亡くなった者の魂は何処へ向かうのか?そんな質問をしてきたのがあなた以外にもいた気がするわね。でも遠い昔の話。なんて答えたかもあやふやになってしまうくらい昔よ。
まだ私が神見習いだった頃かしら? あの時はまだ神の仕事について熟知していなかったから、答えになっていたかも怪しいわね。今の私が答えるなら⋯そうね。
亡くなった者が向かう世界? あなたが言うような天国や地獄なんてモノは存在しないわ。所詮、定命の者が救いや罰を求めて空想で作った代物よ。あなたがどんな宗教を信じてきたかは知らないけど、あなたが望む所にはいけないわよ? え、何も信仰してないの?⋯⋯ 変わってるわね。
まぁいいわ。質問に答えてあげる。
死んだあなたが向かう先は次の世界よ。命あるモノは等しく死ねば肉体は朽ち果て、魂は神の元に導かれる。次の世界であなたがどうなるかは生前の行いが決めるの。
そんなに不安そうな顔をしなくて大丈夫よ。あなたは悪行よりも善行が多いの。次の世界でもきっと素晴らしい生涯を送れると思うわ。
だから安心して身を任せなさい。魂の管理人である
───なんてやり取りが少し前にあった。
「で、俺はあんたの手違いで死んだって訳か?」
「そういう事になっちゃうかしら?」
時間にしたら数時間前。神としてマニュアル以上のやり取りで迷える魂を次の世界へと導いてあげた。そこまでは良かったんだけど、私の手違い───正確にいうなら居眠りが原因で目の前の彼を殺してしまったの。神としての権限を使えば、死因が分からないまま次の世界へと送ることも出来る。でもそれをしたら女神としてお終いな気もするのよね。
定められた死ならともかく、私の居眠りが原因で亡くなるのは可哀想すぎるわ。
だからこうして彼を私の前に導いて事の顛末を話す事になった。
改めて、机の上に置かれた書類に目を通す。彼の名前は
死因は突然空から落ちてきた巨大な水滴に押し潰されて亡くなった事になっている。彼には私の手違いだと伝えたけど、真実を話すとしたら彼の死因は私のヨダレなのよね。
二週間ろくに睡眠を取っていなかったとか、終わりの見えない仕事を延々としていたとか色々と原因はあるのだけど、仕事の最中に睡魔に襲われた私は居眠りをしてしまった。
意識の外だった事もあり、私の口から垂れた叡智の液体───ヨダレが書類に付着。ヨダレによって書類に書かれた文字が滲み、一部の字が潰れた事で彼は亡くなってしまった。そんな簡単にと、思うかも知れないけど⋯ヨダレが落ちた所が不味かったわね。
彼の一生について書かれた欄にベッタリとついたヨダレが、19歳以降の記載をぐちゃぐちゃにしてしまっている。本来であれば記載された通りの未来に進む筈が、その先がぐちゃぐちゃになった事で進めなくなってしまった。それによって書類上で複数の不具合が起き、結果彼は亡くなった。
こうして見ると恥ずかしいくらいヨダレ出てたのね。美味しい物を沢山食べる夢を見たのが原因かしら?
それはともかくとして、問題なのは彼が本来とは違う最後を迎えたという事ね。
「本来なら貴方は96歳まで生きる筈だったの」
「待ってくれ、俺は19歳だぞ。77年も早く死んだ事になるのか!?」
「そうなっちゃうのよね。ちなみに死因は覚えていたりする?」
「大学に行こうと思って家を出て少し歩いていたら、急に辺りが暗くなったんだ。なんだ?と思って頭上を見上げて⋯、そこで記憶は終わってるな。何かに潰されたような感じだったと思う。痛みもない、一瞬の出来事だったから俺も良く分かっていない」
貴方を押し潰したのは私のヨダレよ、とは流石に言えないわね。言わない方が彼の為な気がする。ヨダレに押し潰されたのが死因だなんて、どんな英雄でも嫌がると思うわ。
「死因は圧死ね。空から降って物体に押し潰されて死んだの」
「やっぱり、上から降ってきた物に押し潰されたのか。俺は何に潰されたんだ?鉄骨とか」
「まー、そんな感じね」
一先ず、鉄骨という事にしておきましょう。
「完全にこちらの不手際だったわ。私がミスをしなければ貴方は96歳で老衰で亡くなる予定だったの。息子や孫だけじゃなく、曾孫にまで囲まれ死を惜しまれながらの大往生⋯っていうのが本来の貴方の最後」
「そう言われても全くイメージが湧かないな。恋人もいないし好きな人には振られたばかりだし、そんな大往生を迎えるとは思えないんだが」
「運命の出会いは2年後なのよ。だから、まだ出会ってなかったの。貴方だけじゃなくて、その運命の人や生まれる筈だった貴方の
一人の人間の一生が神によって定められたレールから外れた場合、それによって伴う変化は小さいものでは無い。彼の場合はその子孫に当たる人物や、将来結婚する相手との運命にまで関わってしまう。それだけでなく、彼がこれから起こす行動によって本来起こり得る出来事まで変わる。
彼の生きてきた世界の歴史にも影響を与えてしまった。それでもまだ取り返しがつく範囲で良かったのだけど、当人からすればたまったもんじゃないわよね。
「さっきも言ったけど大往生だったり、運命の相手なんかも会った事がないからイメージが湧かないんだよな。だからさ、そんなに謝らなくてもいいぞ」
「でもね、貴方が死んだのは私のミスなのよ」
「そうだとしても、俺は別に構わないって思ってる。正直神様もミスするんだって驚いたけどさ、この状況を心待ちにしていた所があったから」
「どういう事かしら?」
心を読めば嘘偽りを言っている訳ではなく、本心から言っている事が分かった。心待ちにしている?当然だけど、死ぬ事を心待ちにする者はいないと思うわ。余程に人生に絶望していない限りはね。彼は違う筈⋯。彼が待っていたのは
彼の生きていた世界に私を知る者はいない。彼ともこれが初対面の筈。心を読めば読むほど意味が分からなくなる。『異世界転生キターーー!!』って何が言いたいの? なんでそんなに嬉しそうなの?定命の者が考えている事が私には分からない。
「これってさ、異世界転生⋯いや、神様転生ってやつだろ!?」
「ごめんなさい、何を言ってるのか私には分からないんだけど」
「俺の世界でさ、こういう展開の小説とかアニメが流行っててさ。俺もそういうジャンルが大好きだから、読んでるし見てたんだよ。今の状況が正にその状況そっくりなんだ!」
「そ、そうなの?」
期待の籠った視線が私に向けられている。これまで様々な人間と出会ってきたけど、この手のタイプは初めてね。死んだ事を受け入れられない者や、歩んできた生涯に満足している者、来世に期待する者、悲観する者。色んな人間がいた。その中には神の手違いで、理不尽に死んだ者もいた。彼と同じように。
それは私がまだ見習いだった頃。先輩の手違いで亡くなった者が悲しみに暮れる姿を見た。神の理不尽に我慢できず怒りを顕にする者もいた。本来ならばそれが当たり前。誰だってそんな理不尽な死は受け入れられない。
魂の管理人としてそんな思いをさせないように私も気を付けてきたつもりだけど、かつての先輩のようにやらかしてしまった。今に思えば先輩も限界まで働いていたのだと思う。その上で私の教育まで押し付けられていたの。同じ立場になって漸く先輩の辛さが分かったわ。
だからといって私や先輩の過ちが許される訳ではないわね。私が犯した過ちの分だけ彼に償うつもりだった。悲しみも怒りも全て受け止めるつもりだった。
───喜ぶのは想定外だったわね。
「なぁ、神様。俺はこの後どうなるんだ?」
「マニュアル通りに進めるなら次の世界へ送る事になるわ」
「元の世界には戻れないのか?」
「未練があるの? そうよね。私のせいで亡くなったんだもの⋯未練はあるわよね。でも、ごめんなさい。貴方の望みは叶えられないの。死んだ魂は同じ世界に留まる事は原則として禁止されているの。魂の流れが停滞してしまうから」
「いや、俺未練とかないからそこら辺はどうでもいい」
「⋯⋯⋯⋯」
「友達と会えなくなるのは⋯まぁ、辛いけど。両親とは不仲だから特に思う事はないし。死ぬ前に関しても何のために勉強してんだろって考える事が多かった。展望もなくただ日々を過ごすだけだったからさ、未練を感じるようなものはないんだ」
元の世界の事を気にするから未練があるのかと思ったら全くなかった。心の内を覗いたから間違いはない筈。彼が気にしていたのは同じ世界に転生するんじゃないか、という懸念。どういう訳か同じ世界ではなく異なる世界をご所望みたい。
「だから、転生するなら異世界で頼む!」
「分かったわ、貴方が言う異世界に送ってあげる」
「ありがとうございます!よっしゃぁ!」
それが彼に対する償いになるのであれば、その願いを叶えよう。幸運な事に彼が願った事は難しい事ではなかった。そう、
「そういえば挨拶がまだだったわね。私の名前はミラベル。定命の者が神様なんて呼ぶ存在よ」
「ミラベル様?」
「好きなように呼んで。貴方を世界に送り込むまでの短い期間だけど、よろしくね」
───出会いは私の居眠りから。この出会いがきっかけで私の神として価値観が大きく変わる事をこの時はまだ知る由もなかった。