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第3話

「ようこそいらっしゃいました。倉本さま」



朱里が帰ったあと、予約をいただいていた顧客の倉本さまが来店した。



「今日もよろしく頼むわね。これから大切な人に会わなくてはならないの。夜にはパーティーがあるし…」


「かしこまりました。では少し華やかに仕上げていきましょうか」



倉本さまは、私の顧客の中でも特に重要なお客様で、その接客や言葉遣いには十分注意するようオーナーに言われている。


でも私からすればお客様に優劣なんてものはなく、精一杯の技術で、最高に美しくなって欲しいと思うだけ。


だから変に難しい言葉は使わず、リラックスして会話を楽しんでいただけるような配慮と、ホッとするひとときを提供したいと思っている。



「倉本さまの雰囲気を見てご用意した髪飾りです。よろしければ今日のヘアスタイルにお付けしてもよろしいですか?」


「…あら素敵ね!どこのメーカーなの?」


「…実は、私の手作りなんです。倉本さまの雰囲気に合うものが見つけられなくて、作ってみました」


「あなた、こんな才能もおありなのね?…なんて素晴らしい」



思いのほか喜んでくださった倉本さまは、声をひそめて謙遜する私に、髪飾りをすべて買うと言ってくださり…慌てた。



「いえ、とんでもないです…!これは私からのほんのサービスのつもりでしたので…料金をいただくわけにはまいりません」


「それはダメよ。あなたという、才能あるヘアメイクさんの貴重な時間を使って、作ってくださったんでしょ?」



いかにも高級メーカーのでっかい財布から、驚くほどの枚数の一万円を抜き取って、倉本さまは有無を言わせず私に押し付けた。






「また余計なことを…」


倉本さまからいただいたお金のことを、夜になって戻ったオーナー、田村健三に伝えると、眉間にシワを寄せて睨まれてしまった。



「申し訳、ありません」



取りあえず頭を下げる。

でも、独り占めすることもできた売上のこと、ちゃんと報告したことは褒めてほしい。実際倉本さまは、そうしなさいって言ってたし…。



「顔が謝ってねーぞ?」


「…はい?!」



謝ってるじゃん!くっそ…ケンゾーめ!


本人の前では言わないが、オーナーの田村のことを、実はスタッフ皆で「ケンゾー」と呼んでいた。

それは本人も気づいていて、怒らないところを見ると、まんざらでもないらしい。


実際まだ35歳で、若いスタッフとも普通に話せるケンゾーは実は人気がある。


スラッと背が高く、なかなかのイケメン。


私はそういう目で見たことがないからわからないが、スタッフは皆そう言って騒いでいる。



「確かに、私の製作物のせいで、メーカーから仕入れたものが売れなくなり、結果的に売上マイナスになりますよね。本当にすいませんでした」



抑揚なく言って一礼し、お金はデスクに置いたまま事務所を出ようとした。



「…今日はこの金で飲み会だ。セッティングしろよ」



後ろから追いかけてくる言葉にちょっとニヤけてしまうのを、まさかケンゾーが知ってるとは思わなかった。



「酒好きの美亜が出した売上げだもんな?飲ませないと恨まれる…!」


「そ、それは…ありがとうございます!」



うまい言い訳が思いつかなくて、結局酒好きを認めてしまった…


私はもう一度頭を下げて、今度こそ事務所をあとにした。


………


急な飲み会のわりに、出席率100%…

こんなにスタッフがたくさんいてくれるなら、私は適当なところで抜けたい…。


酔ってくるとケンゾーの説教が長いし、今日は自分が標的にされることはうすうすわかっている。



「だいたいお前は、お客さまに気持ちを入れすぎなんだよ!」



警戒したそばから…ロックのバーボンを手に隣に座ってきたケンゾーが、ピッタリ密着してくる。


ふわっと香るスパイシーな香りは、いい匂いだけど、いかにもThe・ケンゾーって感じで、私は少々苦手。


「あー、近い…っす」


小さく言って、ズリっと離れた。


「美亜はわかってねぇな…」


早くも長い説教が始まりそうなヤバい雰囲気のところへ、同期の武藤和臣がパッと間に入ってきた。



「まぁまぁ、いいじゃないですか。それがこいつのいいところなんですから!」



和臣は私と同期で、数店舗をまとめるマネージャーだ。

ケンゾーが和臣と話している間に、私は軽く挨拶をしてその場を抜けようと、ゴソゴソ立ち上がる。


なにしろ明日はアシスタントの早朝練習を見てやらなければならない…


私は和臣に感謝しつつ家路を急いだ。


………



「ただいま…」


少し慣れてきたけど、一人暮らしの家に帰ってきて「ただいま」とか言うなんて、まだちょっと変な感じ。


でもリビングに入って見渡せば…そこは綺麗に片付いた空間が広がっていて、ルームフレグランスみたいないい匂いまでする。



「お帰り、美亜」


部屋から出てきた嶽丸。

後ろからスルッと腰の辺りを抱く仕草は、もう…なんて言うか慣れすぎていて、あまりに自然だからうっかりスルーしそうになる。


私はその手をパチンと叩き、ちょっと怒った顔で振り返った。


「もうっ!あんたの女じゃないんだから!距離感考えてよ!」


「えー…別にいいじゃん。ハイタッチとかと一緒だよ?」


一緒じゃねーし…なんて口悪く言いながら、持っていたバッグを反射的に嶽丸に押し付ける。


「だいたい、ケンゾーもそうだけど、なんで男って簡単に近寄ってくるの?」



「…ケンゾー?」


「うちの美容室のオーナー。ちょっと今日、理不尽なことで怒られてね」


話す私を、嶽丸はうまくソファに誘導してくれる。そしていつの間にか冷蔵庫からペットボトルの水を持って来て、栓をゆるくしてから渡してくれた。


あ、こういう優しさは嬉しい。



「外で働くといろいろあるな?特に人間関係の煩わしさはツラいだろ?」



そう言って隣に座る嶽丸は、私の手を自然に握る。



「美容師って手が荒れそうだよな。…ハンドマッサージでもして、癒してやろっか?ん?」



こういうことを言うときの嶽丸の笑顔は何だか妖艶で…R18って感じ。


ほっといたらどこまで言うのかな…

私は微妙な表情で、嶽丸を上目使いで見上げてみる。


「ん?手だけじゃなくて、もっと、全身がいい?肩とか?足とか…?」


ちょっと笑って下を向いて、また見上げてみれば…


「…背中とか、腰も?なんならもっときわどいところも…?」


そこまで言ったところで、私はププッと吹き出してしまう。


「なに?まさか口説いてないよね?女と見たら、つい誘っちゃうとか…それってくせ?」


「あー…オチるどころかバカにしたなー」



嶽丸は不満そうに口を尖らせて、「ホイッ!」と何かを手渡してきた。


「洗濯もの。繊細なランジェリーは丁寧に手洗いしたぞ?」


受け取ってハッとする…!

そうだ…昨日も遅くてぼんやりして、下着も洗濯かごに入れてしまったかもしれない。


「あ、ありがとッ!」


さすがに真っ赤になって、渡された洗濯物を今さら隠すように奪い取ると、ニヤッと笑った嶽丸が面白そうに耳元で言う。


「ちっちゃいパンツはいてるんだな?ブラのサイズはBカップ…」


「あのね…!」


文句を言おうとしたのに、耳元にチュッとキスをされるなんて…!


私、結構危ないヤツを同居させてしまったのだろうか…!


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