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40. 血まみれでも泥まみれでも理想の王子様

「クラウト様、ちょっといいかい?」


 決闘の舞台へと向かう途中、エンツィが神妙な顔で話しかけてきた。


「あのオレアンって男、見覚えがある。確か昔、冒険者をやってたはずだ。『血風けっぷう』って名で呼ばれてたよ」

「……二つ名持ちかよ」

「他人をいたぶるのが好きなクズでね。たびたびトラブルを起こして、結果追放された。でも強さは本物だ。アタシほどじゃないけど、ヘリオトロープと互角かそれ以上はある」

「マジか」


 未だにヘリオトロープに一度も勝ててない俺が、今日アレに勝たなきゃならないのか。難易度ルナティックだな。

 でも勝つしかない。それ以外に全てを守る方法はないのだから。


          ◇


 城の練兵場、まるでコロッセオのような広い円形の舞台に立つのは俺とオレアンだけ。

 周囲には観客席のようなものがあり、かなり人が入っているようだ。入口の真反対の席は、いわゆる貴賓席のようなものだろうか。そこに国王やプリメリアたち、それにリーリエまで座っていた。いつの間に。


 俺から少しだけ距離を取って立っているオレアンを見る。

 獲物は両手のダガー。体型や立ち居振る舞いから察するにスピード特化型だろうか。


 彼は俺と目が合うと、元々細いその目をさらに細めてニンマリとわらった。


「お手柔らかにお願いしますねェ、クラウト様ァ。噂の剣技、楽しみにしてますよォ」


 間延びした語尾が何とも気味が悪い。ヘリオトロープに匹敵するってだけでも気が重いのに、掴みどころのないタイプか。

 顔をしかめていると、決闘の審判を務める騎士が近づいてきた。


「では、これより決闘を開始します。勝利条件は相手が降参または死亡すること。武器などは事前に申請し、持ち込みが認められた物のみとなります。よろしいですね?」


 俺とオレアンが同時に頷く。俺の武器は当然、刀だ。

 騎士が右腕を高々と上げる……そして勢いよく振り下ろした。


「始め!」

「行きますよォ、クラウト様ァ」

「!」


 先に動いたのはオレアンだった。ダガーを下げたまま、真っ直ぐに俺へと突っ込んでくる。――ヘリオトロープよりも速い!


「ヘリオトロープと同じ……『風』か!」


 あの独特の動きには見覚えがある。風魔法の使い手が、風に乗って高速で走る時の走法だ。

 であれば、取るべき行動は――迎撃! 居合の構えで待ちながら、カウンターのタイミングを計る。


「…………今っ!」


 鞘内部の圧力を解放、何度も繰り返してきた最速の居合の動作。だが……、


「なるほどォ、確かに見たことのない剣技ですねェ。これは素晴らしいィ」

「なっ!?」


 コイツ……! 俺の居合の


 刀を右手で抜いてから振り抜くまで、切っ先は身体を中心とした半円の軌道を描く。そして死角とは……刀を振り抜く前の右側面。

 俺が刀を振り抜く前に右側をすり抜ければ、刀は当たらない。言葉にすれば簡単だが、タイミングを間違えれば死と隣り合わせの神業だ。


っ」


 わずかな痛みを感じ右肩を見てみれば、浅い切り傷ができていた。あの野郎、すり抜けると同時に斬っていたのか。しかもごく浅く。

 たった一手で思い知らされる圧倒的な差。ここまで差があると笑ってしまいそうだ。


「どうしましたァ? もう降参ですかねェ?」

「ハッ、馬鹿を言え。まだ始まったばかりだろう」

「そうこなくってはねェ」


 楽しそうな凶悪な笑み。あぁエンツィが言ってたっけな『他人をいたぶるのが好きなクズ』だって。顔みりゃわかる。

 出し惜しみしている場合じゃないな。後先は考えない、全力を出し尽くす!


「いくぞ!」


 力水ちからみずによる身体強化で踏み込み、最高速で抜刀する。俺にできるのはこれしかない。ならば、当たるまで繰り返すまでだ!


「これはこれは、先ほどよりも遥かに速いですねェ。並の騎士や冒険者程度では相手にならないでしょうねェ」

「くっ」


 だがあっさりとかわされる。今度は背中を少しだけ斬られた。


「まだまだ!」

「素晴らしいィ! 私は諦めの悪い子の方が好きですよォ!」


 斬りかかっては躱され、また斬りかかっては躱される。五本目の居合を放つ頃には全身に十を超える切り傷ができていた。

 腕、肩、背中、胸、腹、脚、首、そして顔。どの傷も浅いが全身が真っ赤だ。


「お義兄さま、血が……!」


 プリメリアの悲痛な声が聞こえる。全く情けない。彼女が何の心配もなくこの世界を生きられるように、そのために強くなろうとしたのに。


「いいですねェ。実力差を知ってなお立ち向かう、その胆力。つくづく私好みですよォ」

「悪いがアンタの好みなんざどうでもいい。そろそろ少しは真面目にやったらどうだ」

「おやおや……私がちょっと本気を出したら、貴方はすぐ死んじゃいますよォ?」

「できもしないことは言うものじゃないな」

「――――」


 俺の言葉にあのいやらしい笑みが消えた。どうやら挑発には強くないようだ。


「ククク、まさか私の半分も生きてないガキにそこまで言われるとはねェ……」


 オレアンが含み笑いを漏らす。そして笑い声が止まり……姿が消えた。


「死ね」

「グッ!?」


 とっさに急所を守ったが、左腕を斬られた。傷口から血が噴き出す。速さがさっきまでの比じゃない!

 必死に奴の姿を追うが、速すぎて追いきれない。辛うじて残像のような物が見える程度だ。


「ガァ!」


 また斬られた。今度は右の太もも、痛みに耐えてどうにか立ち続ける。

 あらゆる方向から襲い掛かる斬撃と……奴の声。


「私の二つ名を知っていますかァ?」

「クッ!」


 脇腹を斬られた。傷はそこまで深くない、まだこれなら戦える。


「冒険者時代に呼ばれた名は『血風』、何とも風情のある名前ですねェ」

「ハァ!」


 再び背中を斬られた。さっきよりも深い。だが痛いだけだ、まだ立っていられる。


「目にも止まらぬ速さで斬り刻む。このダガーを振るうたび、飛び散る血がまるで血の風が吹いているかのように見えたそうですよォ」

「ウゥ!」


 右の頬を斬られた。口に血が入ったせいで鉄錆の味がする。だがこの程度、何の支障もない。

 すぐに奴の姿を探す。だが、気付いた時には目の前でダガーを構えていた。直感でわかる――これはマズい!


「こんな風にね! 『血風の嵐撃テンペスト・ブラッド』!」


 そして神速の乱撃が、俺の全身に襲い掛かった。


          ◇


 静まり返った練兵場。立っているのは痩せぎすの男だけ。その足元には全身血まみれの少年が倒れている。

 男も血まみれだが全て少年の返り血だ。結局彼は一度たりとも、少年の斬撃を食らわなかった。


 誰も何も言うことができない。あまりにも目の前の光景が非現実すぎて。


「お、にい、さま?」


 か細い声がした。この静寂の中でなければきっと聞こえなかったであろう、鈴のような声。

 その声は段々と大きさを増していき、悲痛な叫びとなった。


「おにい、さま……お義兄、さま……お義兄さま……お義兄さま! ……お義兄さま!!」


 顔は涙でボロボロ、普段の可憐な姿は見る影もない。しかし、少女は必死に呼びかけ続ける。


「お義兄さま!! お義兄さま!! お義兄さま!!」


 両隣にいたメイドが涙を流しながら少女に抱き着き、必死に落ち着かせようとする。後ろにいる長身の女性は悲痛な表情を浮かべていた。

 決闘の余韻に浸っていた痩せぎすの男が少女の方を見た。見る者全てを不快にさせる厭らしい笑みだ。


「残念ながら、クラウト様は死んでしまいましたァ。儚いものですねェ。どれだけ立派な人間だろうが、弱ければあっさり死んでしまうんですよォ」


 その言葉を聞いて、少女は男をキッと睨んだ。いつも優しい性格の彼女が見せることのない顔に周囲の人間は驚いた。


「お義兄さまは……お義兄さまは死んだりしません! だって、だってお義兄さまは私の王子様なんですから!!」


 かつて、あるメイドから言われた。『彼は王子様などではない』と。

 確かにそうなのだろう。彼は物語に出てくるような何でもできるキラキラした王子様ではなく、手にたくさんの剣だこやペンだこがある努力の人。


 だけど、それでも彼は「少女にとっての王子様」なのだ。


 いつも自分を助けてくれて、いつも自分に愛を注いでくれて、いつも傍で笑ってくれる――それが、彼女の理想の王子様。

 だから信じている。たとえ泥にまみれようが、たとえ全身血まみれになろうが、彼はと!


「フフフ、健気ですねェ。そんな顔を見せられると、虐めたくなっちゃいますよォ?」

「……気持ち悪いこと言ってんじゃねぇ、ぶっ殺すぞ」

「!!」


 驚愕の顔で振り向く男…………その視線の先には、


「お義兄さまっ!」


 彼女の王子様が立っていた。

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