「キャ――――――――!」
「「!」」
絹を裂くような悲鳴に、俺とヘリオトロープの身体が一瞬で警戒態勢に入る。
孤児院の二階の窓から外を見下ろす。そこには数人の男と馬車に押し込められようとしている少女が……って、
「プリメリア!?」
顔こそはっきりとは見えなかったが、着ている服は見覚えがある。俺がプレゼントした一着で、今日着ていた服だ。
男たちはプリメリアを馬車に押し込むと、すぐに猛スピードで走り出した。
「プリメリア!」
「ご主人様、先に参ります!」
ヘリオトロープが二階の窓から飛び降りる。重力に逆らうようにフワリと着地したかと思うと、人間離れした速度で馬車を追いかけていった。
彼女の魔法適性は『風』、彼女の技量をもってすればあの程度の芸当は容易い。
「くっ!」
俺も二階から飛び降りたいほどだが、さすがに無理だ。
階段を急いで降りる。玄関には不安そうな子どもたちと、顔を青くしたラプスがいた。
「く、クラウト様。ぷ、プリメリア様が、も、申し訳」
「ラプス! プリメリアは俺たちが必ず助ける! キザリスと一緒に子どもたちを全員孤児院の中に避難させろ! 施錠して誰も入れるな!」
申し訳ないが、これ以上ラプスとの会話に時間を費やすわけにはいかない。最低限の指示を出し、俺も馬車を追いかける。
今から走ったところで馬車にもヘリオトロープにも追い付けないだろう。普通ならば。
「どこのどいつか知らないが……俺の義妹に手を出してただで済むと思うな!!」
そして――――景色がぶっ飛んだ。
◇
「ヘリオトロープ!」
「ご主人様!?」
ヘリオトロープに追い付いたら、めっちゃ驚かれた。こんな状況だが、なかなかレアな表情だ。
「そのような速さで走ることができたのですか?」
「あーまぁ魔法で」
「魔法で?」
ヘリオトロープが驚くのも無理はないだろう。俺の魔法適性は『水』、既存の魔法に速度を上げるようなものはない。
だが、今の俺は多分自動車と同じくらいの速さで走っている。風に乗って飛ぶように駆けるヘリオトロープと違い、陸上選手のようなストライド走法で。
「本当はまだ実験段階だったんだけどな、色々とデメリットも大きいし」
人体の約六割は水分で構成されている。子どもであれば約七割だ。
そしてゼロから水を生み出すのは魔力をバカ食いするが、元々存在する水を操るだけなら魔力消費は意外と多くない。
だからこそ思いついた――――疑似的に身体強化のようなことができるのでは? と。
特に筋肉は水分の含有量が高く、その含有率は八割。つまり筋肉の八割は水でできている。
そして今の俺の魔力コントロールならば、他人は無理だが自分の筋肉なら魔法で動かせるのだ。
ちなみにデメリットは、強引に筋力の限界突破をさせてるから筋線維がズタズタになること。
つまり……今夜は死ぬほど筋肉痛だ!
「これが居合に次ぐ俺の切り札――――『
「…………」
何ですかヘリオトロープさん、言いたいことがあるなら言って良いのよ?
あ、やっぱいいや。自分のネーミングセンスのなさは良くわかっているので。
元々は刀なしでは戦えないという弱点を克服するためだったのだが、思わぬところで役に立ったな。
しばらくヘリオトロープと並走していると、前方に乱暴な運転で爆走する馬車が見えてきた。
「見えた!」
「ええ、間違いありません!」
身代金狙いか、あるいは奴隷として売るつもりだったか、理由は知らんしどうでもいい。
俺の大事な
「ヘリオトロープ」
「はい」
「あの馬車に乗り込んで、プリメリアを脱出させることはできるか?」
「余裕です」
「よし頼んだ」
「はっ!」
ヘリオトロープは鋭く返事をするや否や、さらにスピードを上げて馬車の後方へと接近した。
そして重力を感じさせない動きで馬車に飛びつくと、そのままスルリと
その間に俺もスピードを上げ、馬車を追い抜きにかかる。
馬車の横を抜き去る時に大の男が情けない声で命乞いするのを聞いた気がするが、気にしてはいけない。
馬車を追い抜き、そのままずっと前方まで走り抜ける。二百メートルほど離したところで停止、反転、そして居合の構え。
馬車が迫ってくる。すでにヘリオトロープがプリメリアを抱えて脱出済み。つまり……遠慮も手加減も不要!
「ぶっっ切れろ!!」
強化された脚力で全力で踏み込み、馬と馬車をすれ違いざまに上下に両断した。人間ごと。
下半分はその場に置き去りにされ、上半分は少し先の地面へと滑り落ちた。
だが、俺はそれを確認することなく反対方向へと走る。斬り捨てた連中のことなど、どうでもいい。
「プリメリア!」
無事な姿は見えている、それでも名前を叫ばずにはいられなかった。
「プリメリア!!」
この世界に転生して、初めて大事なものを失いかけた。彼女が馬車に押し込められるのを見た時、血の気が引く思いだった。
何が理想の兄だ。いざって時に、そんな虚飾が何の役に立つ。
必死に走るが、足が思うように前に進んでくれない。すでに力水によって限界を超えた足がもつれそうになる。
もう少し持ってくれよ、俺の足。後でいくらでも痛みに耐えてやるから。
そう思いながら前を向くと、
「お義兄さま!!」
プリメリアが俺の方へと真っすぐ走ってくる。決して速くはないけど、一生懸命に。
「プリメリア!」
「お義兄さま!」
お互いを呼びながら近づいていく。傍から見れば、さぞ安っぽいドラマに見えたかもしれない。
それでも俺たちにとっては、そんなことはどうでも良かった。
二人の距離がゼロになる。その
「プリメリア、無事で良かった……!」
思わず涙が出てくる。あぁそっか。ゲームの最押しだからじゃない。この世界で生きている俺の
「お義兄さま……お義兄さま!」
それはそれとして、プリメリアから呼ばれる『お義兄さま』は控えめに言って最高ですね。
あっちも感極まってグイグイ抱きしめてくるし、良い匂いがするし、体温は温かいし。
いえ、違います。あくまで兄妹愛なので、
元オタク日本人では、シリアスは最後まで持たないんですよ。胃とメンタルが。
◇
ひとしきり感動の再会を終えると、プリメリアは赤くなってヘリオトロープの陰に隠れてしまった。気持ちはよくわかるよ。
後から思えば、挿入歌とか流れそうなことやってたもんな。突然ラブストーリーが始まりそうなイントロとか。
まぁ恥ずかしくはあるけど後悔はない。多分あれで、俺とプリメリアの間にあった壁が一気に壊れた気がする。
俺も何となく吹っ切れた感があるし、これからもっと兄妹らしくなっていくだろう。
それはそれとして、いい加減現実も見つめようか。
やっちゃったな~全員漏れなく真っ二つにしちゃったな~。証拠隠滅どころか、証拠殲滅しちゃったよ。
いや、半分くらいは俺の専属メイドさんが
とはいえ、あれはプリメリアの安全がかかっていたので、どうこう言うつもりはない。
問題は完全にブチ切れて、犯人どもをぶち斬った俺の方だな。
「何か手がかりが残ってたら良いんだけど」
「そのようなものを所持しているとは思えませんが」
「だよなぁ」
狙いが孤児院の子どもだったのか、それともプリメリアだったのか。少数の犯行か、それとも組織的犯行か。
今回の事件の目的がわからないことには、どう対応すべきかもわからない。つまり、
「あ~……やっちゃったなぁ」
「いえ、プリメリア様が誘拐されたのです。お怒りになるのは当然かと」
ヘリオトロープの慰めの言葉が胸に痛い。気持ちは嬉しいけど、それじゃダメなのよね。
一応、馬車やら遺体やらを調べてみる。うえぇ……自分でやったことだけどグロぉ。ヒィ、内臓が!
幌の中にも数人の男の遺体が……、
「…………ぁ?」
「ご主人様、何かございましたか?」
思わず舌打ちしそうになったが我慢した。いくら吹っ切れたといえど、プリメリアの前で品のないことをするつもりはないぞ。
「いや、何でもない。もう孤児院に戻ろうか。ラプスたちも心配してるだろうしな」
二人を促して来た道を戻る。俺は最後に一度だけチラッと一人の男の遺体を見た。
あの男――――ウチの騎士だ。