一話
努力することをつらいと思ったことはない。
物心ついた時からわたしは家にあった古いピアノを玩具代わりに弾いて遊んでいた。
鍵盤を押せば綺麗な音がポロポロとこぼれる。小さい時のことなんてほとんど忘れたけど、それだけは覚えていた。
歳を重ねる毎に弾ける曲は増え、それは長く複雑になっていく。もちろんすんなりとは弾けない。楽譜を暗記し、何度も何度も間違えながら弾く。ひたすらに、寝食も忘れて。
それは小学生になっても、中学生になっても、高校生になっても同じだった。
三歳からピアノ教室に通い、高校は音楽科に通った。授業中も放課後もピアノを弾き、学校から帰れば夕飯までピアノと向き合い、疲れて寝るような生活がずっと続いた。
もっと上手くなりたかった。自分よりピアノが上手い人の存在が許せない。それを認めてしまったらわたしのピアノへの愛が嘘みたいに思えるから。
だから誰よりも練習した。そんなわたしへのご褒美はある日突然渡された。
日本の音楽コンクールで結果を出し、海外のコンクールに呼ばれることになったのだ。
嬉しかった。結果が出て周りが喜んでくれたのもそうだけど、なにより自分の努力が、ピアノへの愛が認められた気がして飛び上がりそうだった。
同年代の中では頭一つ抜けた存在に周りの大人や同級生、先輩までもが褒めてくれる。嫉妬していた人達も圧倒的な結果の前では諦めを見せた。
これからわたしは海外でも認められるプロのピアニストになる。昔から思い描いていた夢が現実になりかけていた。
努力すればするほど全てが良い方向に進んでいく。それが自信にも繋がった。
ピアノ教室の帰り、お腹が減ったわたしはいつも迎えに来てくれるママにコンビニに寄ってもらった。大好きなスイーツを買って外に出ると、目の前に何世代も前の車が見えた。
その車はわたしにまっすぐ向かってくる。運転手は顔面蒼白だった。全てがスローモーションで動いていた。最後に見たのは眩しいライトの光だった。