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第4話

 二限の数学のあと、三限は英語だった。

 英語の先生だとどうしてもフィッツジェラルドのことが気になるらしく、ぜひ本場の英語を生で、ということでおばちゃん教師は教科書ではなく、なぜか自前の小説の一文を読ませた。

 さきほどとは打って変わって得意顔になったフィッツジェラルドは朗々と英文を読み上げる。


「To Sherlock Holmes she is always the woman. I have seldom heard him mention her under any other name.(シャーロック・ホームズにとって、彼女は常に『あの女』である。彼が他の名前で彼女のことを呼ぶのはほとんど聞いたことがない)」


 おおっと教室が湧き上がる。

俺も少し興奮した。彼女の発音は海外の映画やドラマで聞いたことのあるアメリカンイングリッシュだ。

 アメリカに行けばみんなこういう話し方をしているだろうに、日本人の俺たちはまるでハリウッド女優が話しているかのように彼女の英語に聞き入った。

 日本とは違い欧米では、自立した強い女性というのは低音で落ち着いた声で話すものという考えらしい。

日本人女性みたいな声だと、ぶりっ子や男に媚びていると思われるんだそうだ。

 その割にはフィッツジェラルドの声はキーが高めで、陽気な喋り方に感じる。聞いているとなんだか元気が出てくる。


 当たり前だが本場の英語を聞いた先生は嬉しそうに「よろしい」と言った。先生、授業関係なく趣味に走ったな。

 やれやれと思っていると最悪なことに先生は、本当の教科書の一文をうしろの席にいる俺に読ませた。

 ネイティブのあとに読めば誰だってへんてこな発音になるに決まっている。

ザ・カタコト英語で読み上げた俺を、クラスメイトたちはご愁傷様ですといった顔で見守ってきた。


 キーンコーンカーンコーン。

 授業が終わって机に突っ伏した俺は恥ずかしさのあまり頭を抱えた。


「くそぉ、なんで俺だけこんな恥をかかないといけないんだぁ」

「気にしたらだめデスヨー」

「フィッツジェラルド」

「ノンノン。マリナでいいデス。長くて言いづらいでしょー」


 申し訳ないが日本人的にはちょっと言いづらい名字だから彼女からそう言ってくれるのは助かった。

七海がいるからか、俺は女子相手でも下の名前で呼ぶのに抵抗はないので遠慮なくマリナと呼ばせてもらうことにした。


「さすがにネイティブのマリナのあとはダメだろ」

「気にしない気にしない。失敗は成功のもとですからねー」

「あ、やっぱり俺の英語はひどいのか」


 トドメの一撃を刺されて沈む俺。


「あっ、あ、そうじゃないデスヨー。日本人がネイティブみたいに話さなくてもいいってことデース」

「発音とか気にするなってこと?」

「そうそう。シングリッシュとかスパングリッシュみたいに、ジャングリッシュもそういうものだと割り切ればいいんデスヨー」

「そうはいうけど、ジャングリッシュって日本人の話すヘンテコ英語って意味だろ? なんか馬鹿にされているみたいで嫌なんだけど」

「んー、綾人はけっこう卑屈デスネー」

 とマリナにしてはめずらしく苦笑いする。


「日本人はアメリカンイングリッシュを正解だと思いすぎデスヨー。英語圏でなくても、母国語の流れのまま英語を話す人がほとんどなのでー」

「そうなのか」

「イエース。かなり癖は強いですけど、ワタシは日本人の英語、個性的でいいと思いマスヨー」

「……そこまで言われると悪い気はしないか。サンキュー」

「いえいえー、どういたしましてー」


 ニッコリと笑うマリナは本当に天使のようだった。

フレンドリーで大らかな性格だから、みんなを笑顔にしてくれる。

こんな娘がカノジョだったら、落ち込んだときは元気よく励ましてくれそうだ。


「ところで綾人」

「うん?」

「キミのガールフレンドはどこに行ったのかなー?」

「えっ? だ、誰のことだよ」

「むふふ。とぼけちゃって。かわいいデス。でもここでいうガールフレンドは恋人ではなく、女友達という意味で言ったんですけどネー」


 くすくすとマリナは小悪魔的に笑う。

 俺は首筋に手をやる。

 さっそくやられた。

日本語の彼女とカノジョみたく、英語のガールフレンドも同様に二つの意味を持つ。

でも日本でガールフレンドと言う場合、恋人の意味で使われることのほうが圧倒的に多いだろう。

 むろん彼女はわかっていてやったわけだが。


「なんか勘違いしている人、多いけど、俺と七海はそんな関係じゃないって」

「そうなんデスカー? じゃあ、柚希はどう思いますかー?」

「椎名は美人だよな。声もいいし」

「声?」


 あ、しまった。一限のこともあってついよけいなことを口走ってしまった。

 しかしマリナは特に気にすることなく同調して、


「確かにいい声をしてますよねー。ワタシも柚希の声、大好きデース」

「でもマリナだってかわいい声をしていると思うぞ。それに聞いていると元気が出てくる」


 声フェチの俺が言うんだから間違いない。もちろん、そんな引かれるようなこと口が裂けても言えないが。

 マリナは褒められたのが嬉しかったらしく、えへへ、と屈託ない笑みを見せると、


「ありがとうごじゃいマース」

 と胸がときめきそうになる言い方をした。

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