賢人と別れてから2週間が経った。
別れたことを事務所に告げると、無事にバレンタインのプロモーションCMに出させてもらえることになった。
賢人に別れを告げて、仕事に専念すると決めた私。
本来なら、仕事のことだけを考えるべきなのに……。
なかなかうまくはいかなかった。
「莉乃ちゃん、もう少し笑顔を見せてもらえる?」
「はい」
笑顔を作るけれど、ぎこちなく笑ってしまう。
自分でもうまくいっていないとすぐに気づいた。
「うーん、ちょっと硬いかな?リラックスしていきましょう!」
アシスタントが軽い調子で声をかけてくれる。
その言葉に「はい」と答えたけれど、気持ちはどんどん沈んでいくばかりだった。
「ちょっと休憩挟みましょうか」
撮影の合間、スタジオの隅に置かれたイスに腰を下ろす。
控室でマネージャーが用意してくれた水を手に取るけれど、喉が渇いているわけでもなく、ただボトルを眺めているだけだった。
賢人と会わなくなってもう2週間が経った。
毎日のように賢人が迎えに来てくれていたから、彼のいない帰り道はひどく寂しくてつまらなかった。
賢人は今、何をしているだろう……。
ふと、そんな考えが頭をよぎって頭をふった。
自分からフったんだ。そんなことを考える資格なんかない。
“もう好きじゃなくなった”と言ったあの日から、彼の顔が頭から離れない。
彼が困ったように眉を寄せて、苦しそうな顔をした表情が、瞼の裏に焼き付いている。
はやく賢人のことを忘れなくちゃいけない。
そう思うのに、頭の中は賢人のことばかりだ。
「莉乃ちゃん、次の衣装お願いします」
スタッフの声に、はっとして顔を上げる。
「あ、はい……すぐ行きます」
慌てて立ち上がると、足元のケーブルに軽くつまずいた。
「きゃっ!」
その音にスタッフたちが振り返り、心配そうな顔をする。
マネージャ―が駆け寄ってきて言った。
「大丈夫?なんか最近の莉乃ちゃん、ぼーっとしてることが多いけど」
「だ、大丈夫です……すみません、しっかりします」
笑顔を作りながら謝る。
衣装に着替えるために鏡の前に立つと、そこに映る自分の顔がひどく疲れて見えた。
化粧で隠しているはずなのに、目の下のくまが薄っすらと浮かんでいる気がする。
賢人と別れてから、全然上手くいってない。
――これじゃ、ダメだ。
自分にそう言い聞かせて、もう一度深呼吸をする。
なんのために別れたの?
私は自分の夢をとったんでしょ。
賢人よりも仕事を選んだ。
そんな嫌な女だ。
だったらその嫌な女を全うしなくちゃいけない。
彼の笑顔。
優しい声。私のわがままを受け止めてくれた広い心。
思い出すたびに胸が痛む。
すると、スマホにメッセージが入っていた。
【莉乃ちゃん、今日って空いてるかな?最近莉乃ちゃんとバイト先で会えないから話したくて……潤くんもいるんだけど!】
最近忙しくなってバイトには全然入っていなかった。
だから美玖ちゃんにも賢人と別れたことは伝えていない。
でもきっと賢人から聞いただろうな……。
そんなことを考えながら返事をする。
美玖ちゃんには、いつも相談に乗ってもらっているし、自分の口から伝えないと。
午後からなら会えると伝えると、駅の近くの夜までやっているカフェで待ち合わせをすることになった。
待ち合わせの21時──。
私は指定された場所に向かった。
カフェにつくと、すでに美玖ちゃんと潤がふたりそろって座っていた。
このふたり、復縁してからすごいラブラブなんだよね。
お互いのことを思いやっているのが伝わってくる。
こんなふたりに別れたなんて言いにくいけど言うしかない。
「莉乃ちゃん、おつかれさま!」
「お疲れ、莉乃」
美玖ちゃんと潤が言う。
「忙しいのに呼び出しちゃってごめんね?」
「ううん、全然大丈夫。私の方こそバイト入れなくてごめん……!」
「忙しいからしょうがないよ」
少したわいのない話をしながら、頼んだものが来るのを待つ。
ふたりの表情から見るに、ちょっと気を遣っている感じがあるからやっぱり私と賢人が別れていることを知っているんだろう。
だったら早く切り出してあげた方が向こうのためだ。
「それで?今日はなんで呼び出したの?何か理由があったんじゃない?」
私が誘導するようにたずねると、美玖ちゃんは言った。
「賢ちゃんから、莉乃ちゃんと別れたって聞いたの。賢ちゃん……理由は教えてくれなかったんだけど、すごく落ち込んでて……なんだかちょっと痩せたようにも見えたの」
賢人、私と別れた理由を言わなかったんだ。
きっと私のためだろう。
私を悪く映らないように伝えなかったんだと思う。
賢人らしい、いつまでも優しい彼のままだ。
彼のことを思い出すと、ズキンと心が痛んだ。
そして美玖ちゃんはうつむく。
「ご飯ちゃんと食べてないかもしれなくて、心配で……」
賢人が心配だ。
本当は今すぐにでもちゃんとご飯食べなさいって言いに行きたい。
でも私にその資格はない。
私は「そう」とだけ短く返した。
できるだけ冷たく映るように。
「ふたりの間に何があったかは分からないけど、莉乃ちゃんはそれで納得してるの?」
美玖ちゃんが尋ねる。
私はしっかりと答えた。
「私は納得してるよ。だって、別れを切り出したのは私の方だから。私が賢人に別れたいって伝えたの」
私がそこまで言うと、美玖ちゃんはショックを受けたような顔をした。
そして話せなくなった美玖ちゃんに変わり、潤が尋ねる。
「どうして別れたいって言ったの?」
「簡単な話よ。私は今芸能界にいる人間でしょ?賢人と私じゃあ釣り合わないと思ったの。芸能界には賢人よりも地位があって魅力的な人がたくさんいるしね」
「莉乃ちゃん……」
「莉乃はそれでいいわけ?」
ふたりは真剣な顔をして私に問いかけて来る。
私のこと、賢人のことを心配してくれているんだって伝わってきた。
「当たり前じゃん。納得してるよ。今大事なものは何か、私はそれをとっただけ。賢人は私にとって邪魔な存在だったの」
美玖ちゃんと潤は、私たちの味方でいてくれる。
だからこそ、私の表情を見たら賢人と話す機会を作った方がいいって言ってくる。
でももう決めたことだから。
賢人とはお別れしたから……
ふたりにも、そんなことで時間をかけてほしくない。
だからもう終わらせるの。
全部を捨てる覚悟はある。
ごめんね、美玖ちゃん、潤……。
「だいたいさ……別れたって言ってるのに納得してるのか、なんて余計なお世話だよ。私はふたりみたいに未練があるわけじゃないの。だから正直今、時間取られてるのも迷惑なんだよね」
吐き捨てるように告げる。
あーあ、なんでもっと上手に出来ないんだろう。
これで大好きな彼女も大事な友達も私の前からいなくなっちゃうのかな?
そしたらまたひとりぼっち。
でもいいや。
ひとりでもいい。
『あんたウザいのよ』
『男だぶらかして、友達なんかしないクセに』
だってもともとひとりだったから。
中学や高校の時だって味方なんていなかったから、慣れてる。
私はひとりでやれる。
ひとりでやれるの……。
その時、美玖ちゃんが私の手をとった。
「莉乃ちゃん」
そしてまっすぐに私を見つめて伝える。
「莉乃ちゃんは、そんなこと言う子じゃないよ。誰かのこと迷惑なんて言ったり、邪魔だって言うような子じゃない」
「……なに、言って!私のことなんて知らないでしょ!」
「知ってるよ。ずっと一緒にいたから知ってる。莉乃ちゃんは不器用なところはあるけれど、すごく優しい人。誰かが傷つくなら、自分が傷つけばいいってそう思ってるんじゃないの?」
美玖ちゃんの言葉にはりつめていたものが切れてしまいそうだった。
ダメだ。
泣いちゃダメ。私に泣く資格なんかないんだから……。
お願い。
もう何も言わないで……。
私のことは忘れてもらっていいから、ここでさよならして……。
ひとりぼっちで生きていく覚悟を決めたの。
「……帰る」
立ち上がり、背中を向けてその場を立ち去ろうとした時。
「莉乃ちゃん!」
ぎゅうっと温かいぬくもりに包まれた。
「美玖ちゃ……っ」
美玖ちゃんが私を後ろから抱きしめていた。
「辛かったね」
美玖ちゃんが後ろから私を包み込み、そうやって優しく言葉をかける。
「本当の自分、押し殺すしかなかったんでしょう?」
なんでこんなに分かってくれるの?
どうして、こんなに優しいの?
友達なんて本当はいらないんだ!
人なんて大キライだった!
ずっとそうやって言って生きてきたのに……。
「う、ぁ……ああああっ」
どうして今、こんなにも温かいんだろう。
美玖ちゃんと潤の優しさが心に触れて、私は泣き出してしまった。
「莉乃ちゃん、教えて。本当のこと……どうしてこうなっちゃったのか」
美玖ちゃんの優しい言葉が心にしみる。
そして私は口を開いた。
「……本当はずっと、辛かったの」
「うん」
「賢人のことが大好き。別れたくなんかない!でも仕事を頑張るには、賢人と別れるしかなかったの……」
「そうだよね」
一度言葉にしだすともう止まらない。
「本当はずっと忘れられない。それなのに私……賢人にヒドイこと言った……っ」
美玖ちゃんがこっちを向かせて、私の頭をヨシヨシと撫でてくれる。
すると、今度は潤も近くにやってきて言った。
「ヒドイこと言ったと思うなら、謝ればいい。そうやって僕らは間違えて、正して一緒に生きていくものだと思う。相手のことを大事だと思っているなら」
潤なりのアドバイス。
彼もこんな風に誰かに優しさを見せることは昔はなかった。
それをきっと美玖ちゃんが変えたんだろう。
「でも……私、分からないの。正しい選択が何なのか。仕事と恋愛なら仕事を取らないとって思った。それで賢人に別れを告げた」
「じゃあさ、莉乃ちゃんは今……その選択に満足してる?前を向けるって、全力で仕事を頑張れるって言える?」
美玖ちゃんの的を得た質問に私はぐっと黙った。
美玖ちゃんはいつもそうだ。
抜けてるように見えて、こういう時は私の確信を得た質問をしてくるの。
「言え、ない……」
賢人に別れを告げてから後悔ばかりしてる。
仕事だって手に付かなくて、賢人のことばかり考える。
私、全然前を向けてないよ。
「だったら、もう答えは出てるんじゃないかな?」
答えは出てる……?
私、もう一度賢人と話してもいいの?
賢人はそれで許してくれる?
私は……仕事を諦めて、賢人をとる……。
それが正解ってことなのかな。
ずっとうつむいていると、今度は潤が言った。
「僕の知ってる莉乃だったら、恋愛も仕事もどっちも取るっていいそうだけど?」
「潤……」
「気が強くて、涙だって見せない。立ち向かってきた敵全員を蹴散らすくらいの強さがあったのに、今は芸能界に染まって丸くなっちゃったってわけ?」
彼の言葉が突き刺さる。
確かに、昔の私だったらその選択をするかもしれない。
でも、あの時は若かったから。
何も考えずに立ち向かっていけたんだ……。
今は考えるべき立場も、責任も……将来もあって……。
「そんなんだったら、モデルとしてもやっていけないんじゃない?芸能界って強い人多そうだし……やめた方がいいじゃない?」
「じゅ、潤くん……」
潤の強い言葉に美玖ちゃん止める。
確かにそうなのかもしれない。
この芸能界。
生き延びていくのは簡単なことじゃない。
こんなことでメンタルを弱らせて、全部上手くいかなくてウジウジしているようじゃ、私の将来はない。
彼の言葉を聞いて抱えているものがふっと軽くなったような気がした。
「それもそう、だね……」
私らしくない。
どっちかを取らないとってウジウジして後悔ばかりして……。
そんなんでモデルなんてやっていけるわけない。
「仕事も賢人もどっちも大事にしたい。それの何が悪いの?」
「そう」
潤はこくんと頷く。
そうだ、私は負けない。
「私……賢人に謝りに行く」
許してくれるかどうかは分からない。
もう嫌いになったって言われても、新しい人がいるって言われてもおかしくないから。
でも後悔はしないように、ちゃんと私の気持ちを伝えに行こう。
「ふたりともありがとう!私……賢人のところに行く!」
いてもたってもいられなくなった。
今すぐ賢人に気持ちを伝えたい。
賢人に会いたい。
本当は大好きなんだって伝える。
「借りは返したから」
「うん!」
「莉乃ちゃん、頑張ってね!」
「ありがとう!」
私はふたりにお礼を告げると、背中を向けて走り出した。
もう迷わない。
やることは決まった──。