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第3話

 一限の授業は現代文だった。高校でも、生徒に立って教科書を読ませるやり方は当たり前のようで、本日最初に指名されたのは椎名だった。

 はい、と言って立ち上がった椎名は、髪の毛を耳に掻き分ける色っぽい仕草をして教科書を読み始める。

 夏目漱石の『こころ』だ。


「私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない――」


 彼女の声は、透き通っていて綺麗なんだけど、声量はけっこうある。しかも、抑揚があって感情移入させやすいように工夫されている。

 朗読が終わるとクラス中から拍手が起こった。先生も感動して、いっしょになって手を叩いている。

 さすがは椎名だ。完璧である。いや、完璧以上だ。

俺がロリっぽい甘え声フェチでなければ、きっと彼女のことは声だけで好きになっていただろう。


「すごいねえ、柚希。聞き入っちゃった。次に指されたらどうしよう。あたし、このあとに読むのぜったい嫌なんだけど」と七海。

「俺もだよ。頼むから『次は男子で藤村』なんて言わないでくれよ」


 誰だって椎名のあとに読むのは嫌だろう。

そんなクラス中から、自分ではありませんように、と無言の祈りが捧げられていると現代文のおじいちゃん先生はフィッツジェラルドを指名した。


「ア、ワタシ、ニホンゴ、ワカリマセーン」

 と片言でわざとらしく返事をする。


 語尾が『デース』とか『デスヨー』というふうに特徴があるが、普段の彼女は割りと普通に聞き取れる日本を話す。

 つまり今のは逃げだ。というか、場を持たせる『あ』の使い方が完璧なのに、いったいなにがわからないというのか。

この学校に入れている時点で日本語の長文読解だって解けているわけだし。


 でもまあ、椎名のあとではそうなるよな、と俺は同情してしまう。


 クラスメイトが冗談にくすくす笑うと先生も、やれやれ、といった顔をして仕方なさそうに自分で読み上げ始めた。

 和やかに進んでいった授業が終わると俺と七海は椎名の音読を褒め称えた。


「柚希さ、幼稚園とか小学校で絵本の読み聞かせをしたら子供たちから人気でそうだよね」

「大げさなんだから。それほどのものではないわよ」

「それほどのものだって。美人だし、こんなお姉さんがいたら子供でも好きになっちゃいそう」

「も~、それだったらわたしも七海みたいな子がいたらぎゅっとしたくなっちゃうわよ」


 百合を思わせる発言を聞いて俺の心はどきりとする。

 椎名も頬をほんのり赤らめて否定はしなし、満更でもなかったりするのだろうか。

 女性配信者たちがコラボをしてASMRをやってくれることがあるし、有料の同人音声なんかだと複数人が共演したりする。

ハーレムもいいが、百合も大好物だ。男の声なんて聞きたくないからな。


「子供といえばさ、椎名とは違うけど、やたらと熱のこもった音読をする女子って小学校の頃もいたな」

「あーいたいた。将来、声優になりたいって言ってたね」

「迫真の演技で教室が国語の授業のたびにみんなざわついてたよなあ――っと、悪い。わからない話はするもんじゃなかった」


 ううん、と椎名はかぶりを振る。


「でもわたしはそんなに演技をしているつもりはないのよね」

「まあ、そうだな。どちらかというと誰にとっても聞き取りやすいナレーターみたいな感じか。椎名の声って、聞いてて心地いいんだよな」

「そ、そうかしら?」


 日頃から褒めてもらってばかりいても、やはり自分を良く言ってもらえるのは嬉しいらしい。少し照れくさそうではあるが。


「気をつけて、柚希。綾人ってば声優オタクだから」

「えぇ、そうなの? ちょっと意外だわ」

「ばかっ。違うから。俺はキャラクター含めて、その声優さんの声や演技も好きになっているだけなんだよ。女子が『あの俳優さんいいよね』って言うのと同じだ」


 VTuberの耳舐めASMRやエロ同人音声を夜な夜な聞いて楽しんでいるだなんて知られるわけにはいかない。

ヘンタイ趣味がバレたら最後、俺の高校生活は始まったばかりなのにここで終わってしまう。

 必死に反論する俺を七海は半眼でジトーっと見つめて訝しむ。


「なんか隠してない?」


 さすが幼なじみ。勘が鋭い。

 ドキリとさせられたが顔に出さないよう俺は平然を装う。


「今季のアニメで気に入ったキャラがいて、演じているのが知らない声優さんだったからちょっと調べただけだよ」

「ふうん。で、かわいい人だったの?」

「ああ。最近の声優さんはアイドルみたいだって言う声も多いのも納得だ」

「なんかいやらしい」

「なんでだよっ。女子だってイケメン俳優がどうのこうの言ってるだろっ」

「それはそうなんだけどさ、なんか、ねえ?」

 と七海は椎名に話を振る。


「わたし? う~ん、そうねえ……いやらしいかどうかは置いておいて、確かにドラマとか観ててこの人、素敵だなって思うことはあるわよね」

「椎名でもそういうのあるんだ。それこそ意外だな」

「わたしをなんだと思ってるの。異性の好みだってちゃんとあるわ」


 へえ、と相槌を打った俺はその場の流れで「どういう男がタイプなんだ?」と訊きそうになった。

 が、寸前のところで俺は言葉を飲み込んだ。

 なぜなら俺たちの会話をクラスメイトが聞き耳を立てていたからだ。

男子は『もしかしたら俺か?』なんてしなくてもいい期待をしてそわそわしているし、女子のなかにはショックといった顔をして涙目になっている者もいる。

 どいつもこいつも盗み聞きして、チラチラ見てくるんじゃない。

 この話題を続けると後々、俺に恨みが向きそうだから、それとなく違う方向に持っていくことにした。


「あーそうそう。椎名はアニメとか見ないのか?」

「見るわよ」

「って言ってもあれか、俺や七海みたいに深夜アニメじゃなくて、ワールドピースとか名探偵ドイルみたいな国民的アニメだよな」

「い、いえ、わたしも――」

「当たり前でしょ。綾人みたいに紳士アニメが好きなわけないでしょ」

「ばかっ。おまえはまたそうやって人聞きの悪いことを」


 紳士アニメってなにかしら? と椎名が聞いてこないことを祈る俺。


「あっ、そう。ふうん。じゃあ中学時代に隠れて読んでいたラノベ――」

「嘘です。ごめんなさい。ジュースおごるから黙っててください」


 慌てて七海の口を手で塞いでシーッと人差し指を立てて黙らせる。

 そんな俺に七海は手のひらを見せながら小さな声で、


「ミルクティーね」

「よし。それで手を打とう」


 手を叩いて交渉成立だ。ひとまず俺の高校生活は守られた。とはいえ、弱みをいろいろと握られているので今後もカモにされそうだけど。

 困った顔をしながらも椎名はくすりと上品に微笑んだ。


「ふたりって仲良しなのね。もしかして付き合って――」

「「ないからっ」」

 と俺たちは仲良く声を重ねるのだった。

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