俺は高校生にしてマンションで一人暮らしだ。
漫画かよ。自分自身、今でも信じられないが、愛する息子をひとり日本に残して両親は仕事で外国に行った。
これも社会勉強だ、と調子のいいことを言った父と母だったが、完全に新婚気分に戻ってはしゃいでいたので俺は厄介払いされただけではないかと思う。
お金はちゃんと毎月振り込むから安心しろ、と安心できないことを言われたが、いつまでも青春をしているあの夫婦を止めることはできず、好きにすればいいと割り切って送り出した。
それにいつかこうなることを予見していたのか、母さんは俺に家のことを一通りできるように中学生の頃からいろいろとやらせていた。
ただ単に面倒くさかっただけかもしれないけど。
そのおかげもあって炊事洗濯は問題なくこなせている。
ゴミも分別して指定日にちゃんと出しているし、リサイクルできるものはスーパーの回収ボックスに入れている。
お金はちゃんと振り込まれているから一人で暮らすにはまったく問題ない。
ただ、にぎやかな両親が二人も同時にいなくなったから家のなかはやたらと静かだ。
べつに寂しさを紛らわせたくてASMRを聞き始めたわけではないけれども、それでも夜、ひとりで床につく俺に甘く囁いて寝かしつけてくれるVTuberたちの存在は大きかった。
猫柳みかんちゃんのライブをぜんぶ聞かずに寝落ちしてしまったのはファン失格だろうか。
いや、寝ていても最後までライブに参加していたのだからむしろファンとして正しいのかもしれない。
昨日のライブは一時間半ほどだったようだ。長いときは三時間ぐらいやっている。
みかんちゃんのチャンネル登録者は十万人いて、どの動画も安定して数字を取れているのでASMR系VTuberとして生計を立てているのかもな。
――と、いかんいかん。中の人の詮索は無しだ。
普段の彼女がどうかはすごく気になるけど、個人情報でもあるし、探っていいことではない。
たとえカレシがいたとしても――いや、カレシなんていない。
そう、だよな……?
頭を振って気持ちを切り替える。
起きて家事を済ませて朝食も食べ終わると俺は真新しいブレザーの制服を着て家をあとにした。
私立文森学園。通っていて自分でも言うのもどうかと思うが、偏差値は高めの進学校である。
変なやつ――もとい、個性的なやつは多いけれど、公立中学みたいに不良はいないから比較的、穏やかに学校生活を送れている。
まだ四月になって高校生活が始まったばかりだが、徒歩で通える学校だし、今のところ楽しくやれているんじゃないだろうか。
正門をくぐったところで「おーい」と後ろから声をかけられた。
「なんだ、七海か」
「なんだとはなにさ。こうして小学校からの腐れ縁で声をかけてあげたっていうのに」
朝から、むうっと拗ねるのは瀬良七海。俺と同じクラスの女子生徒で小学生のときからずっと一緒だった幼馴染である。
ショートボブのやや茶色がかった髪、ぱっちりした瞳、整った顔立ち、背が少し低いのを気にしている彼女は男子のあいだで密かに人気が高かったりするが本人はモテていることに気づいていない。
ちなみに、胸のサイズがBカップだと知っているのは男子では俺だけだ。前にちょっとした事故で見てしまったことがあるのだった。
そのときは平手打ちを食らい、三日ほど口を聞いてくれなかったが、いまでは笑い話だ。
まあ、そんなことはどうでもいいんだが……。
「べつに頼んでねぇよ」と俺は素っ気なく返しておいた。
「うわっ、相変わらずかわいげがないね~。綾人って昔からそうなんだよね。そんなんだからカノジョできないんだよ」
「よけいなお世話だっ」
このやりとりもいつものことなので「はいはい」と軽くあしらわれてしまう。
同い年なのに、なぜか七海は俺のことを弟のように捉え、自分を面倒見のいい姉だと思っているようである。
それとも両親が、綾人のことをよろしくね~、なんてよけいなことを言ったんじゃないだろうな。ありえなくないのが怖い。
「そういうおまえこそカレシのひとりぐらいできないのかよ」
「あたしはいいの。それより――あっ……」
「どうした?」
「ああ、ううん。柚希ってほんと美人だなあって思って」
七海の――だけではなく生徒たちの視線の先には同じクラスの椎名柚希がいた。
腰まで届く艶やかなロングヘアを揺らしながら颯爽と歩いていく姿には思わず目を奪われそうになる。
すらっとした長身にモデルのようなスタイル。そしてすれ違った男が振り返って二度見するぐらいの美貌。
黙っていればクールビューティーなのだが、性格は明るく、誰とでも分け隔てなく接してくれるので男女問わず人気がある。
自ら進んで学級委員長をやってくれるだけあって、早くもクラスの頼れるリーダーというか、お姉ちゃん的な存在感がある。
教師でさえ彼女に対しては早くも特別扱いしている感が出ていた。
「っていうか、あれ? おまえたち、いつの間に下の名前で呼び合うぐらい仲良くなったんだ?」
「割りと早めだよ。何回かいっしょに学食に食べに行ったこともあるし」
「ふうん。そうだったのか」
どうしても男子は男子、女子は女子で動きがちだからな。俺たち男が知らない椎名さんのことを七海は知っているのかもしれない。
ふたたび他愛もない話をしながら昇降口で靴を履き替えて俺たちは教室へ向かった。
まだ名字の番号順だから藤村と瀬良で席は離れていると思いきや、俺たちはちょうど教室の真ん中後ろでお隣さん同士だった。
本当に腐れ縁というやつはおもしろいものだ。
そしてさらにおもしろいことに、七海の前の席はさきほど話した椎名柚希である。
で、その隣、つまり俺の前にいる金髪美少女がマリナ・フィッツジェラルド。
父親がアメリカ人で母親が日本人のハーフだそうだ。
アメリカ育ちのため日本語は少しカタコトだが、その見た目とフレンドリーな性格も相まって椎名とは違う意味でクラスの人気者になっている。
女運なんてないと思っていた俺だけども、こうして美少女が三人も近くにいるのだから、もしかして春の訪れが近いのかも、なんて淡い期待をしてしまう。
フッと涼しげに口角を上げる俺。
だがすまないな三人とも。俺の心を動かすには一つだけ足りないものがあるのだよ。
そう、声だ。
美少女といってもしょせんはただの高校生。学校でおしゃべりしているその声に、声フェチの俺はときめかない。
担任の女性教師が「席につけー」と野暮ったく言って生徒を座らせる。
こういう低音ダウナー系お姉さんの声もいいって人はいるんだろうけど、そうじゃないんだよ。
俺は小さく嘆息する。
あーあ、どこかにVTuberや同人声優さんみたいな声を出せる女の子いないかなあ。