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第13話

 マリナと廊下で話したあと、トイレに行き、教室に戻ってきた俺は今度は椎名に接触を図った。

 ちょうど他の女子たちが離れたところへ話しかけた。


「椎名ってさ、学級委員長だからよくみんなの前で伝達事項とか話してくれるけど、聞き取りやすくていい声をしているよな」

「え? な、なにかしら急に」


 褒められて嬉しそうに、でも少し困ったようにしている。


「アナウンサーみたいだなって思って。劇団員とかアナウンサーとかってなんか特殊な指導を受けているのかな?」

「ああ、そういうこと。あの人たちは、母音を意識して発声練習をしているのよ。母音法というの」

「へえ、母音法ねえ」

「日本語は開音節といって、音のほとんどが母音に結びついている言語だから、その母音を意識することで美しくて伝わりやすい音になるわけよ。あえいうえおあお、と発声練習しているのはそのためね」


 それは知らなかった。あれにそんな意味があったとは。

 しかしだとすると、俺たちが普段、話している言葉はあまり美しくないということになる。


「ということは、椎名もそういう発声トレーニングを日常的にやっているってことか?」

「え? ――ええまあ、そうね。家がしつけとか厳しいのもあるけれど」


 見た目、清楚なお嬢様だしな。背筋もピンとしていて姿勢が良いし、ボイストレーニングを受けていてもなにも不思議ではない。

 正直、三人のなかの誰かがみかんちゃんと言っても、椎名が一番その可能性は低いと俺は思っている。

 普段の彼女からはとてもじゃないが、裏でASMR配信をしていると想像できない。


 しかもみかんちゃんの場合、マイチューブだけではなく、同人音声作品にも多数出演しており、全年齢のものから十八禁のものまで幅広くある。

 こんな美人が、あんな嬌声や淫語を言っているとか考えられない。

 もっとも、それは七海とマリナも同様だが。あのふたりであっても演じている姿は頭に浮かばない。

 そんなことを考えながら、ジーッと見つめていると椎名はそわそわし出した。


「無言で見つめられるとさすがに恥ずかしいのだけれども」

「へ? ああ、悪い」

「ううん。藤村くんみたいに、普通に接してくれる男子ってほとんどいないから、気にしないでこれまでどおり話しかけてくれると嬉しいわ」

「椎名相手だと遠慮しちゃう奴が多いってことか」

「それもあるけれど、なかには格好つけてきたり、強引に迫る人もいるわね」


 それもまた知らないことだった。

 俺はてっきり、高嶺の花すぎて誰も椎名にはアプローチをかけられないでいるのかと思っていた。

 別の高校に行った中学時代のイケメンの友達は、入学一日目でいきなり女子の先輩から告白されたって言ってたし、積極的な奴はどこにでもいるということか。


「ちなみにそれってこのクラスにもいるのか?」

「ええ、音尾くんがそうね」


 目線だけが教室の端っこでスマートフォンをいじっている男子生徒に向けられた。

 音尾、ええっと下の名前はなんだったかな。

 声豚の俺が言えたことではないが、小太りメガネでオタクっぽいやつだ。今もなんの動画を視聴しているのか、ニヤニヤとしている。

 あれは自分の世界に浸っているときはいいんだが、電源をオフにして画面が暗くなって、自分のニヤついた気持ち悪い顔が映り込んでショックを受けるパターンだ。

 まあそんなことはどうでもいいとして、


「あいつになにされた?」

「あ、ううん。誤解しないで。なんだかわけがわからないことを言われて、それで対応に困っちゃっただけだから」

「わけがわからないこと? っていうと?」


 う~ん、とさすがの椎名でもどう表現したらいいのかわからないようだった。


「テンションが高くて、ネットスラングが多い人のしゃべり方ってなにを言っているのかわからないじゃない。あんな感じかしら」

「なるほど。アニメに出てくるオタクキャラそのものってことか」


 この学校、悪い奴はいないんだけど、変な奴は多い気がするから、オタクキャラ全開の生徒がひとり、ふたりいても不思議ではない。


「どうしたらいいのかわかならくて困ってしまったわね」

「だろうな。たいていの女子はそうなって仕方ない」


 正直、俺だって面食らって黙ってしまうかもしれないし。

 すると、俺たちの視線に気づいた音尾が画面から目線を外してこちらを見てきた。椎名ではなく、俺の眼である。

 親指を立てて手でグッドを作ると不敵な笑みを見せて、また画面に戻った。

 音尾とはまだ話したことがなかったから、どんな奴なのかはわからない。

 椎名にまとわりつくようだったら注意でもしておくか。幸いなことに俺は怖ヅラらしいので抑止力にはなるだろう。


「変な奴にからまれたら相談してくれよ。喧嘩はできないけど、人払いにはなれるだろうからさ」

「ありがとう。藤村くんて、なんだかんだいいながら動いてくれるから、頼りになるわよね」


 クラスのヒロインからそんなことを言われて嬉しくないわけがない。

 いやぁ、と俺は照れてしまった。

 男というやつは馬鹿な生き物で、女子から頼られたらもうナイト気取りだ。

みかんちゃんが誰なのか調査するのをひとまず置いておいて、ホームルームが終わったあと、音尾に注意しに行こうと俺は決めた。


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