「うっう、うっうっう」
さっきから、あたしはずっと泣いている。悲しくて仕方がない。
なぜって、失恋したからだ。
半年付き合った彼氏に、昨日、あっさりフラれてしまったのだ。
「いいよ、ミナコ。泣いていいんだよ。だって悲しいもんね」
そう言ってさっきからあたしを慰めてくれているのは、高校の同級生のレオナだ。
「失恋って辛くて痛いもんね。だから、いっぱい泣きな。涙であなたの心のにごりを洗い流しちゃえ」
レオナはあたしの背中をさすりながら、何やら気取った台詞を言ってくる。
「ごめんね、レオナ。大丈夫、あたし、もう泣かない」
あたしは顔を上げてレオナを見た。すると、レオナは大げさにハッと驚いてみせて、
「今のミナコ、すっごくいい顔してるよ」
と、あたしの肩を両手で掴みながら言った。
「えっ、そんなわけないよ。泣いて、こんなに目を腫らしてるのに、いい顔なわけないじゃん」
「ううん。思いっきり泣いて、過去はすべて忘れて、あなたは新しく生まれ変わった。だから、今のミナコは、産まれたてホヤホヤのニューミナコ。すごくかわいいよ」
レオナは、ちょっとよく意味のわからない台詞を大真面目にのたまう。根が単純なあたしはその勢いに押されて、少しだけ元気になれた。
「レオナ、優しいんだね。さすが、みんなから恋愛の教祖様って言われてるだけのことはあるね」
そう。レオナは周囲の女子たちから「恋愛の教祖様」と呼ばれている。だから今日、あたしは真っ先に自分の失恋をレオナに打ち明けてみたのだ。
「ちょっとミナコ。教祖様だなんてやめてよ。ただ、私はほんのちょっぴり、人の心の傷に敏感なだけ」
レオナは自分の両手を胸に当てて、フルフルと小さく首を振って見せる。
「ねぇ、レオナ。あたし、彼氏が出来ても、いつも半年くらいでフラれちゃうの。どうすれば恋愛が上手く行くのか教えて」
あたしはレオナの手を握って頼み込んだ。
過去の恋を引きずるなんて時間の無駄だ。あたしはさっさと次の恋に生きる。そのために、もっと恋のテクニックを学ばなくては。
「いやいや、ミナコ。教えるって言ったって、恋愛なんて人それぞれなわけで」
「そんな意地悪言わないで。どうすれば幸せな恋が長続きするのか、秘訣を教えてよ」
「そんなの、教えるようなもんじゃないでしょ」
「もったいぶらないでさ、ね、いいでしょ、先生」
「私は先生なんかじゃないよぉ」
「いいじゃん、ね、先生、レオナ先生!」
「先生じゃないっ! 教祖様とお呼びっ!」
突然、レオナに一喝され、あたしは椅子から転げ落ちた。
「私は先生なんてレベルじゃないの。恋愛の教祖・レオナ様。そこんとこОK?」
「お、おーけー、です、はい」
あたしはレオナの迫力に圧倒され、思わずひれ伏した。
こ、これが教祖様のオーラってやつか。
「そんなに、恋愛の秘訣、知りたいの?」
「は、はい。知りたいです」
あたしは椅子の上に正座して、レオナに向き直った。
「じゃあ、今日だけは特別だよ。何て言うんだっけ、こういうの。乗り掛かった、えっと、馬車?」
「船です、教祖様」
教祖様は、あんまり頭は良くないようだ。
「そう、船。その乗り掛かった船で、あなたの恋のお悩み、すべて答えて差し上げる」
レオナが指先をクルクルと回し、あたしの額をつつく。
「まず、そもそも今回の別れの原因は何?」
「彼の……浮気」
あたしは拳を強く握りしめる。さっき、涙で洗い流したはずの屈辱感と怒りが、またふつふつと蘇ってきた。
「定番だね。別れの原因、ほぼほぼこれ」
「ひどいでしょ、あいつ。私という彼女がありながら」
「んー、ちょっとお待ちになって」
「はい?」
レオナがまた指先であたしの額をつつく。ちょっとイラっとしたけれど、我慢してアドバイスを聞くことにする。
「ミナコ。そこに、あなたの傲慢ちゃんはいなかった?」
「ご、傲慢ちゃん?」
「二人は恋人同士。だから、彼氏が私を愛するのは当たり前。そういう傲慢ちゃん、心のどこかに潜んでなかった?」
「傲慢か……。たしかに、潜んでいたかも知れない。彼氏が側にいるのが当たり前すぎて、扱いが雑になっていたかも」
「それそれ、そういうとこだぞ。自分磨きを常に怠らないで。恋という花を、枯らさないために」
レオナの口から名言っぽいのが飛び出した。
「あ、ちょっと待って。今のメモしとく」
「ちょっとぉ、メモとかやめてよぉ恥ずかしいから」
レオナはガラガラ蛇のように身をクネクネとさせた。
「教祖様がこんなこと言ってましたぁ、なんて、SNSに上げるのは禁止だぞ」
「大丈夫だよ、そんなことしないって」
「して」
「はい?」
「本音と建前をちゃんとキャッチして。これ、恋のいろはのいだからね?」
「そ、そうなの?」
難しいよ、教祖様。あなたの扱いが。
あたしは手元のメモ帳に、教祖はきまぐれ、とだけメモしておいた。
「それで、ミナコ。あんたはどうして、彼の浮気に気付いちゃったわけ?」
レオナはベテランの占い師のように手の指を組み、そこにあごを乗せてあたしを覗き見る。
「実は、彼のスマホをこっそり覗き見ちゃったの。そしたら、知らない女の子からの着信履歴がいっぱいあって」
「ストップストップ、駄目だなぁ。スマホを覗く。これは極めてNGな行為ですぞ」
レオナがあたしの目の前に人差し指を突き付ける。あたしはその指をへし折ってやりたい衝動をこらえて、反論する。
「でも、彼氏がスマホを置いてトイレに立ったら、つい見たくなっちゃうでしょ?」
「ミナコ。気持ちはわかるよ。彼のプライベートを全部知りたくなっちゃう気持ち。でも、知らなくていい」
「知らなくていい?」
「そう。知らなければ、なかったのと同じ。スマホを覗きさえしなければ、浮気はなかったことになる」
「え、どういう理屈? 何かおかしくない?」
「昔から言うでしょ。知らぬがホットケーキって」
「知らぬが仏な。オヤジギャグかよ」
あたしはツッコミながらも、レオナの言うことに半分は感心していた。たしかに、知らなければ怒りも不安もわかない。
「でも、彼氏のスマホ、見たくなっちゃうよ。どうやってその気持ちを我慢すればいいの?」
「そういう時は、彼のスマホを」
「スマホを?」
「破壊」
「破壊?」
あたしは再び椅子から転げ落ちた。
「そもそも、そこにスマホがあるからいけないの。なければ、ノートラブル」
「いやいやいや、スマホ破壊しちゃったら違うトラブルが発生するよ?」
「よく考えて。これは彼のスマホじゃない、彼を疑う自分の弱い心。その弱い心を、真っ二つにへし折って」
「スマホをへし折るなんて力士でも無理だよ!」
「わかった? こうして恋は尊いものになって行くんだよ」
ダメだ。聞く耳持っちゃいねぇ。なんて独善的な教祖様だ。
でも、そうは言いつつも、レオナの強引な教えにちょっと納得してしまっている自分もいた。
そうか、これが教祖様の教えってやつか。ありがたや、ありがたや。
「レオナ。あたし、あなたのアドバイスを実行するかどうかはともかく、弱い心の自分を反省することはできた。明日から、また新しい恋を探すよ」
「うん。良い心掛けだ。恋なんてどこにでも埋まってるよ。町にも山にも墓場にだって」
「墓場に埋まってる恋は掘らない。あ、ところで、レオナ」
「きょ・う・そ・さ・ま」
「めんどくせぇな。ねぇ教祖様」
「なんでございましょう?」
「たしか、レオナにもバンドやってる彼氏がいたよね? やっぱり、今も付き合いたてみたいにラブラブなの?」
「……別れた」
「え?」
「フラれた。先週フラれた」
レオナの顔がワナワナと震え出した。
「そう。別れたんだ。お気の毒様。ぷぷぷっ!」
ダメだ。こらえきれず吹き出してしまった。
「ちなみに、別れの理由は?」
「一日百回電話したら、もう無理って言われた」
「なるほどね。電話、我慢できなかったの?」
「彼が浮気してないか不安で不安で」
「自分のスマホ、破壊すれば良かったのに。ぷぷぷっ!」
「うっさいわね、笑ってんじゃないよ! 人に恋のアドバイスするのは得意だけど、自分の恋愛は苦手なの!」
あ、とうとう教祖様の本音が出た。いまのレオナ。めちゃくちゃダサい。でも、そっちの方が人間臭くて、あたしは好きだけど。
「あーあ、どっかに彼氏落ちてないかな」
あたしはあくびしながら言う。
「ね。商店街の福引で、彼氏当たらないかな」
レオナが苦虫を噛み潰したような顔で言う。
「神様、恋愛が上手くいく方法、教えてくださーい!」
あたしたちは二人同時に、天に向かって吠えた。
【了】