「春瀬さん、良い子だったでしょう」
「え、ええ、まっすぐで透き通った、とても良い子でした」
さっき会った色気に満ちた少女といい、意外と不良は少ないのだろうか。
「思っていた以上に、不良は少ないようですね」
「そうですねぇ。確かに少ないかもですが、いるところにはいますよ。中でも特別危険だと言われている生徒がいます。でも、私にはあの子が──」
狐島教頭が少しだけ悲しそうな表情をした瞬間だった。
「どけどけどけぇ~いっ! 十万円じゃ──────いっ!」
喧しいエンジンの音と共に、廊下の向こう側から原付バイクが出現した。
「──は?」
校舎内で、原付。
しかも割と全速力。頭おかしいんじゃねぇのか。
理解不能な現状に混乱するが、向かい風に煽られているリーゼントを見て思い出した。
『校舎内を原付ダッシュな! 教師に掴まらずに一周したらいいぜ!』
確か金額は一万円ではなかったか。いや、ツッコむところはそこじゃねぇ。
「どかねぇと轢いちまうぞゴラァ────────────ッッ!」
「危ない教頭! アイツが先ほど言っていた特別危険だと言われている生徒ですか!」
「いえ、私が言おうとしていた生徒は彼ではなく──」
狐島先生の肩を掴みながら、安全を確保するために適当な教室へ避難しようとした瞬間、
俺の視界に、獅子が出現した。
腰まで届く長い茶髪。学生鞄を肩に担いでいた。
僅かに裾の足りていない黒セーラーから覗く腰つきから、今目の前にいるのは女子であると予想できた。
しかし、身長が百八十に迫る高さだ。俺と同じくらいか。女子にしては破格の高長身だ。
足首まである黒いロングスカート。そんな昔ながらのスケバンのような風貌の女子が、俺たちの前に現れた。
階段から降りてきたのだろうか。だとしたら、俺たちよりも原付に近い。
「おい、危ないぞ!」
教頭を守るので精いっぱいな俺は叫ぶことしかできない。
俺の切迫した叫びを聞いて、獅子を連想させる少女は一瞬だけ俺を見た。
「──……ッ」
斬られたと思った。それほどまでに鋭い眼光。この世全てが敵だと言わんばかりの。
ゾッとした。あんな凶暴な目つきを、たかが一女生徒ができるものなのか。
「……チッ」
少女が棒付きのアメを舐めながら、犬歯を剝き出しにして舌を打つ。
鞄をこちらに向けて放り投げた。
咄嗟に受け止めてしまう。
視線が外れる。次に視線を戻した瞬間。
獅子が宙を舞っていた。
「──は?」
今度は原付の生徒が驚く番だった。当然だ。生身の女子が、全速力の原付を前にして逃げるどころか、跳躍して飛び掛かってきているのだから。
時間が遅く感じる。彼女の靡く髪の一本一本までがはっきりと見える。
芸術と紛うほどに美しい側方回旋。黒いサイハイに包まれたしなやかな足がスカートから覗く。
深いスリットが入っていた。今の状況においてあまりにも不適切だと分かっているが、ひどく扇情的な露出の仕方だった。
目を奪われる。釘付けになる。
一点の曇りもない右足が、まるで大太刀を振るうかのような軌跡を描き、
「くたばれボケェッッ!」
原付に跨る不良の首を──刎ねた。
吹き飛ぶ不良。操縦者を失った原付が火花を散らしながら転がる。
壁に激突して止まった。衝撃で俺と教頭が尻もちをついてしまう。
職員室と思しき所から何人もの教員が姿を見せた。
そして全員が目撃する。暴走バイクを一撃の元に沈めた、漆黒の獅子を。
「
「新学期早々、停学になりたいのか。この問題児が」
気絶している不良と少女──獅子堂を見比べて好き勝手に言い放つ教師たち。
ちょっと待て。おかしいだろ。なんで獅子堂だけが悪いように言われる?
「──返せ」
彼女は他の先生たちの言葉を無視し、地面に尻もちをつく俺から鞄をひったくった。
そして、一瞥もせずに歩き去ろうとする。
「おい、ケガは」と掠れた声で尋ねると、少女は面倒くさそうな顔をしながら振り向いて、
「あ? あるワケねぇだろ。あんなザコ相手によ」
にべもなく切り捨て、また歩き出す。俺はその背を見送ることしかできなかった。
「……霧崎先生。彼女です」
すると、狐島教頭が俺の内側に収まったまま言ってきた。
「彼女の名前は、
「え、どうしてですか……?」
「考えてみてください。あの子は確かに一人の生徒を蹴り倒し、気絶させました。暴力事件と言えるでしょう……ですが、あの子がいなければ、私たちはどうなっていたか」
そうだ。俺が危ないぞと声を掛け、こっちを見てから獅子堂は行動を開始した。
見方によっては、獅子堂が俺たちを守ろうとしたとも受け取れる。
「それでもあの子は何も言わない。弁明をしようともしない。だからいつも彼女が悪いとされている。あまりにも強すぎて、彼女に関われば大きな被害が生まれるから……。私はそれが、とても心苦しいのです」
歯の軋む音がする。狐島教頭の背中が震えていた。
「霧崎先生、どうかあの子のことをお願いします。きっと……あなたにしか彼女の心を開けない」
「そ、それは、どういう……」
狐島教頭が立ち上がり、服に付いた埃を払う。
どうぞ、と言って手を差し出してくれる。
言葉の意味が分からないままの呆けた頭で反射的に握る。礼を返すので精いっぱいだった。
視界の奥で、獅子堂が歩いている。
見える姿は小さくなっても、圧倒的な存在感だけはいつまでも健在だった。
「霧崎先生」
狐島教頭が、俺の方を見ずにこう言った。
「天凛高校へようこそ。こんなところですが、どうぞよろしくお願いいたしますね」
「……史上最悪の歓迎ですね」