空野は後々知ったことだが、黒瀬は病院に来る前に大事故に遭っていた。
友達と施設を抜け出した黒瀬は警察から逃げる途中に車に轢かれ、唯一あった右腕を失った。そして事故の衝撃は黒瀬の内蔵にもかなりダメージを与えていた。
黒瀬は一緒に轢かれたもう一人の少女と共に病院へと緊急搬送されるが、搬送中に友人は死亡。黒瀬も最新医療を駆使したところで一晩保つかという状況だった。
それでも彼女が死ななかったのは友人が車との間に身を投げ出して守ったからだった。
そんな時使われたのは黒瀬の友人、白沢明里の臓器だった。
検査の結果AIはすぐさま二人の適合条件が一致すると判断。黒瀬を救うためには臓器移植が必要だと医者に進言した。臓器移植には家族の承認が必要となるが、一刻も争う状況で現場の医師が事後承諾という形を取る判断した。
十二時間に渡る大手術の結果、黒瀬は一命を取り留める。だが医療従事者が知らないことがあった。
黒瀬の中にもう一人の人格が生まれていたのだ。
臓器移植をすると二割の確率で性格が変わるというデータは二十一世紀には既に存在している。
それが臓器の持ち主の性格であるかは定かではないが、移植された箇所の多さもあり、黒瀬は明里が自分の中で生きていると思い始めていた。
同時に物心ついた頃から生まれ変わりたいと思っていた願いが結びつく。二人は随分相談したが、手足を付けた後も生きる希望が見えないのなら肉体を交代しようと決めていた。
それはまるで搭載されるAIによって性能が変わる電脳義肢そのものだった。
後日。今日に至るまでの経緯を聞いた空野がなぜ屋上から飛び降りたのかと尋ねると黒瀬杏は楽しそうにこう答えた。
「やっぱり怖かったからですよ。でもしないといけなかった。けじめってやつです」
「……けじめってな。こっちは死んだかと思ったぞ」
「ある意味そうで、ある意味違います。死んだように見えて生まれて、生まれたように見えてずっとそこにあったんです。これまでも、これからも」
にこやかにそう告げる黒瀬を見て空野は分かったような分からないような気持ちになった。だが内心妙に納得してもいた。
「……で、これから君はどうするんだ?」
「方法はなんでもいいんでみんなを笑顔にしたいです。だってそれが一番嬉しいじゃないですか」
「たしかにな。俺もそう思うよ」
「でしょ? 楽しまないと楽しくないですし、誰かが幸せになってくれないと自分も幸せにはなれません。だからあたしはうんと楽しみます。それがきっとあたし達の幸せになるから」
正直まだ話についていけていない空野だったが、それには同意した。
「ならさ。俺と一緒にやらないか? 絶対は後悔させないから」
空野は優しく手を伸ばした。黒瀬はそれを見つめ、楽しそうにはにかんだ。
「よろしくお願いします」
そしてあの日から全てが動き出した。
黒瀬は大学に通いながらAIチューナーの道を目指し、空野は独立する準備を始めた。
四年後、資格と資金を手に入れると二人は本土から遠く離れた最果ての島に工房を建てた。青い海が見え、裏に畑のある小さな工房だ。
工房ができて二年ほど経つとある噂が流れるようになる。
最果ての島に工房がある。そこへ行くと、帰ってきた時笑顔になっているらしい。
そんな噂を聞きつけて今日も二人の工房には少し変わった要望の客がやってくる。