「おう、ボーズ、また明日な」
「うん! また明日! ヒゲのおっさんもバイバイ!」
ヒゲ言うんじゃねぇ。坊主頭の少年は大きく手を振りながら公園から去っていった。
獅子堂が俺の買ってやったジュースのプルトップを開け、ぐびりと煽る。
「……おまえ、子どもが好きなのか?」
「別に。あのガキは母子家庭なんだとさ。この時間はお母さんが知らない男を家に呼んでる、ってんで帰るのが気まずいんだとよ」
マジか……。とんでもなく重い事情にげんなりしてしまう。
「会ったのは最近。おもちゃの剣あげたらすげぇ喜んでさ。『ねーちゃん、勝負しようぜ』なんて生意気に挑んできやがる。だからアタシが軽く捻ってやってんのさ」
「優しいじゃねぇか」
「は、ただのきまぐれだっつーの」
ひゅ、と飲み終わった空き缶を投げる。ポイ捨てかと思ったが、綺麗な放物線を描いた缶はそのままクズカゴ──しかも缶のカゴに吸い込まれていった。
「獅子堂……今朝のアレは、俺たちを助けてくれたのか?」
「あ? 頭に花咲いてんのか? なんでそう見えた」
「おまえが止めてくれなければ、俺も教頭も撥ねられていたかもしれないからだ」
「そりゃおめでたいことで。アンタらなんか関係ねぇよ。アタシはあの原付が喧しくて耳障りだったから蹴っ飛ばした。そんだけだ」
「そうか。ありがとな」
「……は?」
獅子堂が「何言ってんだコイツ」って顔で見てくる。
「おまえの事情はどうあれ、おまえの行動で俺たちが助かったのは事実だ。そのことに対して礼をするのは当然だろうが」
「……変なおっさんだな」
おもちゃの剣を適当に振りながら、獅子堂が目を逸らす。俺も獅子堂から目線を外して、両手で握るコーヒーを見つめる。しばらく沈黙が流れた。公園の柱に取り付けられているスピーカーから『良い子はおうちに帰りましょう』みたいな放送が流れていた。
「話はそんだけか?」とこっちを見ずに獅子堂が尋ねてくる。
「……どうしてあの子どもと剣道まがいのことをしていたんだ? 相手してやるならキャッチボールでもサッカーでもよかっただろ。どうしてチャンバラなんだ」
「理由なんかねぇけど」
「良い返し胴だった。おまえ、剣道したいんだよな?」
「勝手に決めんなよ。おっさんはアタシのなんだよ。親か?」
「親じゃねぇ。先生で、担任だ」
ハッ、と獅子堂が天を仰ぎながら一笑に付した。
「笑わせんな。どーせアンタも他の大人と同じだ。ちゃんとしろ、礼儀正しくしろ、って上っ面だけの文句を並べんだろ? 仕事だから仕方なしにやってやがる。内心じゃめんどくせぇって思ってんだろ? 図星だろ? 先生ってのはみんなそうだもんな」
「おまえこそ上っ面しか見えてねぇじゃねぇかクソガキが」
言った瞬間、獅子堂からカチンという音が聞こえた気がした。
「ンだとコラ。殺されてぇみてぇだな。アタシが教師を殴れないとでも思ってんのか?」
「左足に欠陥抱えてるヤツの拳なんぞ怖くもねぇけどな」
ゴッ、骨と骨がぶつかる音がしたのと同時に、俺の視界が揺さぶられた。
ようやく止まったと思ったら、俺はベンチから転げ落ちていた。獅子堂の黒い革靴(ローファー)が見えた。頬の骨が変形したかと本気で思った。顎を擦って異常がないことを確かめる。
「っせーんだよ! ってかテメェなんなんだよマジで! 人の事情にズカズカ土足で踏み込んできやがって! 頭おかしいんじゃねぇのか!」
「ってぇ……獅子堂、おまえは……やっぱ剣道がしたいんだろ?」
「はぁ!? んなワケねぇだろ! もうアタシの剣道は終わったんだよ! どんだけ努力して強くなったってなぁ、人間壊れるのは一瞬なんだよ!」
言いながら、獅子堂が逃げるように走り去ってしまった。
待て、と言おうとしたが口を切ってしまったらしく、痛みに呻いて呼び止めることはできなかった。急速に小さくなっていく獅子堂の背を見送ることしかできなかった。
「……走れるのか。まぁ、跳んでたしそうだとは思ってたが」
ってことは、アキレス腱自体はおそらく治っている。
治っていないのは、アイツの心の方か。
「ったく、損な役回りだわ」
アルバムで見たアイツといい、子どもの相手をすることといい、獅子堂の根っこは間違いなく悪いヤツじゃない。ただ、心の傷が癒えてないだけだ。
アイツは拗ねてるんだ。
人生で初めての挫折からどう立ち直ればいいか分からないだけなんだ。
問題児筆頭、か。ホント、頭でっかちなだけの大人にはなりたかねぇもんだな。