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第12話:かつての教え子と

 ピッ、とスタートの合図を出す。生徒たちが一気に五十メートルの距離を駆け抜ける。


「はい、ペアのヤツがしっかり計れよー。一人あたり二回計測するからなー」


 新学期恒例のスポーツテストだ。一クラスずつ土のグラウンドに出て計測していく。


 こういう行事は小学生までなら楽しんでやれるものだが、高校生にもなると「だるい」だの「めんどくさい」だのといった愚痴が目立ってくる。


 どこの高校でもこうなんだが、特にこの高校はサボりたい欲求があからさまだ。


「おい、橋本! おまえ今明らかに手抜きで走ってたろ」

「えー、本気っすよー。俺足遅いんで~」


「ウソつけ。明らかに手を抜いてたろ。欠伸しながら走ってたじゃねぇか」


 サボって計測した男子に「次はちゃんとやれよ」と言っているうちに、生徒たちからどよめきが起こった。声を聞く限り、好タイムが出たらしい。誰だ?


「すげぇ、さすがいいんちょ。女子で六秒後半ってヤバくね?」


 六秒後半? 女子で? 凄まじいな……。


「やっぱあれじゃね? いいんちょって体の抵抗が少ないから……」

「おまえそれ絶対いいんちょに言うなよ? 絶対だからな? 絶対だぞ?」

「……なんかそう言われると言いたくなってくるんだよな」


 男子が盛り上がっている間を通り、体操服姿のいいんちょ──春瀬の元へ歩み寄る。


「春瀬。おまえとんでもなく足速いな」

「あ、先生! えへへ、おおきにです~」


 照れながら首の後ろを撫でる春瀬だったが、「でも……」と言葉を続けて、


「ウチより愛奈ちゃんの方が足速かったんですよ」

「え、マジか。獅子堂そんな速いの?」


「はい。……速かった、ですけど」

「あ……」


 アキレス腱の断裂。昨日会った限りではおそらく走れるくらいには回復しているのだろうが、それでも全盛期の速度を出せるかと言われたらそうじゃないだろう。


「今日、獅子堂は?」

「ん~、来てへんみたいですよ。またサボりかなぁ」


「そうか……ところで春瀬、この五十メートルで今日のおまえのスポーツテストは終わりだが、少し時間はあるか?」

「はい。ありますよ。どうしたんですか?」


「実はだな……」と今朝の職員会議で起こった顛末を話す。


 すると、春瀬は真っ青な顔になった。


「愛奈ちゃんが、退学……」

「まだ決定じゃない。回避の条件は剣道部に入部させて、実績を出すこと、授業にもちゃんと出て教師たちにも評価されること。そうなれば、剣道部も獅子堂も危機を避けられる」


「あ、先生ひょっとして」


 ハッとした表情で俺を見てくる春瀬。


「ウチのために……?」


「まぁ、結果的にそうなったと言える、な。少なからず、一人でも稽古に励むおまえに感心していたというか、どうにかしてやりたいという気持ちはあったから……」


「せ、せんせ~~~~~~っ!」


 女子とは思えぬダッシュで俺の鳩尾に頭突きをかます。息が詰まった。


「ありがとうございます! ありがとうございます! ウチ、めっちゃ嬉しいです! 愛奈ちゃんとは中学から稽古してなかったから……もうずっとできないままなんじゃないかな、ってぇ……ウチが何度説得してもダメやったからぁ……」


 ちょっと涙声になってる。マズいマズい。生徒に抱き着かれて泣きじゃくられている場面を他の生徒に見られてみろ。絶対悪い意味に解釈される。


「決めました! ウチ、この恩に絶対報います! ウチにできることがあったら何でも言ってください! 喜んでやらせてもらいます!」


「分かった。分かったから、離せ春瀬」


 そうやって揉めていると、昇降口の方に人影を見たような気がした。


「……あれ、獅子堂じゃね?」

「え、ホンマですか?」


 獅子の鬣を彷彿とさせる長い茶髪、腰つきの見える短い裾の黒セーラー、足首まで隠れてるロングスカート、そして何より異様な存在感を放つ長身。間違いない。獅子堂だ。


「ちょっと行ってくる。スポーツテストの指揮は春瀬に任せてもいいか?」

「はいっ! 学級長にお任せを! 先生は愛奈ちゃんをお願いします!」


 頼もしい。春瀬は本当に絵に描いたような優等生だなぁ……。

 春瀬に感謝を述べながら、下駄箱の並んでいる昇降口まで向かう。


「おい、獅子堂!」


 角を曲がろうとしたところで呼び止める。獅子堂は心底面倒くさそうにこちらを向いた。すると、


「げっ、おっさん……」と苦虫を嚙み潰したような顔をした。


「おっさん言うな。俺ァまだ二十九だ」

「十分おっさんだっつーの。何の用だよ」


「生徒の遅刻を教師が注意しに来たんだよ。なんで遅れてきた」

「めんどくせぇからだよ」


 嫌悪感を隠そうともせず、ため息をつく獅子堂。


「そうか。だけどな、もうめんどくせぇとか言ってられねぇ状況になってんだよおまえ」

「は? 何が」

「おまえ、退学になるかどうかの瀬戸際だぞ」

「……なんで。まだ出席日数は問題ないだろうが」


 コイツ、出席日数とかはちゃんとカウントしてたのか。小賢しいヤツだ。


「昨日の暴力事件が引き金になった。一年の頃から結構暴れてたらしいな。とうとう堪忍袋の緒が切れたお偉いさんがこぞっておまえを退学にしようとしてやがる」

「……くそだりぃ」


「だが、俺が交渉して退学を保留にしてもらった」

「あ? なんでアンタが噛んでくるんだよ」

「それはまぁ、置いといてだ。おまえが退学を回避するためには……」


 一呼吸置く。さぁ、これを聞いておまえがどういう反応をするか。

 ぶっちゃけ、分かってはいるんだが。


「──剣道部に入って、真面目になったと周囲の先生たちに証明しなければならない」

「いや意味分かんねぇわ」


 だろうな。


「なんで? なんで剣道? ってか剣道やってどうしろってんだよ。アタシがもう剣道やらねぇのは、プライバシーガン無視の家庭訪問やって知ってんだろ?」


「ああ知ってる。だからこそだ。おまえはケガを負ってもエネルギーが有り余ってるみたいだからな。剣道にそのエネルギーをぶつけ、実績を出して、周囲の先生を黙らせるんだ」


「やだよ。剣道はもうやんねぇっつぅの」

「じゃあ退学になるぞ」

「……それでもいいよ」

「おまえの母さんは悲しむんじゃないのか?」

「──ッ、母さんは関係ねぇだろ!」


 あからさまに血を頭へ上らせ、獅子堂が俺のジャージの胸倉を掴んでくる。


「剣道をやめて、何度も停学なって、今度は退学か? 親不孝この上ねぇな」

「っせぇなァ……その口に拳ねじ込んで塞いでやろうか、アァ?」


「勘弁してくれ。俺に女子高生の手を舐める趣味はねぇ」


 無理やり手を切る。左の瞼をヒクつかせ、獅子堂が今にも殴り掛かってきそうだった。


「とにかく、おまえは剣道をするしかねぇ。しかし、俺としても強制するのは気が重い。だからおまえが自分から出向いてくれるよう説得を続ける」


「やってみろよゴラァ……アタシはもう剣道やんねぇからな。ってかなんでアタシにそこまで構うんだよ。アタシのこと狙ってんのか? このロリコン野郎」


「アホか。おまえみたいな一回り近い年下の暴力女なんぞに興味はねぇ。俺はもっとボンキュッボンで余裕があって甘やかしてくれる年上のお姉さんが好きだ」


「う~っわ、きっも。マジで近付いてくんじゃねぇ」


 怒りから一転、顔を真っ青にして本気で引き、サッサと歩き去る獅子堂。

 俺がおまえを説得しようとしている本当の理由なんざ、言えるワケねぇだろ。



 かつての教え子とおまえを重ねているだなんて、口が裂けてもよ。



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