SIDE:ヘリオトロープ
応接室にやって来たご主人様はアルツを笑顔で迎えた後、セバスチャンも含めた三人で屋敷の外へと向かいました。私たちは物陰に隠れつつ、後を追います。
ご主人様たちは立派な庭園を横切ると、脇にある
「こちらは……温室がある方に向かっていますね」
「温室、ですか?」
プリメリア様は温室の存在を知らなかったようだ。まだヴェルトハイム家に来て日が浅いし、敷地内のかなり奥まったところにあるから無理もないだろう。
「何代か前の公爵夫人の趣味が園芸だったため、当時の当主が造らせたものだそうです。今では、単に庭師の仕事場のようになっていますが」
「そうなのですか」
「私は存在自体は存じておりますが、実際に入ったことはないですね」
しかし、こちらには温室以外には特に何もないはず。なぜ、わざわざこんな所に?
小径を抜けると、ちょっとした一軒家くらいの大きさがある半透明の建物。ご主人様たちは案の定というか、その中へと入っていきました。
「やはりこちらに用があったのですね」
「ということは、ここが温室なのですか」
プリメリア様は立派な温室に感激しているようですが、私は少々頭を悩ませていました。
この建物の壁は全面が透明のガラス張りになっています。辺りが薄暗くなっているとはいえ、接近しすぎれば気付かれてしまうでしょう。
ここまで来て情報を掴めないというのは悔しすぎますし、さてどうするべきか……。
「何をされているのですかな?」
「「「!!!」」」
突然後ろから声をかけられて、私たち全員が肩が跳ね上がりました。いつの間に!?
振り返れば、見慣れた穏やかな表情のセバスチャン。考え事をしていたとはいえ、私が接近に気付かないなんて……。
彼は私たちの顔を
「メイドたちだけならともかく、プリメリア様までご一緒とは。失礼ながら、褒められたことではございませんよ?」
「「「申し訳ございません……」」」
さすがにぐうの音もでない。やってることはご主人様へのストーキングですからね。
皆で肩を落としていると、温室の中からご主人様が出てきた。
「おーい、セバスチャン何かあったのか? いきなりいなくなって驚い……え、プリメリア!? ヘリオトロープにラプスまで!? 何でここに!?」
驚き方が尋常ではない。完全に見られてはいけないものを見られたという顔だ。
その姿を見ると、信用が揺らぎそうになる。まさか本当に悪事を働いているわけではないですよね……?
私ですらそう思ってしまったのだから、元々潜在的に不安を抱えていたプリメリア様はなおさらだったのだろう。涙目になりながら、ご主人様へと詰め寄っていた。
「く、クラウト様!」
「どうしたプリメリア!?」
「ま、ま、まさか良くない物を売買したりしてないですよね!? も、もしそうだとしたら、頂いた物をどうすれば……!」
「えー……」
プリメリア様の言葉を聞いてご主人様の目が死んだ。昨日の夕食に出た魚の目にそっくりだ。
そして彼はその目のまま、首をこちらにグルリと向けた。あの、怖いのであまり見ないで欲しいです。
「あのー……何でそんなことになってるんですかね?」
その目が怖かったので、今までの経緯を正直に話した。ご主人様は話を聞くうちに落ち着いてきたらしく……今は大きなため息をついている。
「はぁ~~~~……これも秘密にしてた俺の責任か。わかったよ、全部説明するから中に入ってくれ」
◇
「すごい……!」
温室に入ると、プリメリア様が感嘆の声を上げた。私もその気持ちは理解できる。
辺り一面には、色とりどりの花たちが所狭しと咲き乱れていた。庭園のような統一感はないが、その雑多な景色すらも絵になるように感じる。
その花々の一角。大小様々な鉢が置かれた前でアルツが屈みこみ、何かを真剣に見ている。
「アルツ、待たせたな。検品は終わったか?」
「おおクラウト様、丁度終わったところで……おや、そちらのお嬢様方は先ほどお会いしましたな」
「これからも会う機会があるかもしれないから紹介しておこうと思ってな。この娘はプリメリア、俺の義妹だ。こちらが俺の専属メイドのヘリオトロープ。そちらはプリメリアの専属メイドのラプスだ」
クラウト様の紹介で、三人それぞれ挨拶を交わす。
「で、この人はアルツ。ヴェンツ商会と取引のある錬金術師だ」
「「「錬金術師!?」」」
錬金術師。複数の素材を組み合わせ、新たな素材や薬を生成することができる珍しい職業だ。
錬金術系の魔法適性を持つ者は数千人から数万人に一人程度。錬金術師になれれば、将来が約束されるとすら言われている。私も会うのは初めてだ。
「アルツは定期的に素材の買い付けに来ているんだ。どうもここの植物は珍しいものが多いらしくてな」
「それだけではありません。こちらにある素材は品質がとても良い。これもクラウト様のおかげですな」
「? それはどういう……」
なぜ素材の品質が良いとご主人様のおかげになるのでしょうか。
「あー……」
ご主人様は一瞬言い淀んだ後、後ろ頭を
「三年前から魔力のコントロール訓練のために植物に水をやり始めただろ。あれからしばらくして、庭師から植物の生育状態がとても良くなったって聞いてな」
あれは居合に必要な繊細な魔力操作を身につけるためでしたね。まさか、そんな副産物があったとは。
「で、その後も色々調べてみたら、魔力を含む水には植物の生育を促す効果があることが分かった。早く育つし、病気にも強くなる。そして、今まで栽培が難しいとされていた植物も人工的に育てることが可能になったんだ」
「すごいです! でも、今まで誰も気付かなかったのですか?」
プリメリア様の疑問ももっともだ。ただ魔法で生み出した水をやるだけで良いなら、誰かが気付きそうなものだが……。
「フッ」
あ、またご主人様が死んだ魚の目に。
「プリメリア、魔法で水を生み出すのって結構魔力を食うんだよ。それに、それぞれの植物に好みの魔力量があることもわかってね……。その調整が面倒くさいんだ、本当に……本当に」
「な、何だか申し訳ございません」
「いや、俺こそ何だかすまない」
なるほど。つまり居合の時と同じ、コツコツと積み上げた結果が大発見につながったと。
「まぁおかげで良い収入源になってくれたから良いんだけどな。アルツには感謝してるよ」
「いえ、こちらこそ。良質な素材を直接買い付けられるのです。今後も良い関係をお願いしたいところです」
がっちりと握手する少年と壮年。親子ほど年齢が離れているのに息ピッタリですね。
何はともあれ、ご主人様の悪銭疑惑は晴れました。ただ、一つだけどうしてもわからないことが。
「あの、ご主人様」
「ん?」
「なぜ、このことを知られたくなかったのでしょうか?」
先ほど私たちに見つかった時の反応は尋常じゃなかった。それこそ何かやましいことがあるのでは、と
そう思って聞くと、ものすごく落ち込んだ顔をして口を開いた。
「だって……」
「「「だって?」」」
「…………ヴェルトハイム公爵家の跡取りが毎日お花に水をやってお金を稼いでますって、似合わないだろ」
「「「…………」」」
か、か……、
「「「(可愛い……!)」」」
ちなみに。今回のことはしっかりと、ラプス執筆の『クラウト様伝記』に書かれてしまいました。
後年、このエピソードは多くのクラウト様ファンを生み出すこととなるのですが、それはまた別の話。