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第1話

「…なんで帰ってくるのよ…!?

女の子と会ったなら、自動的に泊まりじゃないの?」


洗面室に映る顔の赤い自分が、プリプリ怒りながら文句を言ってる。


「…だから嶽丸のベッドで眠ったのに」


なんというか…落ち着かなくて。

嶽丸の匂いがしないと眠れなかった。かといって、Tシャツを拝借して抱きしめながら寝るのも違うし…


私も少しお酒を飲んで寝たから、本当に嶽丸が帰ってきたことに気づかなかった。


着替えるとき、恐る恐る確かめた胸元の赤いアザ、今嶽丸がつけたものだと思うと…ちょっと胸が苦しい。


私にこんなことをしていいのは、俺だけって言ってた。

…もしかしたら、私も嶽丸が落としたいの女の1人なのかな。


「はぁ…朱里の言ってた通りだ…」


超絶セクシーモテ男、嶽丸の実力は本当に凄まじい。私もうっかりフラフラ吸い寄せられてしまった。


「でも、本命の恋人は、いないんだよね…?」


そんなこと聞いたことない。

あちこちでいろんな女の子に手を出してるイメージで、好きな人とか恋人とか…


「…結びつかん」


真剣に誰かを思う嶽丸なんて…想像できない。


そう思いながら、私は心の片隅に抱いた思いを消せずにいた。


(嶽丸に抱かれたい…)


恋人がいないなら、いいんじゃないかな…


嶽丸は私とのスキンシップも旺盛だし、嫌じゃないってことだよね。

抱きしめて癒してくれるし、キスだって、吐息が漏れるほどうまい…


「私から誘ってみたら…どうなるんだろ」


…答えてくれるんだろうか。


恋人はいらないけど、体だけ欲しいなんて。あれ?私も嶽丸と同じじゃない?


……………



嶽丸には声をかけずに家を出て、いつもの道のりで出勤する途中、降りた駅でふいに腕を引っ張られた。



「…待ってた。ちょっと話がある」



スラリと背の高い、いかにも仕立ての良さそうなスーツを着た、ちょっと目を引く男性。


…ケンゾーだ。



話とは、多分昨日の和臣とのことだろう。

私は素直にケンゾーに連れられ、落ち着いたカフェに入った。




「…お咎めなし、ってことですか」


「俺から厳しく言った。まぁ、あいつもいろいろ我慢していたことがあったらしいから」


「それは、ずっとヘアショーに出ずに、裏方をやっていたこと…なんでしょうか」


微妙な表情になったケンゾーを見て、だいたい当たりだと見当をつける。


「私も、何も言わない和臣の思いを、同期として汲んでやれなかったことは反省します。でも、ちゃんと言葉にしてほしかった…」


私が至らないなら、我慢せずに伝えてほしかった。それくらい遠慮なくできる関係だと思っていたし、修復しづらくなるまで拗れる前に、どうして何も言ってくれなかったんだろう。


私の思いはそれだけだった。



「私、和臣とちゃんと話したいです」


「それは…叶わないかも、な」


含む言い方をするケンゾーを問い詰めてみれば、和臣は今日から有休消化、そして…



「退職…?」


「引き留めたんだが、あいつの意思は固かった」



ケンゾーが曇った表情をするのは、間近に迫ったヘアショーのこともあるだろう。


…和臣がいなくなって、私1人で運営を任されるなんて、正直厳しい。



「心配すんな。和臣が抜けた穴は俺が埋めるから」


「え…でも」


「和臣と美亜に運営を任せたのは、2人に成長してほしいからだ。

特に美亜、お前の成長に期待していた」



…だと思ってた。

もっと仕事ができるようになってくれって、促されていたわけだ。


じゃなきゃ運営とアーティスト、両方やれとか「マジで鬼」…って思ってたから。



「そういうことだから、お前も怖い思いをしたと思うが、和臣とのことはこれで終わりにしてくれ」



テーブルに置いたスマホをチラリ見るケンゾーを見て、話はもう終わりなのだと察する。


でも…和臣とちゃんと話せないままもう会えなくなるのかと思うと、胸が痛い。



そして美容室に戻り、仕事をしながらショーの準備をするという、忙しい今日が始まった。


そしてすぐに判明したこと。

…なんと、私に任せたと、あれだけ言っていたヘアショーの会場…ちゃんと押さえてあったのだ。


担当者に確認すると、和臣とおぼしき男性からの予約だとわかって…だったらどうして、昨日あんな意地悪を仕掛けてきたのかと思う。


もしかしたら…和臣は私に相当歪んだ気持ちを持っていたのかもしれない。


それは、男性としての愛が拗れたのか、仕事を絡めての競争心が形を変えたのか…わからないけど。


すべてを自分の中にしまい込んだ和臣は、抱えきれないいろんな思いが弾け飛んで、きっとパンクしてしまったのだ。


そして…それを回収する元気も勇気も無くしてしまった…?


ここを去る決断をした以上、私にできることは何もないかもしれない。


でも私は、どうしようもなく悲しかった。


なんでもっと、和臣と話さなかったのかな…。

彼が私よりずっと真面目で完璧主義で、そして傷つきやすいことは知ってたのに。



………


「…ただいま」


「おかえり。…どうだった?美亜にヤンチャした同期くんとは仲直りしたか?」


リビングに入っていくと、嶽丸は黒いエプロン姿で、出来上がった料理をテーブルに並べていた。


突っ立ったまま言葉が出ない私に、すぐに気づく嶽丸。

手を拭きながらこちらに歩いてきて、今朝私につけた跡のことなんか忘れたみたいな笑顔を向ける。


「…仲直りじゃないな。謝罪、させてやった?」


「…無理だった」


「はぁ…?なんで?そこはオーナーが間に入って、きちんと謝罪させるべきだろ…」


「それが、和臣辞めちゃって…もう私にも会いたくないみたいで。

なんにも話せなかったのがちょっと辛くて…それで…」


「うん…」


嶽丸は私の手を引いて、ソファに座らせてくれた。

いつもみたいに隣に座って、正面から私を見ててくれる…


「もっとお互いに言いたいこと言い合って、お腹の中見せ合えばよかった…和臣はそういうタイプじゃないから、私からもっと話をすれば、こんな事で離れ離れにならなかった…」


和臣に襲われかけたことは怖かったけど、同期を失った悲しみの方が強くて…私はつい涙をこぼす…


「ほら…おいで…」


嶽丸はそんな私を、引き寄せるように抱きしめてくれる。


…涙が、嶽丸のシャツに吸い込まれていく。



「泣きたいときは、俺の胸で泣きな」



優しく背中をトントンしてくれる嶽丸に、私はとんでもないことを口走った。



「嶽丸、私のこと…抱いてほしぃ」


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