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STORY4. アレクセイの憂鬱

 目を閉じればあの時の光景が蘇ってくる。世界が変わったあの瞬間の出来事も、僕たちを護ろうと怪物と戦った女神の姿も。全て脳裏に焼き付いている。


「なんだろうか⋯⋯この焦燥感は」


 心が落ち着かない。胸の内から込み上げてくる感情が、想いが僕に動けと訴えかけているようだ。


 ───女神によって大魔王を名乗る黒竜は封印された。まるで最初から存在しなかったように、平原に現れた扉と共に虚空へと消えいく光景に皆が歓喜した。化け物がいなくなると。女神のお陰で世界が救われると。

 そう思った矢先に女神もまた、黒竜の手に引き摺られ虚空へと消えていった。傷付いた体で、抵抗も出来ず黒竜と共に消えていく光景は忘れたくても忘れられない。


 あの日からずっとそうだ。ただ平凡に生きてきた僕に何かが訴えかけるように心が騒いでいる。自分の心なのに、自分のモノではないようで、高まる感情を制御出来ない自分に腹が立つ。

 僕は怒っているのか? 女神を道連れにした黒竜に。何も出来なかった自分自身に。

 僕は悲しんでいるのか? 僕たちを我が子と呼び、消えるその瞬間まで僕たちの為に力を使った女神の最後を。

 僕は喜んでいるのか? 変わり果てた世界で、平和が崩れた日常で⋯⋯ようゆく僕の出番がやってきたと。僕の出番? 自分でも何を言っているのかが分からない。


「人の悲鳴?」


 遠い場所で微かに聞こえた人の悲鳴。心の底から感情が高まる気がした。何故だろうか? 僕自身でもよく分かっていない。けど、今は行かなきゃ行けない。僕を待っている人がいる。

 込み上げてくる激情は僕を戦地へ誘った。冷静な僕の部分が訴えている。悲鳴の先に怪物たちがいると。僕たちが手も足も出なかった、怪物たちが。


 そう、黒竜が消えても尚この世界に残った脅威が存在する。それは黒竜と共に消えた巨大な扉を潜りこの世界へとやってきた裏側の世界の住人たち。平原から僕たちの住む王都は距離が離れていなかった。だから、最初の標的にされたのだと思う。

 一度目の襲撃で騎士団が壊滅した。死人は奇跡的に少なかったけど、怪我人が多数出た。二度目の襲撃で王都を護る外壁が崩壊した。人々を護る騎士たちは一度目の襲撃で倒れた。護る人は誰もいない。王都は怪物たちによって血に染まると誰もが思った時に、怪物たちが僕たちの前から姿を消した。


 黒竜と女神による戦いが起こったのはその後直ぐだった。黒竜によってティオレ山脈は消し飛び、両者の戦いの余波で僕たちの国は荒れ果てたと言っていい。怪物たちにとって狙いやすい国はここだったのだろう。


 今、三度目の襲撃が起きている。その事を自覚すると体に力が入り、飛び出すように加速する。喧騒の地から逃れるように僕と正反対に走っていく人たちにぶつからないように注意しながら駆ける。どれくらい時間がかかった?

 まだ間に合うかな? 精一杯急いだつもりだけど、距離があったから現場まで時間がかかってしまった。ようやくたどり着いた地で、僕の目に映ったのは怪物たちと戦う騎士の姿。


 風の噂では聞いていたけど、傷は治ったのか? 女神が虚空へと消えていく瞬間に何かをしたのを皆は知っている。それの正体が何かは分からない。けど、その後から僕たちの身体能力が驚く程に向上していた。そして、怪物達との戦いで傷を負った人たちの傷が完治した、なんて話も聞いた。

 怪物と戦う騎士たちの姿を見るとその話は決して嘘ではなかったらしい。女神教の信徒を名乗る人たちが広めていたから、真偽までは分からなかったから今の今まで疑っていた。少し申し訳ない気分になったよ。


「ブモォォォォ!!」


 騎士が対応しきれていない怪物の一体が崩れた外壁を抜けて中へと侵入しようとしているのが見えた。牛頭の怪物。一回目の襲撃の時にもいた化け物だ。僕はあの時戦う勇気がなくて騎士たちがやられている姿を見ているだけだった。

 けど、今は違う。心は奮い立っている。戦えと!人々を救えと僕に訴えている!


 腰に差した剣を抜いた。父さんに無理を言って仕入れて貰った名工ガンテツが打ったロングソードだ。名前はないらしいけど、剣としては一級品。

 怪物が相手だろうと、僕は戦える。


「ブモォォォォ!!」


 騎士の一人が僕に逃げろと叫んだ。いや、僕は逃げない!僕が逃げた先で誰かが襲われたらどうする!

 牛頭の怪物がその手に持つ巨大な斧を振るう。軌道を予測して最小限の動きで回避する。そのまま近付き、胴体を狙って剣を横に一閃。


「ブモォォォォ!!」


 弾かれた!? 剣は確かに牛頭の怪物に当たった。けど、岩か何かに当たったような感触と共に剣が弾かれた。右手が微かに痺れている。僕が思っていた以上にこの怪物は硬いみたいだ!

 雄叫びと共に振り下ろされて斧を横ステップで躱す。攻撃が単調なお陰で躱す事は難しくない。けど、同時に僕の攻撃が通じていない。胴体は筋肉の塊だからか牛頭の怪物が力を込めると、鉄を纏っているように硬くなっている。

 ガンテツが打った一級品の剣ではあるけど、僕の技量が足りていない! いや、後悔するのは後だ。今は戦いに集中しろ。胴体に剣が通らないのなら、筋肉に覆われていない柔らかい所を狙えばいい。


「ブモォォォォ!!」

「しっ!」


 横に振るわれた斧を躱して、牛頭の怪物の丸太のように太い左腕に飛び乗る。僕が狙う箇所は体格差もあって簡単には狙えない。だから、君の腕を足場に使わせて貰う!

 僕のことを振り払うより先に足と腕と、体全体に力を入れて距離を詰める。全身全霊の力を込めた剣の一突きは確かに牛頭の怪物の右目を貫いた。


 倒した。筋肉に覆われた肉体は僕の技術では硬くて剣が通らない。だからこそ柔らかい箇所を狙った。右目を貫いた感触と手に伝わる。剣の先が牛頭の怪物の頭の先から見える。


 勝利を確信した。


「ブモォォォォ!!」


 それが不味かった。牛頭の怪物は死んではいなかった。怒りに身を任せるように怪物は咆哮を上げた。耳が壊れるかと思うほどの大きな声に体が一瞬硬直し、その隙を狙った牛頭の怪物の右腕が迫ってくる。咄嗟の判断で剣を牛頭の怪物の頭から引き抜き、迫ってくる拳に合わせるように剣の腹で防御する。

 身体を護るように無意識にした行いは、間違いなく悪手だった。牛頭の怪物の拳の一振で僕の体は宙を浮き、あまりの衝撃に僕の手から剣が飛んでいってしまった。

 地面に身体が当たる前に受身を取ることが出来たお陰で、直ぐに体勢を立て直す事は出来たけど戦うための道具を失った。


「ブモオオオオオオオォォォォ!!」


 右目から赤い涙を流し怒りのままに雄叫びをあげる牛頭の怪物の前に、僕は死を覚悟した。いや!僕はまだ死ねない!やらなければいけない事がある!

 救わなければいけない命がある!僕は───として!こんなところで死ぬ訳にはいかない!


 牛頭の怪物が斧を振りかぶりながら迫ってくる。その間、何もしない訳でない。剣がどこに落ちたかをその目で確かに確認した。距離は遠くない。攻撃を躱しながら剣を拾いに行こう!

 足に力を入れて牛頭の怪物の攻撃を躱そうした。なのに足が動かない! 無理やり動かそうとすれば痺れと共に痛みが走る。衝撃を完全に殺せなかったのか⋯。


 僕目掛けて振り落とされた斧を見て、僕は静かに目を閉じた。


「ブモォォォォ」


 予想していた痛みや衝撃が来ない。代わりに聞こえたのは痛みに耐えるような牛頭の怪物の声。閉じていた目を開けば騎士の一人が僕と怪物の間に入り、剣を振るっていた。

 僕の拙い剣と違ってその一振は洗練されており、筋肉で覆われた牛頭の怪物の身体を容易く切り裂く。騎士の剣によって切り飛ばされたモノが僕の直ぐ傍に落ちてきた。臓物か何かかと思ったが、よく見ると怪物の性器だった。

 僕のモノよりも遥かに大きいソレに敗北感を感じると共に、騎士のえげつない一撃に何故か体が震えた。僕のモノを抑えると確かにある。良かった。


「隙が出来たぞ!背後から狙え!」

「狙うならまずは足だ!機動力を奪う事を最優先にしろ!」

「了解!」


 性器を切り落とされた痛みかあるいは絶望か、牛頭の怪物が声をあげる。その間に応援に駆けつけて来た騎士たちが、背後や側面、様々な方向から牛頭の怪物に切りかかる。


 あっという間だった。僕が苦戦した相手が騎士たちの連携によって瞬く間に倒される光景をただ唖然と眺めていた。

 騎士が軽く振った剣が怪物の体を簡単に引き裂く姿に、実力の違いを思い知らされた。これが騎士⋯。人々を護る為に日々戦う者の姿。


 僕が憧れ⋯⋯なりたかったモノの姿。


「怪我はないか?」


 牛頭の怪物を死を確認した騎士の一人が僕に元に歩み寄ってきた。騎士の言葉に思い出したかのように体の調子を確かめる。僅かに痺れはあるが、時間の経過と共に落ち着いているように思える。大きな怪我はしてないはず。その事を騎士に伝えれば満足気に大きく頷いた。


「戦いは我々騎士に任せておきなさい。君たちを護るのが私たちの仕事だからな!」


 僕のなりたかった姿がそこにある。誰よりも強くあり、救いを求める者を助けられる人間になりたかった。家族や友達、大切なこの国の人たちを護れる存在になりたかった。

 そうだ。僕は騎士になりたかった。騎士の一人として皆を護る存在になりたかった。


 商家の長男として産まれた事に不服はない。家族の事も大好きだ。父さんに跡取りとして店を任せられるなと、頼られる事も嬉しく思う。けど、心のどこかで諦めきれない自分がいた。


 ───僕は騎士になりたかった。


 諦めきれないから何時でも戦えるようにと体を鍛えた。家の仕事の手伝いをしたりで、時間がなく剣を振りその技術を磨く事は出来なかったけど僕なら戦えると勘違いしていた。結果はどうだった? 戦えは⋯した。けど、あれは僕の敗北だ。騎士の助けがなければ間違いなく死んでいた。


 僕は⋯⋯弱い。


「強くなりたいか!」


 まるで僕の心を見透かすように騎士が叫んだ。その声は僕の心を揺さぶり、発破をかける。


「⋯⋯強くなりたい」


 込み上げてきた思いに反して言葉が中々出ず、絞り出すように出した声に騎士は満足そうに頷くと、両手を合わせ祈るように頭を下げた。微かに聞こえた独り言?『新たな同志を見つけました女神様』という言葉に嫌な予感がした。


「ならば!『神聖女神教』に入信しろ!私は女神様にこの身を捧げた事で強くなったのだ!」


 ───この間、僕に迫ってきた友達と同じ目をしている。騎士だけじゃない、大工の息子である友達の考えすら変え、人をここまで突き動かす力。


 信仰ってなんですか?

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