ん、あかんかったかぁ。ってなるとなかなか手ごわいなぁ」
「春瀬、ずいぶんと慣れた様子だったが」
「あ、はい! ああやって甘えれば愛奈ちゃんは『しょーがねーな』って悪態吐きながらもなんだかんだやってくれる……はずやったんやけどなぁ」
春瀬が腰に手を当てながら左右に体を揺らす。うーむ、幼馴染による獅子堂攻略作戦も通じないとなると、確かに説得には根気が必要そうだ。
「仕方ない、次の作戦に移ろう、春瀬」
「はいっ! えへへ、なんか楽しくなってきたわぁ」
春瀬が用意してくれた緑茶を片付けていると、部屋の外から足音が。
「あの、先ほど獅子堂さんが叫びながら走っていくのが見えましたが……」
ひょこ、とウェーブの掛かった髪を揺らしながら顔を覗かせたのは雅坂だった。
中に俺がいると分かるや否や、彼女は口の端を若干引き上げながら入ってくる。
「あらあら、霧崎先生でしたか。今朝ぶりですね。お疲れ様です」
「お、おう雅坂……これから帰るところか?」
できるだけ平静に返すが、内心では焦りを隠せなかった。
コイツも、獅子堂とは別のベクトルで問題児なのだ。
「ん~、そのつもりでしたが……霧崎先生と逢えたのなら話は別ですわ」
コケティッシュな流し目で見てくる。語尾にハートマークが付いてそうだ。
「先生、お時間があるのでしたらワタクシとデートに──」
「はぁ!? デート!?」と雅坂の艶やかな誘いに反応したのは春瀬だった。
「何言うてんねん雅坂さん! 先生と生徒がデートなんてあかん! ふしだらや!」
「あら、いいんちょさんこんにちは。なぜいけませんの?」
「いいんちょ言うな。だって、霧崎先生は先生やから──」
「愛の前にそんな文句は通用しませんわ」
「あ、愛ぃ!?」と大きく仰け反って掃除用具のロッカーに体をぶつける春瀬。
「み、み、雅坂さんは……霧崎先生のこと、好きなん……?」
「はい。それはもう」
屈託のない笑顔で雅坂が言い切った。ここまでまっすぐ宣言されるとさすがに照れる。
「あ、ひょっとしていいんちょさんも霧崎先生のことがお好きなんですか?」
「へ……」
「何言ってんだ雅坂。春瀬みたいな真面目な生徒が俺のことを好きだなんてそんなワケ」
ないよな? という意思を込めて春瀬を見つめると。
「…………、そ、そんなこと……」
なんで顔赤くしてんの?
「確かに、剣道部の危機を救ってくれようとはしとるし、手のマメもめっちゃすごいからなんちゃって顧問やないって分かるし……ヒゲ、カッコいいし……」
待て待て待て。なんでそうなる?
「あら、分かりますわ。先生の渋さを滲ませるおヒゲがたまりませんわよね!」
「そ、そうなんよ! 不潔感やなくて、こう……顔が濃い目やからか、外国人の俳優みたいってのはちょっと言いすぎかもやけど、ヒゲが違和感ないっていうか……」
「うんうん! 分かりますわ! あなたとはお話が合いそうですわね!」
「え、えへへ、そうかなぁ……」
春瀬ぇえええええええ! 籠絡されてんじゃねぇええええええええええ!
「ところで、獅子堂さんが逃げていったのはどういった事情でしたの?」
「あ、ああ。それなんだが……」
一つ咳払いをして雅坂にも事情のさわりを説明する。
「職員会議で話していた内容ですわね」
「そうだ。だから獅子堂に入部してもらうよう説得をしていたんだ」
「あ、雅坂さんも知ってたんだ」と春瀬が隣で呟いた。
「なるほど。事情は分かりましたわ。あと一人、必要なんですのね」
「まぁな。っつっても獅子堂が入部することが」
「ワタクシも入部しましょう」
「前提──……はい?」
「え?」と俺と同時に反応するのは春瀬だ。
「ワタクシも剣道部に入部すれば、廃部も回避できますわね」
その方が霧崎先生とより長く一緒にいられますし。という心の声が聞こえた気がした。
「……おまえ、獅子堂が怖くないのか?」
春瀬は幼馴染だ。俺は教師だ。しかし、雅坂と獅子堂には接点がない。普通、暴力事件を何度も起こしている不良と同じ部活になんか入りたがらないものだが。
「大丈夫ですわ。だって獅子堂さん、女子に手をあげたことは一度もないはずですの」
「──そう、なのか」
知らなかった。やっぱりアイツ……と俺が目を伏せた瞬間だった。
「ホ、ホンマに~~~~~~~~~~~ッ! 雅坂さん、ホンマに言うてる!?」
春瀬が雅坂にタックルする勢いで抱き着いた。
「ええ、もちろんですわ。前々から剣道といった武道には興味がありましたの。茶道や華道といった芸事と同じように、強さを持つ女性は魅力があると思っておりますし。──それと先生からの指導を直接受けられるとかご褒美ですわ」
もっともらしいことを言った最後になんか付け加えやがった。
「やったやったぁ! これで後は愛奈ちゃんだけや! ホンマにありがとう雅坂さん!」
「いいえ、お礼には及びませんわ。先生とイチャ……いえ、一緒にいられる場を下さってむしろこちらこそありがとうございますとお礼を申し上げたい気分ですわ」
「なんか聞こえた気がするけどまぁええわ! 先生! さっそく稽古しよ! 愛奈ちゃんもそれで来てくれるかもしれへんし!」
「お、おぉ。そうだな。次の作戦はそれにするか」
「行きましょ! わーい! 剣道部再開やで~~~~ッ!」
教室を飛び出す春瀬。さて、俺はどう指導したものかな。
まぁ、防具とか着けず、真っ向から受けてやらなければあんな事故が起きる心配もなかろう。それくらいは融通を利かせてもバチは当たるまい。顧問をするならそれなりにすることはしないと。
「──」
自然と、指導することが当たり前になっている自分の思考に驚いた。
俺は……また、指導してもいいのか? 前に進むことが、許されるのか?
自分のマメだらけの手を見つめながら考えていると、俺の袖を雅坂が引っ張った。
「先生、行きましょう」
「ああ……まぁ、その、ありがとうな雅坂」
「うふふ、どういたしまして」
腰を曲げ、唇に指を当ててウインクする雅坂。
まぁ、ここまで来て指導しない、は筋が通らないしな。春瀬や雅坂の期待に応えるためにも、一旦は自分の中にある戒めを考えないようにした。
代わりに、ポケットの中のタバコを触った。