「おーい、日直。黒板消すのちょっと待ってよ」
「はやくしてよ」
「そんなこと言わずにさ。はい、ちょっとどいて」
「はいはい」
「……よし、書けた。ごめんね。ありがと」
「うん」
それっきりもうこちらを見ることもせずその子はノートを眺めていた。
「……ねぇ、ジェシカ」
「……」
「ジェシカ」
「……なに?」
「あのさ……勉強、教えてくれない?」
「え?」
見るからに嫌そうな顔をされる。それもそのはず。僕たちは別に交友があるわけじゃなかったし、特別何か行動を共にしたような行事があった訳でもなかった。
ただ僕は、ノートを真面目そうに見つめる彼女の横顔に、少し惹かれたのだった。
「……私たち、話したことあったっけ?」
「いけないかい?話したことがなければ二度と話すことは無いとでも言うの?」
「めんどくさ。……でもその通りね。それで?私の勉強の邪魔をしてまで教えて欲しいことがあるってこと?」
「いや、特に教えて欲しいことがあるわけじゃないけど……頭良さそうだなって思って。そういう人と一緒に勉強したら良いって何かで見たんだ」
「ふーん……。ま、いいよ。でもひとつ言っておく。私、男に興味とかはないからね」
「う、うん」
どこか見透かされているような言い方だが、僕も下心だけで近づいたわけではない。純粋に興味の湧く気持ちの正体を知りたかった。
「あんたって、意外と面白いんだ」
勉強を終えて帰り際に彼女が僕に言った一言が、僕は何より嬉しかった。少しだけ勇気を出してみたら、友達になれた。僕はもっと仲良くなりたかった。明日が楽しみで仕方なかった。
「お、おはよ」
「ん?あぁ。おはよ」
また勇気を出して話しかけてみた。意外とあっさりとした返答にもやもやとするも、挨拶を返してもらえたことだけで元気が出た。
でも、それきり。会話を続かせることも、そこにたっていることも出来ずに、そそくさと席に着いた。
「あ、ねぇー!」
「えっ!なに?」
「勉強!いつにするー?」
「あ……憶えててくれたんだ」
「あんたが言ったんじゃん。なに、やっぱりいいの?」
「いやいや!是非!教えて欲しい!」
「今日暇だし放課後時間あるよ」
「僕も大丈夫だ。じゃあ今日、お願いするよ」
「はーい」
そう言って僕から視線をはずすと、今日もまた朝からノートに向かうようだった。
「ああいうところから見習わないとかなぁ……」
そして放課後。
「おーい、ケイン。約束通り来たわよ」
「はやいねジェシカ」
「時間は多ければ多いほどいいのよ」
「じゃあ早速頼むよ」
「で?何から教えて欲しいの?」
「じゃあ世界史から」
「まずは解樹歴以降の歴史からね。それ以前はまた違ってくるから」
「ふむ……」
「じゃあはい、解樹歴以前には存在すらしていなかった現代には欠かせないエネルギーは?」
「それは簡単すぎるよ!魔素でしょ?」
「正解。じゃあ魔素によってもたらされた恩恵と危機をそれぞれ答えて」
「魔法技術の発展が恩恵で……危機は魔法生物の出現だね」
「あら、わかってるんじゃない」
「ここらへんはまだね」
「じゃあここらへんかしら?魔法生物の観測、迎撃、保護などを行っている機関の名前は?」
「あー……それ、そういうのが無理なの」
「固有名詞は覚えにくいわよね。エネルギーとかは私たちの生活に関わってくるからわかるけどあんまり関わらないものの名前は特に覚えにくいわね」
「そうなんだよ」
「関連付けで重点的に覚えるといいわ。例えばこの場合は魔法生物といえば、から派生する答えをいくつか覚えておけばいいわ」
「それを他にも何パターンもやらなきゃならないから覚えられないんだ……」
「それは努力次第よ。わかればわかるほど繋がってくるのが気持ちいいわよ」
「そういうものかぁ」
「やる気がないなら教えないわよ」
「いやいや!ちょっと気が抜けてました!」
「ふふっ。わかってるわよ。息抜きや長考抜きで勉強なんて続けられないわよね」
「それで、さっきの答えは?」
「あら、勤勉ね。アンシェローよ」
「あー!そうだ!」
「思い出せるならあと一歩よ」
そんな調子でジェシカは僕に勉強を教えてくれた。
「遅くまでありがとう」
学校の外はすっかり暗くなってしまっていて、女の子をこんな時間まで付き合わせてしまったことに少し罪悪感を覚えた。
「いえ、いいのよ。私も楽しかったし」
「楽しかった?」
「……うん。ほら、私って教室でもノートみてるじゃない?話しかけてくれる人なんていなかったし、ましてや私の好きな勉強を持ちかけてくれる人なんているはずなかった」
「僕もね、まさか自分から声かけるなんて思ってもなかったんだよ」
「何よそれ」
ジェシカは吹き出すように笑った。
「……ノートを眺める君の横顔を見てたらさ、なんだか話しかけずにはいられなかったんだ」
「……ふぅん」
「……」
「じゃ、帰るね」
「あ、待って。流石にこんな暗い中で1人で帰らせるのは悪いよ。送ってく」
「あら、いいの?素直に嬉しいわ」
「勉強に付き合ってもらっちゃったし、当然だよ」
「こっちよ。行きましょう」
ジェシカはすたすたと歩き出した。
「ねぇ、ジェシカはどうして勉強を頑張るの?」
「簡単な理由よ。良い学校に入るため」
「……どうして?」
「目標があるの。私、昔から身体が弱くてね。それで小さい頃から病院にとてもお世話になったの。でもその病院は小さいから経営がうまくいってないらしいの。だから、私はたくさんお金を稼いであの病院に寄付したいの」
「それは…素敵な目標だね」
「あらそう?人によっては笑い話よ。治療費を払ったのにさらに払うなんてばかだって」
「そうじゃないよね。この病院だからこそ助けられた部分があるから、それを守りたい……みたいな」
「……よくわかってるじゃない。つまりそういうこと!私は助けてもらったこの命の少しをあの病院に返すのよ」
「立派だなぁジェシカは」
「でもこういう目標があるからこそ、私は勉強を頑張れる気がするわ」
「そうか……目標か……!決めた!決めたよ!」
「いきなり?」
「僕、ジェシカと同じ大学に行く!」
「……本気?」
ジェシカは少し困ったように笑う。
「な、なにさ!無理だって言うの?」
「それはあなた次第だけど……私と同じ大学に行ってまであなたは学ぶことはあるの?」
「それは……うぅ……」
「まぁでも、いいんじゃない?目標っていうのは高すぎても大雑把でも自分が目指せるならそれでいいと思うわ。挫折はしやすいでしょうけどね」
「いいや!僕はやる!やるんだ!」
「燃えてるわね。でもそのくらいの覚悟があったらもしかするかもね」
「ねぇ、これからもたまに勉強教えて貰ってもいい?」
「いいわよ。同じ大学に行くなら仲良くなっておいた方がいいしね」
「やった!」
「よろしくね。ケイン」
「うん!」
それからというもの僕たちは放課後毎日勉強をした。でも最初に言った通り、それ以上の進展はなかった。
「すごいなぁ、ケイン。ほんとに受かっちゃうんじゃない?」
「いや、ジェシカのおかげだよ。それにジェシカこそ前よりさらに得点いくようになってるじゃない」
「ケインに教えてるからかしら。忘れてた箇所も復習できたわ」
「あの……もし、もしさ、僕が受かったら……」
「……何を言おうとしてるかは大体わかるわ。でもそれ以上言う必要はないわ」
「ジェシカ……」
「そんなに目に見えて落ち込むことないじゃない。あなただってそういう目的じゃないって言ってたでしょう」
「……僕には魅力がないかい?」
「ばかね。……そんなわけないじゃない」
「それって……」
「この話はここでおしまい!続きはあんたが受かってからよ」
「ジェシカ……!」
「じゃあね。ちゃんと復習するのよ」
「うん!」
季節はもう冬も半ば。受験日までもう残りわずかしかなかった。この数ヶ月、ジェシカと過した毎日は勉強漬けだったけれど、その日々を少しも辛いと思ったことはなかった。
「ジェシカ……必ず一緒に大学に行こう」
僕は既に姿の見えなくなったジェシカに呟き決意を新たにした。
「しかし……寒いな……。風邪、引かないといいけど」
いつしか雪が降り始めていて、僕の身体を冷やした。
「こりゃ、僕も早く帰んないとな」
そそくさと帰り道を小走りで帰った。
家に着く頃には、雪は本降りになっていて、危うく家を見失うところだった。
「ふぅ……今になって強くなったからよかったな」
僕が家に入ろうとすると……庭に何かがいた。
「……え?なにあれ……」
雪が盛り上がって蠢いているのだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ……まさか、危険な魔法生物なんじゃ……?」
雪がもこもことこちらに向かって蛇行しながら盛り上がってくる。
「こっちにくる!?まずい、逃げなきゃ……」
焦れば焦るほど動きは悪くなる。僕は凍った地面に足を取られて転んでしまった。そうこうしているうちにもどんどんとその膨らみは近づいてくる。
「うわぁ!やめろ!やめろくるな!」
もはや僕は無我夢中で手足を振り抵抗しようとした。……が、その膨らみは僕の前で止まると襲いかかってくるわけでもなく静まり返った。
「ど……どうなったんだ……?」
僕がその膨らみを覗き込むと……。
「うわぁっ!」
ぽんっ!と何かが飛び出してきた。
「ななな……なにこれ!……え?ペンギン?いや、違う……アイスクリーム……?」
それは異様なペンギンだった。身体は確かにペンギンの形をしているのだがその頭は1玉のアイスクリームなのだ。
「驚かせるなぁ……いやでも危険かどうかはまだわからない……。近づいたら凍らされるかもしれないしアイスクリームの部分が僕を食べてしまうかもしれない……」
僕は恐る恐るそいつから距離を取った。だがしかし、そのペンギンは僕の方に踊りながら近づいてきた。
「ひいっ!な、なに!?」
だらんと垂れ下がった舌と大きい瞳がいやに不気味に見えた。
「これは……やばい……!やられる!逃げなきゃ!」
僕は立ちはだかるそいつの脇を通って玄関に駆け込んだ。
「か、母さんっ!助けて!」
「どうしたのケイン!」
「庭にヤバいのがいるんだ!魔法生物だ!」
「なんですって!エベル!あんたみてきて!」
「わかったよ母さん!どうしたんだ兄ちゃん!」
「エベル!そこ!そこに!」
「……何もいないよ?」
「え?でも……」
「やだなぁ兄ちゃん。何を見間違えたんだよ」
「人騒がせねぇまったく」
「よく見てくれよ!そこの地面膨らんでるだろ!そこから出てきたんだ!」
「ははは。勉強のしすぎでおかしくなったんじゃない?」
「そうねぇ。ケインはここ最近すごく頑張ってるものねぇ」
「いや褒めてくれるのは素直に嬉しいけど……でも信じてくれよ……」
「まあ害がなかったわけだしいいんじゃない?」
「能天気だなぁエベルは……。他の国じゃあ魔法生物のせいで大変なことが起こるんだぞ」
「俺はそんなの知らないもんね」
「はぁ……もういいや。冷えたからお風呂に入るよ」
「ご飯用意しちゃうね」
「ありがとう」
玄関の外にはやはり膨らんだ跡があるのだが……襲ってこなかったし危険じゃなかったのだろうか……。うちの人たちは危機感がなくて困るよ。
翌朝、学校でその話をしてみた。
「ふぅん。魔法生物に会ったの」
「そうなんだ。地面を潜って僕を追いかけてきた。……あれは僕をとって食おうとしたに違いない!」
「……ちなみに姿を見ることはできたの?」
「もちろん!だらりと垂れたおおきな舌……グルグルとしたおおきな眼!」
「それは恐ろしいわね……」
「そして頭がアイスクリームでできたペンギンなんだ!」
「アイスクリームでできた……ペンギンだって?」
「そ……そうだけど?」
「……ぷっ。あはははは!」
僕の言葉を聞いたジェシカは突然大笑いし始めた。
「なっ!なにがおかしいんだよっ!」
「そっ……それっ……!メルトペンギンよ!」
「なんだねそれは」
「魔法生物の中でも全くの無害!小学生でさえ喜んで食らいつく最弱と言われる魔法生物よ!」
「え、えぇぇええ!」
「そんな魔法生物にいっぱい食わされるなんて……ぷぷ……。メルトペンギンもさぞ鼻が高かったでしょうね」
「そ……そんなにバカにすることないじゃないか!あんなの聞いたことないし……未知のものに対して人は恐怖するものでしょ!」
「それは確かにね。メルトペンギンはゼレフくらいでしか目撃されないしその目撃頻度も稀有だからね」
「それじゃあ……!」
「でも、ペンギンとアイスクリームよ?」
「う……」
「まあ地面が盛り上がって正体不明のものに追いかけられたらちょっと怖いか……。いいわ、そういうことにしといてあげる」
「なにがだよ……」
「それにしても惜しいことをしたわね」
「え?」
「メルトペンギンは大変美味なことでも有名なの。多くの人を魅了してきたらしいけど、食べたら良かったのにね」
「知らない生物を食べるなんて異常だぞ……」
「まあ普通はそうよね。毒があったらたまらないし。でもメルトペンギンはどれも無毒で美味だと言われているわ。今度会ったら是非食べましょう」
「そうだね」
「まあ、会える頻度は多くないでしょうけど」
「会えるさ。この先何度だって君と同じ冬を過ごすんだから」
「……そうね。勉強、頑張りましょ」
「うん!」
ここに来て僕はもうひとつの目標を立てたのだった。あのメルトペンギンを、必ずジェシカと一緒に食べる。笑いものにされたんだから、絶対に食べてやるんだ!
……まあ本当は、ジェシカと同じ大学に受かっていることが前提として成される目的であるから……目標のさらに先の目標ということになる。
これが達成される時には、僕はきっとジェシカと結ばれているんだろうなって、それだけを夢見た目標。浮かれすぎかな?まだ受かってもいないのに。この2つの目標を実現するために!残り少ない期間を頑張ろう!
そして遂にその日が来た。僕たちの志望校フリディリア・ユニバーシティ。これに受かれば僕たちはジュダストロの中心に行きジェシカの希望である高給な仕事に就くことが出来るだろう。……逆にここでどちらかが落ちれば……恐らくもう会うことは出来ないだろう。
「どう?ケイン」
「緊張はしてる。でも、今まで頑張ってきた分自信は自分でも驚くほどあるんだ」
「それなら十分ね」
「ジェシカは?」
「私もよ。あなたと頑張れたから」
「お互いに絶対に受かろう!」
「ええ!」
僕は気合いを入れ直し受験に臨んだ。
「……どうだったかしら?」
「ベストは尽くしたよ……。あとは、もう祈るしかない……」
帰りの列車の中で身体の力の抜けきった僕たちが椅子に背を預けていた。
「正直ね、私もここまでできると思ってなかったの」
「そうなの?」
「当たり前じゃない。フリディリアよ?辺境のゼレフ出身なんて言ったら笑われるほどに栄えた場所。そんなところで働くために学べるのだから、当然難易度も高いわ」
「なんか自分は受かって当然みたいな感じだったから……」
「だからあなたに救われたのよ。1人で勉強しているよりも絶対に良かったと思う。ありがとう」
「……でも、もし……」
「いいえ。受かっているわ。ふたりともね」
「……ははっ。だといいよね」
カタン……カタタン……。
列車の揺れる音だけが辺りに響いていた。
いつの間にか眠ってしまったらしい。まだ列車はゼレフに着いていなかったがちゃんと確認しておかなければ……。
時刻表を見ようとして違和感に気づく。……肩が重い。ゆっくりと首を回すと、目と鼻の先にジェシカの寝顔があった。
「わっ……!……ジェシカだ」
「ん……むぅ……落ち……ない……」
「夢でも見てるのかな……」
肩を貸してあげることにした。動けなくなってしまったので僕も再び微睡んでいった。
「お次の停車はゼレフ。ゼレフとなっております。降りる方はお気を付けて。極寒ですのでね……」
「……はっ!もうゼレフか!」
僕はアナウンスでなんとか目覚めることが出来た。
「ジェシカ……!そろそろ起きて……!」
「ふぁ……あ、私、寝てた?」
「バッチリだよ」
「そういうケインもじゃない?ヨダレの跡ついてる」
「ははは。ジェシカこそ」
「あら」
「はい~ゼレフ~ゼレフ~。間もなく扉が開きます。お気を付けて。極寒ですのでね……。早く降りちゃってね……」
「あ、着いた。急ごうか」
「うん」
僕たちは列車を降りて近くのコーヒーショップに入った。
「……飲まないの?」
「……ちょっとね」
ジェシカが震えていたのは多分駅からコーヒーショップまでの徒歩で身体を冷やしたことだけが原因ではないようだった。
「大丈夫」
「……うん」
僕はコーヒーカップを包むように添えたジェシカの手を更に包んだ。
「当店自慢のオリジナルブレンドです…。冷めないうちに…入れたてを…どうぞ」
「あ、ちょっと空気読んでください……」
「………」
コーヒーを飲み終えた僕たちは店を出た。
「うう~ん!ありがとうケイン!なんか一気に気が楽になった感じ!もう終わったんだ~!」
ジェシカはいつものクールな感じとは違い開放されたかのように身体を伸ばす。
「はは。さっきまでお通夜かと思うくらいだったけどね」
「ケインだってそうだったじゃない」
「まあ、ね。でもほんと終わったから気にしても仕方ない」
「そうよね。……もし、なんて考えちゃいけないわよね」
「……うん」
「……2人でこうしてゼレフにいられるのも最後かもしれないわね」
「そういうこと言っちゃう?」
「いいえ。だって、来年はもうフリディリアにいるんでしょ?」
「あ……」
「ならもうここにはいないわけで。だから、ちゃんと味わっておきましょうよ」
どちらか片方がいなくても、2人でゼレフにいられるのは最後なんだ……って言いそうになった。
「……そうだね」
「もちろんふたりとも行くのよ!」
見透かされてたかな?
「当たり前でしょ!」
わざとらしく大きな声でそう返事をする。
「ほんとかなぁ……?」
ジェシカがいたずらっぽく笑う。この笑顔を来年も見たい……いや、見るんだ、僕は。
「あ……そういえば……」
「どうしたの?」
「もうゼレフにはいなくなるわけだよね」
「そうね」
「メルトペンギン……みたかったなぁ」
「あぁ。たしかに。ゼレフにしかいないもんね」
「僕はね、こっそり目標にしてたんだ」
「何を?」
「君とメルトペンギンを見て、食べてやるんだって」
「ふふ。なにそれ」
「僕を脅かしてくれたんだから、そのお礼をしてやらなくちゃ」
「……きっと、叶うわよ。ここを離れてもね……」
「え?」
「なんでもないっ!さ、冷えないうちに行くわよ!」
「わっ!急に走んないでよ!危ないよ!」
「いいのっ!もう怖いものなんて何もないんだから!」
「そういうこと言うと1番危ないんだから!」
暗くなった雪道を2人で帰った。
「さぁ……約束の時よ」
「来たんだね……この時が……」
僕たちはフリディリア・ユニバーシティの正門に立っていた。
「あとは掲示板に私たちの番号があるかどうか。それだけ」
「絶対にあるさ!」
「……行きましょう。お互い、生きてまた会いましょうね」
「うん……!」
多分受かった報告をしようって意味だと思うけど……今日のジェシカは緊張のせいで変なことを言っていた。
番号が離れているから別々に行くことになったのだけど……。
「あれ?ここじゃないのかな」
僕の番号の付近の掲示板がなかなかみつからない。
「おいおい……嘘だろ……」
視界の端が滲んできてどんどん心拍数が速くなる。大丈夫だ……まだ番号が抜けてるわけじゃない……。
「どこだ……」
それというのもこの掲示板、密集を避けるためかやけに点在して置かれているのだ。番号付近のものを調べればいいというわけでもない。方角でしか分けられていないから点在する位置にわざわざ見に行かなくてはならないのだ……。……誰だよこんな面倒な仕様にしたやつは……。
「おっと、ごめんよ」
「あ、すみません」
「今年の受験生か……。その様子じゃまだ番号が見つからなくて焦ってるってところだろう」
「そうなんです……この学校の方ですか?」
「あぁ。俺はユーガ。ここフリディリアの総合学部の生徒さ」
「僕総合学部志望なんです!」
「ほう。じゃあもし受かったら俺の後輩って訳だ」
「よろしくお願いします!」
「受かってるといいな。お前の受験番号は?」
「1582です」
「ふむ。あっちだ。行ってみるといい」
「ありがとうございます!」
「春にまた会おう」
そう言うとユーガさんはくるりと後ろを向き片手を少し上げて去っていった。
「よし……行くぞ……!」
僕はユーガさんに教えてもらった掲示板の方へ行った。そこには肩を落とし涙を流す者、はしゃぎながら手を取り合う者、呆然と立ち尽くす者、等々その結果を見て取れる者たちで溢れていた。
「僕はどっちになるんだ……」
周りに惑わされてはいけない……。僕はもう決心して番号を確認することにした。
「一生懸命頑張ったんだ……!必ず番号はある!」
人波をかきわけて掲示板の前にたどり着いた。
「1582!どこだ!」
1500を見つけた。これを辿っていけば結果が示される。もう僕は気が気ではなかった。
1530……1550……1580………1583!
「……え?」
番号は、そこにはなかった。
「う……うぅ……」
涙が溢れてきた。この1年の頑張りやジェシカとの約束。何もかもが崩れ去るような絶望的な解放感。全てが虚構に包まれていく感覚に陥り僕はその場に崩れ落ちた。
「おい、もう結果を見終わったんだろ?どいてくれよ」
心無い言葉を浴びせられ我に返る。
「ご……ごめん……なさい……」
「……ふん」
長い銀髪を靡かせた青年が僕を冷たく一瞥して掲示板に目を向けた。そしてすぐにくるりと振り返ると去っていった。
「……僕も、行かなきゃ……」
こんなところでこうしていてはいけない。入口でジェシカを待つことにした。
「あっ、ケイン!」
ジェシカが僕を見つけると、大きく手を振りながら走ってきた。
「良かったよー!受かってた……!受かってたよ私!」
満面の笑みで僕に抱きついてきたジェシカを受け止めるも、僕にはもうジェシカを抱き返すだけの力もなかった。
「……そっか」
ジェシカは一言そういうと、より強く僕を抱きしめた。その力強さと温かさに僕はまた泣いた。
帰りの列車の中で、気まずさを引きずらないように僕はかえって明るく振る舞うことにした。
「よかったよジェシカ!君が受かったなら僕はもうそれでいいんだ。君と勉強した日々もきっと無駄にはならないしね。うん。……よかった」
「ありがとうケイン。……でも涙を拭いてから言うといいわ」
「あ、ごめん……止まらないんだ」
「ごめんなさいね……」
「なにを謝ることがあるのさ!僕のことなんて気にしないでよ!」
「そうは言われても……私だけ喜ぶのも悪いわ……」
「僕が受かっていればこんなことにはならなかったのにね……」
そんなことを言えば気まずいのはわかってはいたけれど、自己嫌悪に押しつぶされそうでつい言わずにはいられなかった。
僕たちの間に嫌な沈黙が流れてしまった……。
「ケイン。あなたは悪くないわよ」
それでもジェシカはまだ僕を勇気づけようとしてくれた。
「ジェシカ」
「また頑張りましょう。あなたならまだ全然いい学校いけるわよ」
……君がいなければ意味がないんじゃないか……。
「……そうだね」
「……うん」
気疲れもあってか2人でその後眠ってしまった。
「ゼレフ~ゼレフ~。お降りのお客様はお気を付けて。見ての通りこの街……極寒ですのでね……」
「はっ!また寝てた!ジェシカ!起きよう!」
「あ……もうついてた……。行かなきゃ……」
2人で列車を降りた。
「今日はありがとう。私、ケインと勉強できたから受かったんだって信じてる。だから……」
「うん。僕もジェシカと一緒に勉強できてよかった。何かに対してこんなに一所懸命になれたのって、はじめてだったんだ。ジェシカが教えてくれたんだ。大切なもののために頑張ることができるって」
「ケイン……」
「……さよなら、ジェシカ。僕はもう君とは会えないけど、この1年君を想って頑張れたことは何よりの宝だった」
「……ありがとう」
僕は振り返らずに歩いた。もう僕がジェシカに向けられる顔はなかったから。
もう学校は自主登校期間に入ってしまっていたから、合格したジェシカは学校に来ることはないだろう。あとは僕が残された期間に入ることの出来る大学を探さなければ……。
「おーい、ケイン。いるか?」
「はい」
「ちょっと生徒指導室に来い」
担任から呼び出された。
「フリディリア・ユニバーシティに受験したんだろ?」
「はい、そうです。でも……」
「うん。知ってる」
「からかってるんですか?」
知っていながらわざわざそんなことを聞きに来るなんて。無神経な言葉に思わず腹が立つ。
「あぁ、いやそういうわけじゃない。気を悪くしたなら謝る」
「なんですか一体」
「まずは、おめでとうと言っておく」
「は……?」
落ちたのに……おめでとう……?何を言ってるんだこの人は。
「僕が落ちたのがそんなに可笑しいんですか。失礼します」
そんな煽りを受けては心底不愉快だ。僕はすぐさまこの場を離れようと席を立った。
「あー違う違う!結果から言った方が良かったな。うん、受かったんだ、お前は」
「なっ……何を言ってるんですか?」
「受験番号がなかったからって終わりじゃあないんだ。お前は最後の最後でしがみついたんだよ。やったな」
「………っ!!」
「言葉にもならないよな。そりゃ」
「うわぁあぁああ!」
気づけば僕は叫び出していた。止められるはずもない。僕自身で出しているつもりも一切ないものなのだから。
「いきなりうるせぇな……まあでも、好きなだけ騒げ。何しろフリディリアだ。おめでとう!」
「うわぁああああ!」
叫びながら泣いた。笑いながら泣いた。全部を振り絞って届かないと思った目標に、僕は首の皮1枚ひっかけていたのだ。
「お前が1番伝えたい者のことも知っている。授業はないから学校を出てもいい。さあ行け」
先生に背中をぽんと押されて、僕は走り出した。
「今日だけは廊下を走ることを許そう!君は信頼に報いなければならぬ。今はその一事だ。走れ!ケインっ!」
「はいっ!」
ケインは走った。力の限り走った。
「ジェシカ!」
僕は真っ直ぐにジェシカの家へ向かいその戸を叩いた。
「ケイン。どうしたの?」
扉を開いたジェシカは息を切らせながら走ってきた僕を見て目を丸くしていた。
「受かったんだ!僕は受かっていた!」
「それってもしかして……!枠が空いたのね!」
「そう!最後の最後で僕は滑り込んでいたんだ!」
「よかった……よかったよ……!」
ジェシカはぽろぽろと涙を流し始めた。
「ありがとうジェシカ!ありがとう……!」
乾ききらぬ頬を再び濡らして僕はジェシカを抱きしめた。今度こそは力いっぱい抱きしめた。
あれから10年の時が経った。僕たちはフリディリア・ユニバーシティを卒業して、中央で仕事をしていた。今日は遠征の任務を受け久しぶりに2人揃ってゼレフに行くことになった。
「まさか君と故郷に行くことになるなんてね。偶然にしては嬉しい任務だ」
「本当ね」
揺れる列車の中で僕は懐かしい感覚に浸っていた。
「憶えてるかい?列車に揺られながら、2人して緊張しながらフリディリアに行ったこと」
「忘れるわけないじゃない。あなたと一緒にいられるかいられないかの瀬戸際だったんだから」
「まあ、紆余曲折はあったけどね」
「誰かさんのせいでね」
「ははは……。ごもっともです……」
実に耳が痛い。
「ゼレフ~ゼレフ~。さて、本日も変わらず寒さ対策を。極寒ですのでね……」
「多分車掌さんずーっと変わってないんじゃないかな……」
「行くわよ」
「はいはいっ」
久々に来た街は相変わらず雪景色で街並みもあまり変わらなかった。
「ふ~っ。相変わらず寒いねゼレフは」
「極寒ですのでね……」
「もうそれはいいからっ!」
「こんなに寒いとね、あっちに慣れちゃうと耐えられないよ……」
「じゃあさっさと調査終わらせちゃいましょ」
「はーい」
降り続ける雪の中で、何かが蠢くのを見た。
「あっあれは!」
「早速お出ましかしら……?」
僕たちは有害な魔法生物を調査する仕事をしている。ここゼレフでも調査員が謎の魔法生物を見かけたと言うので派遣されたのだ。
「地面が盛り上がって……こっちにくる!」
「ちょ……ちょっと!まずいわよ!」
「ジェシカ!」
ジェシカが謎の隆起に追いかけられている!
「うわーっ!た、助けて、ケイン!」
「遠くに行かないで!歩きにくいから!」
「も、もうだめ……!」
ジェシカは隆起に追いつかれてしまった。
「……っ!……あれ?」
「ん?この状況……」
「なんにも起こらな……」
ジェシカが言い終わらないうちに隆起から何かがぽんっと飛び出した!
「わぁぁあぁああ!」
ジェシカがひっくり返る。そして出てきたのは……やはりあのペンギンだった!
「ぷぷっ……あはははは!」
「ちょっ……!何笑ってんのよ!」
「いや……だってそれ……!」
「……はっ!」
「メルトペンギンだよ!」
「………思い出した……!私も笑ったわね……あなたのこと……」
「あ、憶えてた?僕もしっかり憶えてたよ。もちろん……あの約束のこともね」
「ふふふ。それについては私もよ。ここに来たら見つけたいなって思ってたの」
「じゃあ2人の怨みを込めて……食べてやろうか」
「そうしよう!」
「覚悟しろメルトペンギン~!」
意外にもメルトペンギンはちっとも逃げようとはしなかった。
「あれ、逃げないんだ」
「メルトペンギンは逃げないわよ。多分今回の調査対象もこの子だし。私たちみたいに脅かされたのね」
「じゃあこいつを食べたらだめかな?」
「いや、それはいいと思うわよ。この子が脅かした張本人かどうかもわからないし」
「よし!食べよう!」
「半分こね!」
「わかってるよ!」
僕たちはメルトペンギンを交互に食べた。
「う……うわあ!なんだこれ!なんだこれ!」
「はじめての味……!アイスクリームがこんなにコクのあるものだったなんて……!」
「これは確かに……食べなきゃ損だったわけだ」
「ほんとうね」
「……約束、叶ったね」
「当たり前よ。だって私、言ったじゃない」
「そういえば……」
「きっと10年経ったってあなたと一緒に居るんだって、思ってたもの」
「ジェシカ……!」
寒い寒い極寒の街でも、今の僕たちは凍えることはない。だってこんなにも、ジェシカを愛しいと思う気持ちは熱々に煮えたぎっているんだから!