「とまあ、朝の連絡事項はこんなところかな。んじゃあ、一限の準備をしておくように」
気だるそうな声で女性の担任教師が言って教室から出ていった。
よくよく考えると、学校の先生も聞き取りやすい声をしている人が多い気がする。
教室の後ろの席まで授業内容が聞こえるように話すから、自然とそういうふうになるのかもしれない。
一限の授業が始まるまで少し時間があるので、教科書を机に出すと生徒たちはふたたびガヤガヤと話し始めたり、スマートフォンをいじりだす。
俺は音尾の席に向かった。
「あのさ、音尾くん」
「フッ。ようやく我のところへ来たな、同士よ!」
とメガネを中指でくいっとしながら意味不明なことを言った。一人称も我だし、言い方も仰々しい。
面食らった俺は戸惑う。
「ど、同士……? いったいなにを言ってるんだよ」
「とぼけるでない。知っているぞ、藤村。貴殿が声フェチだというのをな!」
「なッ……!?」
なぜバレた。いや、そんなことはどうでもいい。ひとの性癖をこんなところで口にするな!
俺は慌ててシーッと人差し指を立てた。
「フフフ、黙らせるということは当たりということだな?」
「頼むから静かにしてくれ。ってか、俺たち今、初めて話したのに、なんでそんなこと音尾が知っているんだよ?」
「瀬良とアニメの話をよくしているだろう。声豚がどうのこうのとよく聞こえてくるし、なによりも藤村、貴殿はよく女子の声に反応している」
七海との会話が聞こえていたらそうなって当然だったか。クラスメイトも同じことを思っているとしたら少し恥ずかしい。
「恥ずかしがることはないぞ、同士よ」
「だからなんだよ、その同士って」
「まだわからないか? 案外、物わかりが悪いな。我も貴殿と同じ、声を愛する者なり。瀬良、椎名、フィッツジェラルドの三人に目をつけたのはお目が高いと言わざるを得ない」
顔で選んでいるわけではなく、声で選んでもクラスではこの三人と言いたいわけか。なかなかわかっているじゃないか。
「もしかして、椎名に話しかけたのも、良い声をしているからそれを伝えたかっただけなのか?」
「無論だ。まさか学校で女子アナのような声を聞けるとは思わなんだ。感動してつい興奮してしまった」
ブヒブヒ言いながら椎名に迫って困らせる様子が手に取るようにわかる。
俺は当初の目的を思い出して口頭注意することにした。
「気持ちはわかるが、椎名もびっくりしていたみたいだし、そういうのは極力、控えてもらえないか?」
「了解した。自重しよう」
「そうか。よかった」
それじゃあ、と小さく手を挙げて自分の席に戻ろうとするも、「まあ、待ちたまえ」と腕を掴まれてしまった。
「あの女子三人に、なにやら探りを入れているみたいじゃあないか」
「っ……なぜ、そこまで知っている?」
「登校中に瀬良、廊下でフィッツジェラルドに話しかけているのを耳にしたからだ。同士だからな。その会話でピンと来たわけだ。もしかしたら、あの三人の誰かがVTuberでもやっているんじゃないかと」
こいつ、妙に勘がいいな。それとも同じ声フェチだから思考が似ているのだろうか。正直、それはなんか嫌なんだが。
俺が答えられないでいると音尾は不敵に笑った。
「無言は肯定と捉えるぞ」
「それは――……」
「案ずるな。たとえ彼女たちがVTuberや同人声優だったとしても我の趣味じゃない。我の狙いは西澤教諭だからな」
「西澤教諭って、担任の西澤先生?」
「他に誰がいる。西澤恵里菜。我はあの、低音ダウナー系お姉さんに罵倒されたい。あぁ、恵里菜様ぁ」
気持ち悪い顔で担任教師に思いを馳せる音尾。
俺は若干、引いている。まさか俺以外にこのクラスで、西澤先生のことをそう表現している人がいるとは思わなかった。
年上のお姉さんに滅茶苦茶にされたいという願望はわかるが、
「西澤先生って二十五歳だろ。十個上とか、さすがに年上過ぎないか?」
「馬鹿者ッ。日本人の平均年齢を考えれば、二十五歳なんてまだぜんぜん若いわ!」
とても高校一年生が言うセリフじゃない。たかだか一つ二つの違いでも、だいぶ違く感じるのがこのぐらいの年齢の普通だろうに。
こいつ、本当は四十代五十代のおっさんじゃないだろうな。
「というわけで安心して話すがいい」
こういう好みがはっきりしている奴は意外と信用できるかもしれない。なにより、声フェチに悪いやつはいないと俺は信じたい。
今のままだと、三人のなかで誰がみかんちゃんなのか手がかりを得られそうにない。音尾の助けがあってもいいかもしれない。
「……わかった。それじゃあ、あとで話す」
「うむ。任せろ」
今度こそ席に戻ろうと行こうとするが俺はふと気になった。
「ごめん。音尾って下の名前なんだっけ?」
「弘太だ。音尾弘太」
「音を拾った?」
「フッ。そこに気づくとはさすがだな藤村。我ながら、名は体を表すということでけっこう気に入っている」
「あ、そう……じゃ、じゃあまたあとで」
こうして俺に新しく、変な友人ができてしまったのだった。