足を挫いているせいでうまく泳げない。
体はだんだんと底へ沈んでいくのがわかった。
湖は暗く、そして冷たい。
私はここで終わってしまうの?
いいえ。まだ、まだここでは終われない。
まだ私には使命が残っているのに。
水面に溢れている光に向かって手を伸ばす。
すると、誰か。いや、ダース王子がこちらに泳いできて私の手を引っ張った。
彼は私を抱き寄せて、陸へ引き上げる。
私は咳き込んで湖の水を吐き出した。
「オークは!?」
王子は親指でクイっと指差す。オークたちは気絶しているようだった。
「マーガレット。そう! マーガレットは!」
「彼女は無事だよ。実習の先生が保護した。俺が走っている途中で照明弾が見えてね。まさかと思って駆けつけたんだ。フェードルス嬢はいたのに、君がいない。それで薙ぎ倒された木を頼りに進んでみたら、君とオークがいたってわけ」
ダース王子は脱ぎ捨てた上着を払って、私の肩に羽織らせる。
「助けてくださってありがとうございます。でももうマーガレットを気にかけるのはこれまでに」
「彼女は気にかけてない。君が心配できたんだ」
「なぜ? なぜ私に関わってくるのですか?」
私が尋ねると、彼は質問で返してくる。
「噂では君は、アンジェロ兄様のことが好きなんだよね。それなのに、兄上が気にかけているマーガレットを必死になって助けている。これはどういうことかな」
私は慎重に言葉を選ぶ。
「私は誰のことも好いてなどいません。私はやりたいようにやるだけです。これも別にマーガレットを助けるためではなく。マーガレットのいじめに巻き込まれただけですわ」
「そうかい。それは良かった」
「私の質問に答えていません。なぜ私に関わってくるのですか?」
ダース王子は素早く私を抱き上げた。
「ちょっと何するんですか!?」
「君に興味をもった」
「え……?」
澄み渡った空色の瞳が私をじっと見つめる。
私は恥ずかしくなって目を逸らした。
「あの、おろしてください」
「君は足を怪我している。歩けないだろう? さ、皆のところへ帰ろう」
ダース王子は私を抱き抱えたまま、森を歩いていく。
私は彼に尋ねた。
「あのオークを軽々と持ち上げるなんて。あれが殿下の能力なのですか?」
「そうさ。超怪力ってやつだね。他の兄上たちに比べたら地味だろ?」
皇太子のアンジェロ様は雷。
第二王子のカデオは治癒。
2人の派手な能力を思い出して、あぁと呟いた。
「それにあまり強い能力じゃない。君の植物を操る能力みたいにね。だから私は、兄上たちに負けないように剣術を頑張って磨いているんだ。こう見えても、兄弟の中で一番の剣術を誇っているんだよ。まぁ、アンジェロ兄様が雷を放ったりでもしたら、勝てるわけがないけどね」
少し情けないような顔をしているダースに私は返した。
「それでもあなたは、通常の倍もあるオークを軽々と倒した。誇るべき能力です」
私がそう言うと、彼は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう。ロザリンド。そう言ってくれたのは、君が初めてだ」
***
その後マーガレットと私は医務室に運ばれて、治療を受けた。
ダース王子は医務室の入り口で腕を組んで様子を見ている。
「マーガレット! 大丈夫かい?」
マーガレットのことを聞きつけたアンジェロ様がやってくる。彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「アンジェロ様!」
私の治療は終わったことだし、私は二人の邪魔にならないように、医務室から出ようとした。
「ロザリンド」
アンジェロ様に呼ばれて、私はすぐに振り返った。
「災難だったね。でも、君がいてくれて良かった。おかげでマーガレットが助かったんだから」
マーガレットもお礼を言う。
「ありがとうございます。ロザリンド様」
「……何がありがとうよ!」
私はマーガレットに近づき、そして彼女の頬を引っ叩いた。
この場にいた誰もが驚いた。
アンジェロ様が仲裁に入る。
「なぜ彼女をぶつんだ! 酷いじゃないかロザリンド。謝るんだ」
「この私が危険な目に遭ったのよ。それに噂ではマーガレット、あなたのせいだって言うじゃない。これはとんだ巻き込まれだわ。謝るなら、彼女が私に謝るべきよ」
私は軽蔑した目でマーガレットを睨みつける。
アンジェロ様は謝ろうとしているマーガレットを遮った。
「謝るなら僕が謝ろう。彼女は僕のせいで危険な目に遭ったのだから」
「アンジェロ様……! いいえ、私がいけないんです」
「君は何も悪くない。マーガレット」
アンジェロ様は私に向かって、頭を垂れた。
「すまなかった。マリーティム公爵令嬢。だから、頼む。マーガレットを許してあげて」
「ふん。アンジェロ様がそこまで言うのなら許して差し上げましょう。次に私を巻き込んだりしたら承知しませんわ!」
私は迫真の演技を見せた後、医務室から出ていった。
「ロザリンド」
ダース様が私を追いかけてくる。
私はそれを無視して、足を引きずりながら歩いていたがダース様が私の腕を掴んで引き留めた。
「なぜ本当のことを言わないんだ。わざと彼女にあんなことをして。なぜわざわざ悪役になろうとしているんだい」
「私のことは放っておいてください」
「放っておけない」
私は王子の手を振り解いた。
「それならあなたの口からアンジェロ様におっしゃったらどうですか? 皆さんの前で仰っても構わないですのよ。あの意地悪な、高飛車でプライドの高いロザリンドが人助けをしたと。それも、ど田舎に住むどこの馬の骨とも知らない冴えない伯爵令嬢を、あのマリーティム公爵の娘が……一体誰がそんなこと信じると?」
「……」
「私はロザリンドです。皆が私を恐れているあのロザリンドです。それ以上でもそれ以下でもない。私はこのままでいいのです。このままで。それでは失礼します。お優しいダース王子」
そうだ。
ロザリンド。
お前は悪女なのだ。
その重い枷を簡単に外そうなど思ってはいけない。
忘れるな。
忘れるな。
これは償い。
私は悪女のままでいいのだ。