春瀬の剣道部問題だけではなく、獅子堂のケガの問題にも関わってしまった。
頭を掻きながら獅子堂の家を後にする。
お土産に高級クッキーを缶ごともらってしまった。どうしよう、俺の男くさい一人暮らしの家に、こんなお洒落なクッキーに合う飲み物とかないんだけど。
「まぁ、でも無下にするのも忍びないしなぁ」
貼ってもらった絆創膏を擦りながら、公園の脇を通る。遊具の少ない、見晴らしのいい公園だった。トイレと水飲み場、そしてベンチ。一服するにはちょうど良さげだな。
タバコでも吸って帰るか。もらったクッキーの袋をベンチに置いて、タバコに火を点ける。煙を肺に送り込み、余った分を吐き出す。呆としながら煙の行方を眺めていると、
「いっくぞーっ! ねーちゃん! 今日こそ一本取ってやるぜぇ!」
「おう、掛かってこいやァ! アタシからそう簡単に一本取れると思うなよ!」
子ども特有の、性別関係なしに甲高い気合いの声と、やたらと男勝りな女性の声。
せっかく一服してたのに、どこのガキだ──そう思って目線を向けると、
「おりゃあっ!」
「甘いぜボーズ! 振りが大きすぎだっ!」
ぱこん、と柔らかい衝撃音。背の高い女子が坊主頭の少年に一撃入れた。おもちゃの剣か。カラフルなスポンジが刀身になっている、チャンバラごっこ用みたいな。
少年が勢いよく飛び掛かるが、女子は長い髪を揺らしながらひらりひらりと躱す。よく見たらほとんど右足一本で躱してやがる。少年の動きに無駄が多いとはいえ、上手いな。
「ずりゃあっ!」
「なんの!」
頭を狙った打ち込みを剣で受け、そのまま頭上を回旋させて腹部に当てる──今のは剣道の返し胴だ。知らないで打てる技じゃない。アイツ何者だ?
少年の脇を抜けてゆっくりと足を捌く。剣を振りぬいたまま形のまま気を緩めないその姿勢は、剣道における残心とみて間違いないだろう。
くるり、と少女が少年の方を向く。必然、顔が俺の視界に入る。
「──獅子堂?」
棒付きのアメを舐めながら、犬歯を剝き出しにしている。
しかし、あの時とは違い、その犬歯は威嚇ではなく、心の底からの笑顔を表していた。
「クッソ────ッ! ねーちゃん強すぎんだよお! こうなったらぁ!」
「あーん? まだまだアタシから一本は取れねぇなぁ……っておい飛び掛かんな!」
おもちゃの剣を放り捨てて飛び掛かる少年を獅子堂は一度躱すが、猿のように連続で跳ねる機敏な動きに捕まった。俺に後頭部を見せる形で獅子堂が転がった。
「コイツ、やりやがったなぁ~! 頭グリグリしてやるぜ!」
「あああああ痛い痛いねーちゃん痛いごめんなさいぃぃ~」
砂まみれになることも気にせず、獅子堂と少年がじゃれつく。
俺は、タバコを咥えながら獅子堂に近づいた。
「おう獅子堂、おまえ学校とずいぶん様子が違うな」
「おらおらおら……あ?」
明るく楽しそうな声から一変、威圧感を滲ませて獅子堂が見上げる。
「……誰だおっさん」
「覚えてねぇのかよ、まぁいいや。今年から天凛に赴任した、二年A組担任の霧崎 剣一だ。よろしくな、出席番号13番、獅子堂 愛奈」
「あー、あれか。今朝ちびっこ教頭を庇ってたヒゲ面の」
いろいろツッコミたいことはあるが大人として我慢しよう。
「獅子堂、おまえと話がしたい」
「アタシにおっさんと話す趣味はねぇ。殴られる前に帰りな」
一蹴。慈悲の欠片もねぇ。しかし、ここで折れてはいけない。
「そうもいかねぇんだよ。同じクラスの春瀬からおまえのことを頼むと言われててな」
ちょっとニュアンスは違うが、これくらいは許容範囲だろう。
「……涼花が?」
「おう、おまえと春瀬は幼馴染らしいな」
獅子堂が坊主頭の少年を脇に退かし、砂を払いながら立ち上がる。
「……あのバカ、もうアタシに構わなくていいってのに……」
「そう言うなよ。気にかけてくれる友達がいるだけ幸せだと思えよ」
「あ? 説教かおっさん」
「教師だからな。生徒に説教してなんぼだろ」
眉間に深い皺を刻み、顔に翳りを作りながら俺を睨む獅子堂。背後に唸る猛獣を見た。
この覇気、マジで半端ねぇな。あと十年若かったらチビってた。沈黙したままだと威圧感にのまれそうだ。仕方ない。
「おまえ、剣道やってたんだってな」
「ッ、どうして、それを」ぎょっとした目になった。「涼花か」
「いいや違う。アイツは人の事情を知らないところでべらべら話すもんじゃない、と言って黙ってたよ。本当に良い子だ。おまえのお母さんから聞いたんだよ」
「は? ウチに行ったのかよ」
「教師だからな。家庭訪問させてもらった」
獅子堂の口からアメを噛み砕く音が聞こえた。
「……サイッテーだなアンタ。デリカシーないにも程があるだろ」
「親と学校から許可は取った。咎められる謂れはない」
ギリ、と心底悔しそうに葉を食いしばる獅子堂。
「何が目的だ」
「だから話がしたい、っつってんだよ。おまえのことを教えてくれ」
春瀬と母親。コイツからしたら少なからず関係の深い人物から言われているとなれば、コイツも無下にはできないはずだ。案の定、獅子堂は心底嫌そうな顔でベンチを指さした。
「分かったよ。話くらいは聞いてやる」
「感謝するぜ」
俺がベンチの方に向かおうとした瞬間だった。
「だけど、ガキの前でタバコ吸ってんじゃねぇよ」
獅子堂が一瞬で詰め寄り──本当に素早い動きだった──俺のタバコの火を握り消した。
「うぉ……おまえ、熱くねぇのか?」
「これくらい平気だっつの。それよりも、副流煙を知らねぇとか言わねぇよな?」
「あ、あぁ……軽率だった。すまん」
タバコに関しては確かに俺が悪い。しかし……タバコの火の熱さを感じないとは。
「げ、汚れた」
そう言いながら、獅子堂が俺の頬にタバコを握った掌を擦り付けてくる。やめろコラ。
「──」
しかし、払いのけようとして気付いた。これ本当に女子の手か?
分厚い。それだけではない。全体がゴツゴツしている。皮膚が何度も削れては再生を繰り返した証だ。ちっとやそっとの稽古じゃこんな手にはならねぇぞ。
やっぱりコイツは……。
獅子堂がベンチに向かって歩く。
俺はその背に、かつて懸命に努力し続けた自分の教え子の姿を重ねた。