けっきょく、昨日はみかんちゃんが寝かせてくれなかった。
なんて言うとカレシヅラして馬鹿まるだしだが、小悪魔な妹になった彼女の甘々なロリボイスでずっと耳を攻め続けたので興奮して逆に眠れなかったのだ。
ぼうっとしたままスマホを確認すると、あっ、と気づく。
まほろば庵から返信が来ていた。
またも心臓バクバクにしながら俺はメール文を読む。
「え? えぇ!? ま、マジで!?」
書類選考合格だった。まだ採用が決まったわけでもないのに俺の心は早くも達成感で満たされた。
「あれ? でもまだ続きがあるな。ええっと……特別な試験を実施する、だって?」
なんだそれ、と思いながら読み進めると、
「今日の夕方六時過ぎに試験内容を伝える、か。どんなことやるんだろ。やばい、ちょっと緊張してきた」
これは授業どころではなくなったかもしれない。
落ち着け俺、こういうときこそリラックスするためにASMRを聴こう。
けっきょく、落ち着かないまま俺は緊張しすぎであくびしながら歩いて学校に向かっていた。
すると「おはよう」と清澄な声がした。
俺のとなりに、背筋をピンと伸ばして颯爽と椎名が歩く。
「おはよう。朝からシャキッとしているな」
「そう? 藤村くんはなんだかとても眠そうね。確か、ご両親は海外にお仕事に行ってて今は一人暮らしなんだったわよね」
「ああ。最初は大変だったけど、慣れれば案外、楽かな」
「ふうん。でも両親がいないからといって、お家で悪いことをしたらダメよ」
メッ、と子供を叱るように椎名は人差し指を立てる。その仕草は愛らしく、お姉さんを通り越して、お母さんみたいである。母性ある女の子っていいよな、と思いつつも、
「なんだよ、悪いことって」
「え? だ、だからそれは……お、女の子を連れ込んだり……とか?」
顔を赤らめて言うものだから俺は思わず、ぷっと吹き出してしまった。
「ちょっと。なんで笑うのよ」
「いやごめん。だってさ、まさか椎名の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかったからつい」
椎名は少し頬を膨らませて半眼ジト目でいじける。
「むー。藤村くん、わたしのことお子様だと馬鹿にしているでしょう」
「してないって。ただ、かわいいなとは思ったけど」
他意はなく、率直な意見を言っただけだったが、椎名は別の意味でぽっと顔を赤らめるとモジモジしだした。
「わたし大きくなってから、かわいいって言われたの初めてかも」
「は? 嘘だろ?」
「ほんとよ。ありがたいことに、綺麗とか美人とかとは言ってもらえるけれども、かわいいって子供のときにしか言われなかったと思う」
今、彼女が言っていることにどれだけの違いがあるのかは正直、男の俺にはよくわからない。ただそれでも、
「女子的には、かわいいと綺麗は違う褒め言葉ってことか」
「うん。わたしも七海みたいなかわいい感じがいいのに」
難しいものである。
椎名のようなモデル系美人は七海がよく見えて、その小柄なかわいい系の七海は椎名のような人がよく見える。
ないものねだりというやつだろうか。
「俺も含めてだけど、みんなから勝手なイメージでこうだって決めつけられるのは確かに嫌だよな」
「よく思ってもらえるのだから贅沢を言ったらダメなんだけどもね」
いや、と俺はかぶりを振る。
「女性芸能人なんかは清純派なイメージを崩さないようにって苦労しているみたいだしさ、椎名は一般人なわけだから変にまわりの期待に応えようとか考えなくていいと思う」
「……うん。ありがとう。少し気が楽になったわ」
「べつにいいって。これから一年間、同じクラスで過ごすわけだし、仲良くしようぜ」
うんっ、と嬉しそうに椎名は頷いた。
するとさっそく心を開いてくれたのか、
「藤村くんて声優オタクなのよね?」
「っ……あ、ああまあ……」
その話、ここで広げてくるか。ほんと七海のやつ、よけいなことを話してくれたものだ。クラス中に言いふらしていないだろうな。
「どういう声や演技が好きなの?」
「ええっと、そうだな……」
俺は頭のなかで必死に正解を導き出そうとする。
この場合、なんて答えるべきなんだ。
馬鹿正直に、ロリボイスで甘々な演技がいいと答えるのは自殺も同然だ。これはない。
明るいギャルっぽいのは――論外だ。オタクに優しいギャルなんてこの世にはいない。
ちょっと古臭いがツンデレ幼なじみは――これも論外だ。口汚いやつなんて好きじゃない。
やはりここは無難に、安牌を切るべきだろう。
「癒されるような声や演技かな」
「そうなんだ。優しい感じの声が好きなのね」
「まぁ、そうなるかな」
嘘は言っていない。
ロリボイスのアニメキャラは大好きだが、俺はべつにそれだけが趣味ではないのだ。甘々だったらお姉さん系だっていける口である。
というかこの話題、もうそろそろやめにしてくれないだろうか。いつどこでボロを出してしまわないかヒヤヒヤする。
次はなにか訊かれる前にこちらから椎名について訊いてしまおうか。そうしよう、と決めて「あのさー」と口を開いたそのときだった。
「おっはよーごじゃいマースっ!」
とマリナが朝から元気いっぱいに後ろから椎名に抱きついた。そのままチークキスをするように頬ずりする。
「むふふ。柚希ってばいい香りデスネー」
それには激しく同意させてもらう。
なんの匂いかわからないけど、石鹸みたいな優しくて安心する匂いがするのだ。抱きつきたくなる気持ちもよくわかる。
ただ、それよりも俺が気になったのがマリナが抱きついたときに発した椎名の声だ。
きゃっ、と軽い悲鳴を上げた彼女だったんだが、その声がずっと頭のなかに残ってしょうがない。
気のせいだろうか。
普段の彼女とは違うやや裏返った声なのに、なんかどこかで聞いたことのある声なんだよなあ。
「うふふ。マリナってばくすぐったいわよ~」
「よいではないかーよいではないかー」
「もう~いったいどこでそんな言葉、覚えたのかしら」
アメリカ育ちらしく、スキンシップをするマリナと、それを受けてクスクス笑っている椎名。
百合百合したやり取りを見たら、まあいっか、と忘れる俺であった。