ある日の放課後のこと。
学校帰りに一人で近所の商店街を歩いていたら、見覚えのない小さな店が建っていた。看板を見るとブティックだ。開店したばかりの店のようだった。俺はきまぐれに店内を覗いてみることにした。
「いらっしゃいませ」
店内に入ると、奥から白髪のじいさんが出てきた。多分、ここの店主だろう。
狭い店内を見て回っていると、きれいな赤いマフラーを見つけた。俺は、それを一目で気に入った。
じいさんに値段を聞いてみて、ビックリした。安い。中学生の俺がいま持っているお金で買えてしまう金額だ。
「買います!」
俺は即決した。
「ありがとうございます」
じいさんはマフラーを包装紙に包みながら、俺に言う。
「このマフラーは、魔法のマフラーなんですよ」
「え、魔法のマフラー?」
「これを首に巻いてね、毛先をこするんですよ」
じいさんはマフラーの毛先を指でつまんで、キュッキュッと二回、こすってみせた。
「そうするとね、あなたの目の前にいる人が、あなたのことを好きか嫌いか、本音が聞こえてしまうんだな」
なんだそれ。馬鹿馬鹿しい。じいさん、子どもだましのつまらない冗談を言ってるな。
俺は適当に聞き流して、店を出た。
翌日。早速、そのマフラーを巻いて登校した。
教室に入るとすぐに、友人のタカが声をかけて来た。
「おっ、アイト。それ、新しく買ったやつか?」
さすが、おしゃれ番長のタカ。目ざといやつだ。
「まぁな。安物だけど」
俺は自慢したい気持ちを隠して、さりげなく答えた。
その時、ふと、昨日のことを思い出す。
そういえば、あの店のじいさん、妙なことを言っていたな。
このマフラーは魔法のマフラーで、相手が自分のことを好きか嫌いかわかるとか何とか。
そんな話、俺は信じない。信じないけれど……。
ちょっとだけ試してみたくなった。
俺はマフラーの毛先を指でつまんで、キュッキュッと二回、こすってみた。
しばらく待ったが、何も起こらない。
そりゃそうだよな。当たり前か。
だが、次の瞬間。
突然、タカの声がボワーンと頭の中に聞こえてきた。
(アイトのこと、一番大事な親友だと思ってるぜ)
俺は弾かれたようにタカを見る。
目の前のタカの口は、動いていない。
「ん、アイト、どうかした?」
「あ、いや、何でもない」
俺はあわてて手を横に振った。
もしかして、これがマフラーの魔法?
いまのは、タカの「本音」が聞こえてきたのか?
ってことは、店主のじいさんが言っていたことは本当だったんだ!
その日、俺は興奮しっぱなしで、授業なんてほとんど耳に入らず、あっという間に下校時刻になった。
教室を出ようとすると、クラスメイトのサトウとカトウに声を掛けられた。
「アイト、これからうちで一緒にゲームしないか?」
どうしようかなと考えながら、何気なくマフラーの毛先に触ると、また、さっきと同じような声が聞こえてきた。
(アイトって生意気でムカつくよね)
(うん。あいつウザいよな)
おーっと、そうかい。それがお前らの本音かよ。
俺は無言でサトウたちから離れた。
「どうした、アイト?」
「いや、何でもない。俺、今日は先に帰るわ」
二人の返事も待たず、俺はその場を去った。
残念だな。あいつらは友だちだと思っていたんだけどな。
次の日。
俺は授業中もマフラーを外さず、密かに片想い中のエリナを盗み見ていた。
以前から、エリナの気持ちを知りたいと思っていた。
このマフラーの魔法を使えば、それがわかる。
もし、望まない結果が出たらどうしよう。たぶん、ヘコむ。
それでも、やっぱり知りたい。
俺は意を決し、エリナを見つめたままマフラーの毛先をこすった。
(アイトって性格悪そう。あんなやつ、彼氏にしたくないな)
ああっ、ダメだった!
俺はショックで、机に突っ伏した。
「おーい、アイト。教室内ではマフラーを取れ」
いつの間にか、担任のヤマダ先生が目の前に立っていた。
「あ、はい、すみません」
素直に謝ってマフラーを取ろうとしたその時、無意識に指が毛先に触れた。
(まったく、アイトは可愛げのない生徒だ。好きになれないよ)
えー、まじか。俺、ヤマダ先生にも嫌われていたのか。
俺、けっこういろんな人に嫌われてたんだな。
よし、こうなったら、とことん確かめてやるよ!
昼休み、俺はクラスの一人一人に魔法を使ってみた。
マフラーをキツめに巻き、毛先を力いっぱいこすりながら、一人一人、順番に顔を眺めていった。
(アイト君、苦手。話しづらいし)
(アイト? んー、何か嫌な感じだよね)
(アイトって嫌い。頭悪そうだし)
えーっ、嘘だろ?
嫌い。嫌い。嫌い嫌い嫌い。
クラスの全員から、俺は嫌われていた。
え、マジで? こんなことってあるの?
俺が呆然としていると、タカが怪訝な表情で近付いて来た。
「アイト、どうしたんだよ。顔色悪いぞ?」
「ごめん、体調悪い。今日は早退する」
俺はそれだけ言って、教室を飛び出した。
(アイト、心配だよ。おまえが辛そうだと、俺は悲しい)
タカの「声」が背後から頭に響いてくる。
ありがとう、タカ。おまえだけは味方で嬉しいよ。
でも、それにしたって、ちょっと敵が多過ぎて、何だか頭がクラクラして来た。
家に帰って部屋に閉じこもっていると、母さんが心配して中に入って来た。
「どうしたのよアイト、勝手に早退なんてして。風邪でも引いたの?」
俺はその質問には答えず、無言でマフラーを首に巻いた。
まさかな、さすがに母さんは大丈夫だよな。だって、俺の母さんだもんな。
(アイトなんて大嫌い。こんな子、産まなきゃ良かった)
「うぉぉぉぉ、馬鹿野郎ぉぉぉ!」
俺は、叫びながら部屋を走り出た。
気が付くと、俺はマフラーを買ったあのブティックの前まで来ていた。
こんな店で、あんなマフラー買わなきゃ良かった。一言文句でも言わなきゃ気が済まない。
俺は扉を蹴破る勢いで店内に入った。
「いらっしゃいませ」
「こんなマフラー、返品する!」
店主のじいさんに向かってそう怒鳴る。
じいさんは俺の剣幕に戸惑っていたが、マフラーを見て、うんうんと頷いた。
「マフラーの魔法を使ったのかね?」
「そうだよ。こんな思いするなら魔法なんて使わなければ良かった」
「裏表が逆ですね。そのマフラー」
「……はい?」
「マフラーの魔法を使う時は、マフラーを裏返しにするんですよ。説明したでしょう」
え、何それ? 俺、そんな説明、聞いてないよ。
あ、そうか。俺、そもそも説明なんてほとんど聞き流してたんだっけ。
「俺、表のまま、使いました」
正直に打ち明ける。
「そうしたら、本音と逆の声が聞こえてしまいますね」
じいさんはクククっと苦笑いをもらした。
そうか……そういうことだったのか!
いままでの「声」は全部、反対だったのか。
ということは……。
母さんは俺を「産んで良かった」と思っているし、ヤマダ先生も、サトウもカトウもクラスのみんなも、俺のことを好きでいてくれているんだ。
そして何より、エリナは俺のことを「彼氏にしたい」と思ってくれているってことじゃないか!
「いやっほーーーい」
俺はバンザイしながら雄叫びを上げた。土砂降りだった雨がピタッとやんで、陽の光が差し込んで来たように思えた。
じいさんに丁重に礼を言い、外に出た。
良かった。本当に安心した。俺は誰からも嫌われてなんかいなかったんだ。
あれ……ちょっと待てよ?
誰からも嫌われていない?
本当に?
たしか、俺のことを「一番大事な親友」とか「おまえが辛そうだと俺も悲しい」とか言ってるやつがいたような……。
「おい、アイト」
背後から名前を呼ばれた。ハッとして振り返ると、そこにはタカが立っていた。
「様子を見にきたぞ。おまえ、ほんとに大丈夫か?」
「あ、ああ、まぁ、だいじょうぶだ」
「良かったよ。俺たちは大親友だからな。おまえが辛そうだと俺は悲しくて悲しくて仕方ないんだよ」
タカは俺の背中をバンバン叩いてくる。
えーっと、つまり、これはどういう風に解釈すれば……?
もう一度、確かめてみるか?
俺はマフラーをひっくり返し、その毛先を指でこす……ろうとして、やっぱりやめた。
人の心の本音だとか何だとか、いちいち面倒くせぇや。
そんなもん、わからない方が幸せだし平和だ。
俺は首に巻いたマフラーをそっと外し、近くにあったゴミ捨て場のポリバケツに投げ捨てた。
【了】