翌日。始業式の次の日だというのに、いきなり職員会議が行われた。
内容はやはりというべきか、昨日の朝に起きた一件についてた。
「原付を運転していた生徒の処分はもちろんとして……」
「やはり獅子堂の行動は目に余る。以前も喧嘩で停学になったのに、反省の色がない」
「あんな暴力的な生徒を学校に在籍させておくのはリスクが大きすぎるのでは?」
頭を七三分けにした仏頂面の、理事長と思わしき人が何かを述べる度に、隣のハゲた校長が頭の汗を拭いながら「おっしゃる通りです」と何度も頭を下げている。
他の先生が意見を出し合っているが、要は獅子堂の処罰をどうするか、ということについてだった。
この高校に赴任して間もない俺に口を出す権利はなく、ただ黙って聞いている。
「少しずつこの学校は変わってきているんだ。以前みたいな絵に描いたような不良はほとんどいない。時代が変わってきている証拠だ。今こそ天凛は生まれ変わるチャンスなのだ」
「昔からのイメージが根強いですからね。不良がたくさんいるのでしょう、と保護者から心配の声は今も後を絶ちません。これでは入学希望者が減る一方です……」
確かにイメージは大事だ。雰囲気で学校を選ぶ生徒は大勢いる。噂話が学校の印象を作るのだ。
学校のイメージってのは進学希望者……つまりは学費を払ってくれる生徒の数に大きな影響及ぼす。一言で表すなら世間体、だな。
その世間体を良く見せるために、校内にいる不良を一掃したいというのがオジサマ連中の考えていることだった。
「狐島教頭はどう思うか?」
理事長に問われた小っちゃい教頭はピンと背筋を伸ばして、
「そうですね……。しかし、むやみやたらに学校から追放しても、その子のためにはならない気がします。逆にもっと酷くなるかもしれませんよ」
「教頭先生、甘いな。そうやって緩めてしまうから、不良たちは調子に乗るんだ。これ以上連中を暴れさせないために、見せしめが必要なんだ」
「……さらし首にしろと?」
「必要な犠牲ということだ」
……なんか話がきな臭くなってきたな。嫌な予感がする。ちら、と狐島教頭が何かを伝えるように俺の方を見てきた。しかし、その意図は分からず見つめ返すことしかできない。
「教頭先生、決断をする時だ。あなたが教頭の立場になってから退学者はほぼゼロと言っていい。それはあなたの懐の深さ故だろうが……しかし、それが今マイナスな方へと向かおうとしている。故に決断が必要なのです」
「だからと言って未来ある生徒を犠牲にするのは」
「未来? ハッ、あんな暴力しか知らない生徒に未来なんかあるワケがない」
狐島教頭の眉間に皺が寄った。俺もおそらく同じ表情をしていただろう。
そして、理事長が、職員室全体の空気を代弁した。
「獅子堂 愛奈を退学にする。これは見せしめだ。これ以上悪さをすれば学校にいられなくなるぞと不良たちに警鐘を鳴らすんですよ」
「なッ……」
「ちょ、ちょっとそれは早計では!」
俺が咄嗟に抗議しようとした瞬間、狐島教頭が机を叩いて立ち上がった。
「私は昨日、あの場にいました。獅子堂さんは私と……霧崎先生を庇ってくれたんです! あの子がいなければ私たちは原付の生徒に撥ねられていたかもしれません!」
「でも、暴力を振ったことには変わりない」
「あの子なりに解決するための最善策を講じただけです」
「その証拠はあるのか?」
うぐ、と狐島教頭が口を噤む。
獅子堂が、退学。
……おいおい、ちょっと待てよ。
アイツは、今はただいじけているだけだ。過去に負った傷のせいで道が閉ざされ、挫折し、そこからどう立ち直ればいいか分からなくなっているだけだ。
それをケアするのが大人の、教師の役目じゃねぇのか?
「……チッ」
ああ、クソ、そうだったな。何考えてんだ俺は。大人なら当たり前じゃねぇか。
自分にとって面倒なことは避けたい。自分が楽できればそれでいい。
獅子堂なんていう腫れ物に、どうして自分から首を突っ込むんだ、って話だ。
「……でも」
獅子堂が坊主頭の少年と遊んでいる姿が思い出された。その時に浮かべていた、犬歯を剥き出しにした笑顔。なぜかそれが、かつての教え子の笑顔と重なって見えた。あの子と獅子堂は全く似ていないというのに、どうして。
「分かり切った話じゃねぇか」
選手生命を絶たれた剣士。獅子堂の痛みとあの子の痛みが似ているからだ。
あの子の道は俺が閉ざしてしまった。もう二度と、贖罪は叶わない。
じゃあ、獅子堂は? 治っていない心に毛皮を被せ、世間を足蹴にすることでしか自分を慰めてやれないあの百獣の王を、俺は見て見ぬふりをするのか?
また、何もしてやれないのか?
「違う」
それはダメだ。それだけはダメだ。何もできない自分は、もう嫌だ。
じゃあ、どうすればいい?
「──」
思いついた、答えはすぐに出た。もはや今まで分かっていたけど見ないようにしていたというくらい、あっさりと答えは見つかった。
今俺が抱えているのは、春瀬の剣道部が顧問と部員不足で廃部になるかもしれないという問題と、獅子堂が退学になるかもしれないという問題。
必要なパーツは若干不足するが、その両方を一発で解決することのできるウルトラCだ。
狐島教頭と目が合う。彼女は力強い目で俺を見ていた。まるで、託すような。
……まさかアンタ、こうなることが全部分かっていて、昨日はあんな意味不明なことを言い、無理やり剣道場を見せたのか? すべてここに集約していたのか?
「……とんだ女狐だよ、アンタ」
なるほど、そんなちんちくりんな見た目でも、教頭は教頭か。
理事長たちが何かを話し合っている。俺には何も聞こええない。
ただ、あの子を──獅子堂を守るために、俺にしかできないことを宣言する。
「待ってくださいッッ!」
机を思い切り叩き、全員の集中を俺に向けさせる。
熱く議論していた先生方が、呆気に取られたように立ち上がった俺を見ていた。
「な、なんだね。君は誰だ。新任か? その見た目はなんだ。ヒゲに髪。清潔感の欠片もないじゃないか。教師ならもっと身だしなみを整えたまえ」
「──……ます」
ああ、クソッタレ。やってやるよこの野郎。
「獅子堂を剣道部に入部させましょう。そこで僕が顧問として面倒を見ます」
静まり返る職員室。誰もかれもがポカンと口を開けていた。
……当たり前だよな。新入りが何言ってんだって話だし。
「良いと思います!」
そして、俺の提案に乗ってきたのは狐島教頭だった。
「霧崎先生は剣道経験者で、前の高校でも剣道を教えていたんですよね! 大変評判が良かったと聞いております! 霧崎先生と獅子堂さんが剣道部に入れば、顧問と部員の不足問題も解決に近付きますね! 獅子堂さんもかつては剣道部で……きっと、霧崎先生なら獅子堂さんを良い方向へ導くことができるんじゃないでしょうか!」
前もって用意していたかのようにペラペラと述べ出す教頭。
「……剣道?」「まぁ確かに、剣道は人格形成の道とも言われてますし」「剣道部も確か顧問やら人数やらの関係で廃部になるかどうかの話がありましたね」
ざわつき出す職員室。誰もが俺の意見に首を捻っているようだ。
ならばここで追い打ちをかけるとしよう。
「知っていますか? 剣道は一本を取った後、ガッツポーズなどをしてはいけないのですよ。したら一本が取り消しになります。これは残心という『一本を取った後も油断をしていない心構え』を表すもので、相手を尊重していることに通じます。ここまで厳格に礼節を重視している武道は剣道をおいて他にありません」
小学生の試合とかでは、たまにいるんだけどな。
「教育現場において、何故剣道が必修科目になっているかご存じですか?」
すぐに回答は返ってこなかった。
「剣道には他の運動種目にはない、礼法や作法といった生理的・精神的要素と、伝統文化と言われている文化的要素が剣道に含まれているからです。剣道とはお互いを敬う礼がなければただの叩き合いです。剣道における礼儀作法を確立し、指導を徹底することによって、相手を尊重し、敬う心が身につくのです」
「それで獅子堂が変わると?」
「変えてみせます。何故なら……あの子はかつて剣道によってケガを負い、道を降りてしまったんです。だから今の獅子堂が生まれてしまった」
教室に波が立った。知らない先生もいたのだろう。
「何故君がそれを知っている?」
「担任ですんで、昨日、家庭訪問にお伺いしました」
教頭がニマリと口を歪めていた。やっぱりアンタが張ってた予防線だったのか。それと春瀬も。アイツの助言がなければここで切れるカードじゃなかったな。
「剣道で挫折したのなら、剣道で再び希望を取り戻させるまでです。別に他の人がやってもいいですけど、僕以外に剣道……いや、武道に通じている先生がいますか?」
静かになる職員室。
「待て。論点がズレている。誰が剣道を指導するかじゃない。獅子堂を退学にさせるかどうかだろう。勝手に話を進めるな」
「理事長、あなたが見せしめというならこれ以上ない見せしめでしょうが」
「……なんだと?」
「退学も結構ですがね、そもそも退学させて、転校した先でもっと荒れたらどうするんで
すか。もうウチの生徒ではないから関係ないと知らんぷりするんですか? それじゃあ厄
介ごとのたらいまわしじゃないですか。いいんですか、教師がそんなんで」
っていうか、と言葉を続ける。
「獅子堂という札付きのワルを更生した。これほど学校の株を上げる実績はないですよ?
剣道部だって今は優等生の風紀委員長の春瀬しかいない状況らしいじゃないですか。二人
は幼馴染です。きっと良い方向へ進むはずです。獅子堂を剣道部に入部させ、僕が顧問と
なる。剣道部が廃部にならなければ防具などが無駄になることはないでしょう?」
俺と理事長のバトルに口を挟めない周囲はただ隣同士でひそひそと話すだけだった。
もう分かってる。アンタらは獅子堂と同じく俺も厄介だと思っているんだろう。
剣道部の人数と顧問、廃部の問題。それと獅子堂。
両方をいっぺんに解決できる──いや、押し付けることのできるウルトラCが目の前にあるのだ。アンタたちは、この棚から落ちてきた牡丹餅を手に取らないはずがない。
「廃部を回避する最低限の人数にはあと一人足りないようだが?」
「そこはこっちで何とかします。駆けずり回ってでもあと一人集めますよ」
「何を以ってして更生としたとする?」
「あー、獅子堂を剣道部に入部させるんで、廃部を回避することも合わせて、と……何か優勝とかの実績でどうです? それから先生方への態度。授業への出席その他諸々で」
「曖昧だがまぁいいだろう。期日は?」
「卒業するまでの二年」
「長い。一年だ。獅子堂が最上級生になる前に更生させてみせろ」
良し。三か月とか言われたらちょっと自信なかったけど、最初から長めに時間を言わせてもらってよかった。一年もあれば生徒の一人や二人、余裕だぜ。
「できなかったらどう責任を取る」
「──獅子堂と一緒にクビでも何でもしてください」
「えらい自信があるんだな」
「ええ、そりゃもちろん」
なんせ俺は。
「ヒゲ面で髪もボサボサかもしれませんがね、剣道の指導は評判が良かったんすよ」