【莉乃side】
『もう……いい。二度と私の前に現れないで』
『どうしてそんなこと言うんだよ!』
『だって、辛いの……健司がいつまでもこっちを見てくれないから……っ』
最後のセリフを言い切った瞬間、私の頬に涙が伝う。
その瞬間──。
「はい、カットーー!」
監督の声がスタジオに響いた。
私は肩の力を抜き、深く息を吸いこんだ。
今は深夜ドラマの撮影中。
私は、主人公の友達役で恋人に裏切られるシーンを今演じているところだった。
「はい、OK!莉乃ちゃん、完璧だったよ!感情がすごく伝わってきた。最後の涙も、自然で良かった!」
「ありがとうございます」
良かった……。
監督に褒められちゃった。
今日はいい日かもしれない。
もっと、もっと上手くなりたい。
今、女優として演じている自分はすごく好きだった。
まるで何にもなれると言われているみたいで……。
「はい、こちらで本日の撮影は終了になりま~す」
スタッフさんがみんなに告げる。
今日の撮影はこれで終わりだ。
「お疲れ様でした!」
みんなに頭を下げて撮影現場を後にする。
この後はもう仕事がないから、あとは賢人と合流するだけだ。
賢人は今、何してるかな?
【撮影終わったよー!】っと。
メッセージを返信してから楽屋に戻ろうとしていると、廊下で誰かから名前を呼ばれた。
「莉乃ちゃん」
振り返ると、共演している三条さんが立っていた。
彼は私より3つ年上で、落ち着いた雰囲気を持つ人気俳優だ。これまで何度か共演してきたけど、話す機会はそこまで多くなかった。
「お疲れ様です、三条さん」
「お疲れ。莉乃ちゃん最近調子いいね」
「ありがとうございます」
嬉しい……。
こんな有名な俳優さんに褒められるなんて。
「莉乃ちゃんさ、今すごく注目されてるよね。仕事もどんどん増えてるし、スタッフからの評判もいい」
「そうですかね?すごく光栄です」
「それじゃあ忙しくて恋愛どころじゃないでしょ?」
「あっ、えっと……彼氏が」
言っていいのかなと思いながらもそう伝えると、三条さんは少し目を細めて、真剣な表情で続けた。
「そっかぁ、いるのか。でも若いもんね。そりゃいるか……」
三条さん、何が言いたいんだろう……?
「今はいいかもしれないけど、彼氏の存在が邪魔になる時がくるかもしれないね」
「え……?」
その言葉に、一瞬息が止まった。頭の中が真っ白になる。
「いや、みんな莉乃ちゃんくらいの子って彼氏作ってる余裕ないんだよ!いても別れたりとかして、仕事に専念する子が多いから、莉乃ちゃんもそうなのかな~と思ってね」
そう、だったんだ……。知らなかった。
「別に俺がどうこう言う立場じゃないけどさ。芸能界で本気で有名になりたいって思ってるんだったら、恋愛に時間や気持ちを割いてる場合じゃないんじゃないかなって思うんだよ」
三条さんは軽い口調でそう言いながらも、目は真剣だった。
まるで経験からくる重みのある言葉のように感じられた。
「もちろん、恋愛するなとは言わないよ。でも、恋愛に夢中になって仕事がおろそかになったら、業界の人たちはすぐに気づく。それでチャンスを逃すなんて、もったいないだろ?」
「たしかに、そう……ですね」
私は言葉を失ったまま、彼の話を聞いていた。
「ま、俺が余計なこと言ったかもしれないけどさ。莉乃ちゃんには才能があるんだから、今、自分の道をしっかり考えるチャンスなのかもね」
そう言って、三条さんは軽く微笑んだ。
その優しい笑顔が、余計に心を乱す。
「じゃ、撮影頑張ろうな」
彼は何事もなかったかのようにその場を去っていってしまった。
別れた方がいい……。
世の中の見え方としては、今の私に彼氏がいることって悪く見られちゃうんだ……。
でも、私にとっては賢人がいることで頑張れている自分がいる。
すごくハードなお仕事だけど……。
「莉乃、お疲れ」
ほら、彼のこの笑顔を見るだけで疲れがすーっと取れていくんだ。
ふたりで夜道を帰る。
夜の空気が肌に冷たくて、私はコートのポケットに手を入れた。
隣を歩く賢人の横顔はいつも通りで、少し無防備に見えるその表情が愛おしかった。
すごく好きなんだ。
賢人のことが。
だから賢人を邪魔な存在だなんて言いたくない。
もちろん仕事は頑張りたいけど、賢人だって大事にしたいもん。
ふと賢人の手に視線を向けた。
手、繋ぎたいな。
「どうした?」
賢人が私の顔を覗き込んでくる。
「えっ、あ、なんでもないよ」
手、繋ぎたい気分。なんて言うの恥ずかしいし……。
そう思って歩き出す。
でも……。
『今はいいかもしれないけど、彼氏の存在が邪魔になる時がくるかもしれないね』
またさっきの言葉を思い出してしまった。
「賢人!その……手、繋いでいい?」
小さな声でそう言うと、賢人は少し驚いたように目を見開いた。
でもすぐに笑って、軽く手を差し出す。
「どうしたんだよ急に」
「なんとなく、寒いから……」
「ポッケに入れてる方が温かくね?」
「……意地悪」
知ってるクセに。
口を尖らせると、賢人はにやりと笑った。
「冗談だよ」
賢人は私の手をぎゅっと握った。
「俺も繋ぎたかったし?」
「本当?」
「ああ、本当」
ああ、やっぱりこの時間が好きだな。
ずっと賢人と一緒にいれたらいいのに。
「大好き」
「俺も」
言葉を交わして、ぎゅっと手を繋ぐ力が強くなる。
その合図が愛おしく感じられた。
大丈夫、私なら。
ちゃんと恋愛も仕事も両立して見せるから──。