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19. そんな設定は資料集にも書いてなかった

SIDE:プリメリア


「……そして王子様と女の子は夫婦となり、いつまでも仲良く暮らしました。おしまい」


 そう言って、お母さんが物語を締めくくります。私がもっと聴きたいとねだると、優しく微笑んで「もう遅いから寝ないとね」と言って頭を撫でてくれました。

 貧しくても幸せだったあの頃。お母さんの笑顔と、お母さんが聴かせてくれる物語が大好きでした。


          ◇ 


 子爵家のメイドだったお母さんは、たった一度だけご当主様のお手付きになり……そして私を身籠みごもりました。

 妊娠をお知りになった子爵夫人は激怒。命こそ取られませんでしたが、着の身着のままで屋敷を追い出されたそうです。


 その後、お母さんはどうにか住む家と働く場所を見つけ、やがて私を出産し育ててくれました。

 それを初めて知ったのはお母さんが病気で亡くなってすぐ後。悲しみに暮れる間もなく、子爵家から迎えに来たという男の人から話を聞かされた時です。


「フン、なるほど。あのメイドに似て整った顔をしている。それに魔力量も高いそうだな。高位貴族の側室くらいなら入れるかもしれんな」


 あの後、馬車に乗せられて到着したのは立派なお屋敷。丸々とした体型の中年男性が迎えてくれたが、私を見つめる目は冷たい。

 この人がお母さんが仕えていた子爵で…………私の、お父さん。


「今日から家庭教師をつけてやる。ウチには女子がいないからな。せいぜい良い嫁ぎ先が見つかるように努力することだ」


 私の意思などお構いなく、勝手に決まっていく。父と娘とは、こういうものなのでしょうか。これではあまりにも……。

 言うことは言ったとばかりに、きびすを返して屋敷の中に入っていく。……せめて、せめてこれだけは言わないと!


「あの……!」

「……何だ。私は忙しい」


 やっぱり、その目は冷たい。泣きそうになる自分を奮い立たせて、生まれて初めて出すような大声で叫びます。


「言う通りにします! だから、だから母の……! せめて母のお墓を建ててもらえませんか!?」


 心臓がバクバクします。涙が次から次へと溢れてきます。それでも、大好きだったお母さんのことだけは譲れません。


「……フン。それくらいは良いだろう。だが、身の程はわきまえろよ」


 そう言って、今度こそ屋敷の中に入っていきました。ホッとしたのも束の間、ひざから力が抜けて崩れ落ち、服が汚れるのも構わず地面に座り込んでしまいます。とめどなく流れ落ちる涙が、乾いた土へと染み込んでいきました。


 その日からつらつらい日々が始まりました。

 朝から晩まで家庭教師にしごかれ、使用人たちからは腫れ物のように扱われ、子爵夫人や子爵の息子たちからは会う度に嫌がらせを受けました。


 一日のほとんどは自室としててがわれた屋根裏部屋で過ごし、食事さえも部屋でひとり。冷めた料理を口に運ぶ度、お母さんが作ってくれた温かい料理が思い出され、涙が止まりませんでした。


 そんな辛い毎日が何年も続けば、心はひび割れ、考えることすら億劫おっくうになっていきます。

 このままこの家の人形になっていくのだろう……そう思っていたある日、私の人生を大きく変える出来事が起こりました。


「喜べ! ヴェルトハイム公爵閣下がお前を引き取ってくださるそうだ!」


 もう何年もまともに顔を見ていなかった子爵が、喜色満面といった様子で話しかけてきます。

 どうやら私の魔力の高さを他貴族家へ売り込んでいたらしく、公爵家の養子として引き取られることになったみたいです。


 私をけがらわしい物のように見ていた子爵夫人も、側室たちも、息子たちも一様に笑っています。怖気おぞけのするような笑顔で。


「お前が養子に行くおかげで我が家に大金が入る。それに万一、お前が王族にでも見初みそめられれば王族とも関係を持てる。いや、お前を引き取って本当に良かったよ」


 それを聞いても何も感じませんでした。ただ家が変わるだけで、辛い日々が終わることはないでしょうから。

 そう思っていたのに……。


          ◇


「初めまして。クラウト・フォン・ヴェルトハイムと言います。何か困ったことがあったら何でも相談してほしい。今日から兄妹になるのだから」


 そう言って優しく笑いかけてくれたのは、かつてお母さんが聴かせてくれた物語の王子様のような人でした。

 私とそう変わらない年齢とは思えない穏やかな物腰、爽やかな笑顔。身体は細身ですが、ひ弱な印象はなく力強さすら感じます。

 失礼ながら、迎えに来て下さった彼のお父様とは髪の色しか似ていません。


 今まで身近にいた年齢の近い男性と言えば、子爵家の息子たち。彼らのおぞましい笑顔とは比較するのも失礼なほど、素敵な笑顔を向けられて――しかも初めて異性に手を握られて――恥ずかしくて、目なんか合わせられません!


 それからも衝撃の連続でした。

 十二歳にして、公爵家の代官として政務を担っているとか。

 メイドさん(すごく綺麗な大人の女性です)から揶揄からかわれて落ち込むとか。

 公爵家の嫡男という立場なのに、自ら屋敷を案内してくれるとか。


 私の貴族のイメージは物語の中とあの子爵家しかありませんが、それでもクラウト様が貴族の中で異質だということはわかります。

 何の希望も抱いていなかった新しい生活、ヒビだらけだった心に何かがみ込んできた気がしました。


 クラウト様と執務室の前で別れ、ヘリオトロープさんとは別のメイドさんの案内で、私に宛てがわれた部屋へと向かいます。

 新しい生活への希望を抱きながらも、私は内心かなり落ち込んでいました。それを察したのか、前を歩いていたメイドさんが立ち止まってこちらに振り返ります。


「プリメリア様、どうかされましたか?」

「あ、その…………」


 メイドさんは私が言いよどんだのを見て、微笑みました。同性の私から見てもドキッとする可愛らしい笑顔、ヘリオトロープさんとは違った魅力のある方です。


「プリメリア様のお部屋はすぐ先です。紅茶をお淹れしますので、その時にでも」


 そう言って少し歩き、いくつかある扉の一つの前に立ちました。


「こちらがプリメリア様のお部屋になります」

「わぁ……!」


 メイドさんが扉を開くと、思わず感嘆の声が漏れました。

 白を基調とした広い部屋に、豪華すぎない上品な家具。可愛らしい小物があちこちに飾られていて、女性らしい部屋を演出しています。


「すごく素敵です! 突然来たにもかかわらず、こんな部屋を用意してもらえるなんて!」


 私がヴェルトハイム公爵家の養子になることは、ご当主様以外は知らされていない様子でした。それなのに、この部屋を短時間で用意できるなんて。


「クラウト様が指示書を用意してくださったので、後は使用人総出で準備いたしました。女性のお部屋に関するセンスまでお持ちとは……あぁさすがでございます」


 メイドさんの表情が恍惚こうこつとしています。ヘリオトロープさんだけでなく、このメイドさんもクラウト様を慕っているのでしょう。

 あんなに素敵な方に対して、素っ気ない返事しかできなかった自分が情けないです。色々親切にしてもらったのに「ありがとう」の一言も言えませんでした。


 ……夕食の時は、もう少し話ができると良いな。

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