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第11話:雅坂

「やっ、ちまっ、た~……………………」


 職員会議が終わり、俺は特別指定されている喫煙場所で火の点いたタバコを指で挟みながら蹲っていた。


 マジでやっちまった。なんであんなこと言っちゃったかな。俺そもそも生徒に剣道を教えることから離れるって決めたばっかじゃねぇかよ。言ってることとやってることめちゃくちゃじゃねぇか。


 ……あの場はとにかく獅子堂を退学にさせないことに全力だった。後のこととか、俺のこととか考えている余裕はなかった。だから今後悔してるんだが。


 ってか社会人としてあの態度はねぇわ。反抗期のガキかよ。自分で自分の首絞めてんじゃねぇか。


 今後この学校で仕事しづらくなっちまった。他の教師は俺のことを理事長に喧嘩を売ったヤバいヤツとして認識してるだろうから、関わりを持とうとするはずがない。


「はぁ、マジでどうしよ」


 赴任二日目にしてお先真っ暗なことに絶望していると、「霧崎先生!」と大きな声で名前を呼ばれる。笑顔を浮かべる余裕もないまま顔を上げる。そこにいたのは狐島……もとい女狐教頭だった。


「教頭、アンタ──」

「ごめんなさいっ!」


 全部分かってたのか、と問おうとしたが、唐突に頭を下げられた。


「新しい先生が来るということで、私、霧崎先生の身辺調査をさせてもらってたんです。だから、前の高校であなたに何があったか、全部知ってたんです。獅子堂さんの事情と、霧崎先生の事情が重なっていることで、きっと獅子堂さんが変わるきっかけになるんじゃないかって考えていたんです!」


 やっぱりそうか。


「……怒ってますか?」

「当然でしょ。よくもまぁ掌で転がしてくれましたね」


 ガシガシ、と頭を掻く。狐島教頭はバツの悪そうな顔でこちらを見ていた。


「結局アンタも責任を負いたくなかっただけじゃないすか」

「それは違います!」


 顔を近づけて、必死に訴えてくる。


「確かに……霧崎先生からしたらそのように見えるかもしれませんが、私も私なりに、この話に責任を背負おうと思っています。こちらをご覧ください」


 狐島教頭が一枚の紙を取り出した。突き付けられた紙に目を通す。


「……マジで言ってんすか」


 書かれている内容をまとめると、俺の意見は教頭の考えを代弁したものであり、もしも俺が失敗したらクビになるのは俺ではなく、狐島教頭になるといったものだった。


「ですので、どうかよろしくお願いいたします」


 ……なんてこった。職員会議が終わった後に理事長へ伝えていたのか。ご丁寧に理事長の印まで捺されてるし。


「どうしてここまでしてくれるんですか?」


 というか、獅子堂個人に。教師としては鏡のような在り方だが、ハッキリ言って度が過ぎているような気がしないでもない。


 すると、狐島教頭は困ったような笑顔を浮かべ、


「……私は、勉強ばかりで部活動に打ち込むということができませんでした」

「え?」

「隙あり、ですよ」


 先生の呟いたことの意味が分からなかったので顔を近づけた瞬間、狐島教頭は慣れた動きで左手を振り上げ、俺の額に手刀を当てた。さながら剣道の面打ちのように。


「──今の、動き」

「そういうことです。まぁ、体も小さかったし、運動神経も悪かったので戦績は良くなかったんですけどね。剣道を続けるより、勉強に専念することを親から強要されたんです。だから私は……私の好きな武道に打ち込める人を応援したいんです」


「……」


「よろしくお願いします、霧崎先生。私のしたかったことを、あなたが叶えてください」


 狐島教頭が背を向ける。ゆっくりと歩いていく後ろ姿には、微かな未練が滲んでいた。


「……ありがとうございます」


 足音が遠ざかっていく。聞こえなくなるまで俺は頭を下げ続けていた。

 ──獅子堂の母親と春瀬、そして狐島教頭。色んな人の想いを背負ってしまった。なんで……俺なんかに託すんだろうな。俺はかつて、教え子を傷付けたというのに。


 俺に剣道を教える資格があるかどうかも怪しいのに。


「でも……やらなくちゃいけないんだろうな」


 獅子堂の母の心労を解消してやるために、獅子堂に再び剣を握らせるために、

 そして、狐島教頭をクビにしないために。


「さて、とりあえず授業が始まっちまう。動き出すのはそれから──」


 と、頭を上げて教室へ向かおうとした時だった。


「先生、おはようございます」


 左の廊下からどこか艶っぽさを感じさせる声。聞き覚えがある。

 首を向けると、昨日会った上品な生徒がいた。


「おお、確か雅坂だったか。おはよう。もう授業始まるぞ」

「ワタクシの名前を知ってくださっていたんですね。嬉しいです。授業には間に合うように戻りますわ。しかし、霧崎先生はワタクシのクラスの担任ではなかったのですね」


「ん? ああ、そういえばそうだったな」

「先生のクラスには、獅子堂さんがいらっしゃるようで」


 知ってるのか。やっぱり有名人なんだなアイツは。多分悪い意味でだろうが。


「いるぞ。アイツ、初日からサボりやがった。今日もサボりかもしれん。まったく、雅坂の品行方正さを見習ってほしいもんだよ」


 おどけてみせると、雅坂は「ふむ」と思案するような顔をして、


「……霧崎先生は、獅子堂さんのことがお好きなのですか?」

「ぶふっ!」


 何を言い出すんだ急に。思わず吹き出しちまったじゃねぇか。


「ンなワケあるかっ! なんで急にそんな言葉が飛び出してくるんだ!」


 咳き込みながら否定すると雅坂は小首を傾げて、


「だって、職員会議であんな熱心に獅子堂さんのことを庇うものですから。てっきり」


 え? 聞こえてたの?


「でも、そうですか。霧崎先生は別に獅子堂さんのことが好きではない、と」

「当たり前だろ。俺は先生だぞ。生徒に恋愛感情なんか持たねぇよ」


「他に好きな人がいらっしゃるとかでは」

「ハッ、おいおい止してくれ。こんなナリの男に女っ気があると思うか?」


 言ってて悲しくなるな。ロクな女付き合いなんかしたことねぇんだよ俺ァ。

 明後日の方向を向いて悔し涙を流していると、雅坂が「でしたら」と手を叩き、




「ワタクシが霧崎先生の恋人に立候補してもよろしくて?」




「──、────は?」


 今なんつった?


「霧崎先生の恋人に立候補してもよろしくて?」


 満面の笑みで繰り返す雅坂。どうやら俺の聞き間違いではなかったらしい。


「アホかッ! 先生と生徒が恋人になんかなれるワケねぇだろ! いいか、アイム・ティーチャー! ユー・アー・スチューデント! オーケー?」

「ノーっ! ですわ!」

「ですわ、じゃねぇ!」


 百点満点の笑顔で拒否ってんじゃねぇ。 


「ふふふ……」


 妖しく笑いながら手帳を取り出す雅坂。いかん、俺の中の『良い子』の理想像が木っ端みじんに砕けようとしている。なんだ? 俺は今夢を見ているのか? 


「霧崎先生は今年からの赴任で要チェックとは思っていたのですが、見た目のだらしなさやずぼらさからは想像できないほど教育に熱心な方なのですね。あの獅子堂さんのために行動しようというのですから。これまでリサーチした男性教諭にはないパッションですわ」


 ペラリとめくり、俺からしたら呪詛にしか聞こえない言葉を並べる雅坂。


「これが……ギャップ。油断してましたわ。まさかこんな秘密兵器を隠し持っていたなんて。頼りなさそうな教師がここぞとばかりに生徒のために奮い立つその姿! ああ、職員室の扉をあそこまで恨めしく思ったことはございません! その時の霧崎先生の表情をお写真に収めたかった! きっと、覚悟に満ちた素敵な顔をしていたに違いありませんっ!」


 聞き取ることが困難なほどに早口でまくしたて、雅坂が俺に背を向けて両腕を広げる。


「ああ、教師って……ス・テ・キ」


 時間が停まった。俺は自分で自分の舌を噛んでみる。痛かった。夢じゃないらしい。


「というワケでして。ワタクシは一年生の頃からどの男性教諭を狙おうかずっと考えていましたが、これといった決定打は結局ありませんでした」


 しかし! と雅坂が勢いよく振り向いて指を差してくる。


「ここで途中参加の霧崎先生がまさかのダークホース! 職員室で冷酷な理事長相手に啖呵を切る姿は……見えてはおりませんが、素晴らしかったです! 強大な権力を前にしても心折れることなく、立ち向かう勇気……しかも生徒のため! ん~ストライクですわ!」


「そうか、そりゃよかったな」


 俺が取るべき選択肢は一つだった。雅坂のクラスの担任じゃなくて本当によかった。


「はい! なので、ワタクシは霧崎先生とお付き合いを──……って、あら?」


 脱兎。雅坂がトリップしている間に俺はその場から遁走していた。


 ハヤクジュギョウノジュンビヲシナイトナー。


「ああっ! 冷たいですわ霧崎先生! でもそういうところはイメージ通りで期待を裏切らないファンサービスをありがとうございますですわ────ッッ!」


 雅坂の絶叫が聞こえてくる。俺は溢れる涙を堪えることができなかった。


 さようなら。俺の幻想。



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