【賢人side】
莉乃に別れを告げられてから、1週間が経った。
あれから、当然莉乃から連絡が来ることもなく、莉乃中心だった生活ががらりと変わってしまった。
そして今、俺の心にはぽっかりと穴が開いたままだ。
『ほら、芸能界に行ってさ正直賢人よりカッコイイ男の人と触れる機会がたくさんあったのよね。そういう人見てたら、なんか賢人といるのもなーって思っちゃって』
あの言葉が、何度も頭の中で反響する。
莉乃は俺じゃなくて、他の芸能界にいる人と恋愛をしたいらしい。
そんな言葉、信じたくなかった。
莉乃は大丈夫だ。
俺を好きでいてくれる。
そう信じてたのに……。
でも確かに莉乃の言葉でそう告げられた。
『ずっと一緒にいようって言ったのはお前だろ?なのに、売れ出したら芸能人ぶって、他にいい人がいるだ?ふざけんなよ』
『ごめんね、賢人。気持ちってさ、簡単に変わるんだよ。環境が変われば気持ちも変わる。それは当然のことでしょう?』
そうだよ、分かってるよ。
環境が変われば気持ちも変わる。
俺が1番心配していたことだ。
でも……少し前まで好きだと言ってくれていたのに、こんな突然言われても、受け入れられるわけないだろ。
『勝手なこと言ってるのは分かってる。私のことは忘れてくれていいから』
忘れられるわけがない。
ずっと莉乃と一緒にいたんだ。
今まで莉乃との思い出が積み重なって愛を育んでいた。
それが一瞬にして崩れ出す。
そんなの受け入れられるわけないだろう。
しかし、背中を向けた莉乃。
追いかけたかったが手を伸ばしてももう、届かない気がした。
莉乃が遠い。
俺は莉乃と同じ土俵に立つことは出来ない。
莉乃はモデルとしても女優としても輝く人間だ。
そんな莉乃の隣に俺はふさわしくなかったのかもしれない。
「俺じゃあ……ダメだったんだな」
小さくつぶやくと、悲しみが増した。
こんなに簡単に大事なものってなくなってしまうんだな。
ああ、失恋するってこんなに悲しいのか……。
だったらもう、恋なんかしなきゃよかった。
あの時、恋人を入れ替えたりしなかったら、あの時俺が莉乃たちに声をかけなかったら始まらなかった恋。
こんな苦しい未来が待っているなら、全て何も起きなかったら良かったのに。
目から涙が頬を伝って地面に落ちた。
「……もう、どうしていいか分かんねぇよ」
いつものように大学に行くと、周りの友達が俺を心配してくる。
「賢人、大丈夫か?気に病むのも分かるけどよ、俺お前のことが心配だよ」
彼女と別れたとだけ短く告げた俺。
俺が毎日ぼーっとしているのを見て心配してくれているのは親友の大志だ。
「せめてご飯だけはちゃんと食おうぜ、このままじゃ倒れるぞ!?」
「ああ……分かってはいるんだけどな」
どんな時でも思い出してしまう。
莉乃と一緒に笑った瞬間、一緒に泣いた夜、一緒に過ごした何気ない時間。
忘れられない。
「だいたいさ、そんな薄情な女のことなんか忘れちまえよ。芸能界入ったら途端、目移りして他の男に行くやつなんかロクな女じゃねぇよ」
大志がはき捨てるように言う。
しかし、俺の心はモヤっとした。
「……莉乃のことは悪く言わないでくれ」
思ったよりも低い声が出た。
「あっ、悪りぃ」
大志が気まずそうな顔をする。
大志が悪いんじゃない。
俺がいつまでもくずくずしているから、こうやって周りにも心配かけてしまっているんだ。
「ごめんな、大志。俺のこと心配して言ってくれてるのは分かってるんだ。いつまでもくずくずしてないで立ち直らないとだよな」
俺は無理やり笑って見せた。
それから講義が終わり、サークルの時間になった。
俺は、忙しい莉乃の送り迎えをしてやりたくてしばらくサークルには顔を出していなかった。
着替えをして体育館に行くなり仲間が声をかけてくる。
「おい賢人!お前、久しぶりじゃん!」
「うおお!賢人来たーー!」
講義も何個か一緒に受ける機会がある吉井が俺に声をかける。
「賢人~~最近、どうしてたんだよぉ。全然来なかったよな。やっぱ強いやつがいねぇとつまんねぇよ~!」
「まぁ、いろいろあってさ。今日はじゃあバンバン点入れちまおうかな」
「言ったな?」
サークルで仲間と話している時は、少しだけ莉乃のことを忘れられた。
最近全然運動してなかったから、ちょうどいい機会だ。
それから試合が始まって……。
「賢人ナイシュー!!」
「やっぱ強えーー」
久しぶりのフットサルは、想像以上に疲れた。
「はぁ……はぁ」
体力落ちたな。
全力で走り回るとすぐに息が切れる。
周りの仲間たちは、いつも動いているからか相変わらず元気だった。
こんな体たらくはダメだな。
こんなんじゃ莉乃にも愛想つかされて……って、もう愛想つかされてんだったな。
「はぁ……」
一体俺はいつまでの莉乃のことを考えるつもりなのか。
練習後に更衣室で着替えをしていると、吉井が俺と肩を組んでいってきた。
「なぁ、今日の飲み会賢人も参加な?今日くらいいいだろ?」
フットサルの飲み会は割と派手な飲み会になっていて、酒の勢いでふさげたことをしたり……女子もいるから、あまり積極的に参加することはなかった。
でも、どうせ家帰ってもひとりの空間にいるだけだしな。
「今日は行くよ」
「よっしゃー!!」
飲み会はいつもの居酒屋で開催された。
「カンパーイ!」
久しぶりの賑やかな空間は、俺には少しまぶしく感じたけど、みんなの無邪気な笑顔に少しだけ気持ちが軽くなった。
ジョッキを片手に、話をしていると吉井が俺に話題を振ってくる。
「そんで?ずっと来なかった賢人くんは、どうして今日来たんですかぁ」
吉井のやつ、もうだいぶ酔ってるな。
隠しても仕方ないことなので、俺は素直に話した。
「彼女と別れた」
「マジ!?あんなにラブラブだったのに?」
「賢人別れたってよ~!」
「サークルが荒れるぞ~!」
みんなかなり盛り上がってるな……。
でも俺が気にし過ぎなのかな。
前に彼女と別れたと言った仲間も別にそんなに落ち込んでいる様子はなかった。
それどころか、「これからめいいっぱい遊んでやるー!」なんて宣言してたか。
大学生の恋愛なんてそんなもんだよな。
簡単に別れた理由を話したりして、みんなからいじられると話題は別の人に変わった。
すると、俺の横に同じ学年の女子の桜井が座り、話しかけてきた。
「今日賢人が来るって聞いたから、私も飲みに参加しちゃった~!」
「あー桜井もサボってたんだっけ?」
「そうそう。最近同じメンバーばっかりだったから。やっぱり賢人がいると雰囲気違うなって思ったよ。さすが盛り上げ役!」
今日はそんな盛り上げてもねぇだろ。
どうしても感傷に浸っちまうし……。
「ねぇ、彼女と別れたって本当なの?」
桜井が静かにたずねる。
彼女はいつもと少し違って見えた。
髪を少し巻いて、メイクも濃いめにしているのか、普段の素朴な印象とは違う大人びた雰囲気をかもし出していた。
みんな見ないうちに変わってるんだな。
莉乃が変わっていくのと同じように。
「まぁ……」
俺が短く答えると、桜井は俺の手にそっと触れた。
その顔は赤く染まっている。
「桜井?」
「実はね……ずっと好きだったの。賢人のこと」
突然の告白に、俺は言葉を失った。
「たぶん、賢人のこと狙ってる人はたくさんいると思う。ずっと彼女がいるから……告白したらフラれて終わりだって分かってたから言わなかった。でも彼女と別れたなら、今言わないとって思って……」
桜井の顔は真剣そのもので、冗談を言っているようには見えなかった。
マジかよ。
めんどくさい。
正直一番に思ったことはそれだった。
「私じゃ……ダメかな?」
「……桜井。酔った勢いで変なこと言ってるだけじゃねぇの?そういうのやめて、自分のこと大事にしろよ」
俺が彼女から目を離して言うと、彼女は俺の耳元で囁いた。
「違う!私のこと好きになってくれないなら……お願い、今だけでいいから私を抱いて」
彼女の言葉に、頭の中が真っ白になった。
あーあ。
サークルってなんでこんな感じになるんだろうな。
みんなでワイワイ盛り上がっているのは好きだ。
でも女が絡んでくると厄介になるんだよな。
目を潤ませながら、まっすぐに俺を見る桜井。
断ろうと思ったが、思いとどまった。
そういえば、莉乃と付き合うようになってから、もう女遊びなんかしたことなかったな。
そんな気さえ起きなかったし、告白されても断ってたし……。
もう別に俺が他の女と付き合おうが莉乃は何も思わないんだよな……。
心がジンっとして悲しみに包まれる。
ああ、なんか嫌だな。
ことあるごとに莉乃のことを考えてる。
もう終わった関係なのに。
どうせ、俺のことを大事に思ってくれる存在なんかいないんだ。
だったらその場の雰囲気に流されたっていい。
「いいよ、適当な関係でもいいなら」
飲み会を抜け出し、俺たちはホテルのある方へふたりで歩いた。
桜井は俺の隣を歩きながら、嬉しそうに言った。
「……なんか、ドキドキするね。まさか賢人がのってくれるとは思わなかった」
その声に、俺は答えられなかった。
ただ、手をつなぐわけでもなく、彼女との距離を測るように歩き続けていた。
本来俺はこういうタイプの人間だ。
昔は美玖を忘れるために、色んな女と付き合ってダメな人間だった。
だからそれでいい。
前の俺に戻るだけだ。
大きな交差点を曲がったところで、ふと視界に広告が目に入る。
ビルの壁に設置されたスクリーンに映ったのは、莉乃だった。
鮮やかなドレスをまとい、堂々とポーズを決める彼女。
その笑顔にドキっと胸が音を立てた。
足が止まる。
あーあ、なんでこんなところで出て来るんだよ莉乃。
まるで彼女に怒られているみたいだ。
なんて俺の都合がよすぎる解釈にすぎないか。
胸がズキリと痛んだ。
「賢人?どうしたの?」
こんなことしていていいのか?
自分を傷つけ、相手を傷つけると分かっている関係になってもいいのか。
「……ダメ、だな」
桜井が不思議そうに俺を見上げる。
その声で我に返り、俺は急いで視線を逸らした。
「……ごめん」
「え?」
「やっぱり、無理だ」
そう言った瞬間、桜井の表情が驚きと困惑に変わるのが分かった。
「無理って……どういうこと?」
俺は深呼吸してから、彼女の目を見て静かに言葉を続けた。
「俺、まだ彼女のことが忘れられない。中途半端な気持ちでいいって言われたけど、やっぱり無理だ」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥が締めつけられるように痛んだ。
桜井はしばらく何も言わなかった。
ただ、手を握りしめてうつむいている。
「……そっか」
小さな声でそう呟くと、桜井は顔を上げて無理に笑顔を作った。
「本気だったんだけどなぁ……でも正直、分かってたかも。賢人がまだ前の彼女さんのこと好きなんだろうなって。だから強引になっちゃったのかも。本当にごめん」
「俺の方こそ……ごめん」
「ううん、大丈夫。でも、伝えられてよかった。これで私も前に進めると思う」
桜井はそう言って、俺に背を向けた。
そして、歩き出しながら手を振る。
「じゃあね、賢人。またサークルでね!」
彼女の背中が街の明かりの中に溶けていくのを見つめながら、俺は拳をぎゅっと握った。
莉乃、俺はまだ、お前を忘れられないみたいだ。
莉乃が映る広告にもう一度目をやると、胸の奥に広がる痛みとともに、彼女の笑顔が突き刺さった。
もう、莉乃は俺の前で笑ってくれないんだよな……。
手を伸ばしても届かない。
本当にそういう世界に彼女は行ってしまった。
「会い、てぇな……」