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第36話 そんな悪い事しないですよね?

 白衣の雄也さんは、いつにも増してカッコいい。

しかし、今、雄也さんは冗談なのか変な事を言っている。

私は雄也さんの恋人ではない。


「雄也さん、あの⋯⋯」

「そろそろ、呼び捨てにして欲しいかな、敬語も禁止だよ。きらり」

とても色気のある低い声で囁かれドキッとしてしまう。


「雄也、私、ちょっと記憶が曖昧だけれど、大丈夫だから」

有無を言わせぬ雄也さんの物言いに、私は言うことを聞いていた。

「本当? じゃあ、テストしよっか」

「テスト?」

私は只管に混乱していた。

私の髪に指を通しながら語りかけてくる雄也さんは本当に恋人みたいだ。


「僕たちが初めて会ったのはどこでしょうか?」

「ここですよね。ここ、新渋谷総合病院ですよね?」

「正解だよ」

雄也さんは私の前髪をかき上げて額に軽くキスをして来る。

私は彼に対してお堅いイメージを持っていたので、手慣れた女の扱いに驚いてしまった。

思わず私は額を抑える。


「わっ! びっくりした」

「ごめん、あまりに可愛くて」

「雄也、いつもと違うね」

包容力がある大人の男性、渋谷雄也。

真面目そうで、少しずつでも自分を好きになって欲しいと言って私の気持ちを待っててくれる彼。


「どう、違うのかな?」

小首を傾げながら私に尋ねてくる雄也さん。

どう違うも何も、全然違う別人。

私は混乱する自分の気持ちをどう彼に伝えて良いか分からなくて迷った。


「いつもの雄也は、もっと距離があるというか」

「距離を縮めたいと、いつも思ってたよ」

鼻と鼻をくっつけられて、今にもキスしそうな距離になる。


「雄也、ここ病院だから、これ以上はダメ」

「これ以上って何をするって思ってたの?」

私は雄也さんが実はSだった事に気がついた。

そして、私は微妙にMっ気がある自覚がある。

今のSっ気がある恋人に責められているシチュエーションが嫌いではない。


「別に、何も⋯⋯」

私が言いかけると唇に軽くキスをされる。

私は口を驚いて目を見開いた。


「雄也、お医者様が病院で患者にこんなことしちゃダメでしょ」

「嫌だった?」

また小首を傾げて可愛く尋ねられる。

渋谷雄也は恐ろしい。

彼は二面性のある男かもしれない。

いつも大人な男が甘えてくるとこうも可愛いのかとキュンとしてしまった。


「嫌、じゃないけど⋯⋯」

「じゃあ、もう一回」

「流石にダメ。誰か来たら」

私は慌てて雄也さんの口を手で塞いだ。


「く、苦しい、息ができない」

雄也さんの言葉に慌てて手を外す。

「大丈夫ですか?」

「人工呼吸してくれる?」

私はどこから突っ込めば良いのか分からなくなってきた。


「息してるよね。ドクター雄也」

「ふふっ、ごめん。もう一度キスがしたくて」

私は雄也さんが低く笑うのを顔を熱くして見つめるしかなかった。


彼は忙しそうでチャラそうでもない。

女遊びをしているようには見えないのに、女をときめかせるツボが分かっている。


「じゃあ、次の問題。僕たちが初めてキスをしたのはどこでしょうか?」

唐突に恥ずかしい問題を出されて私は驚いてしまう。


「うちのマンションのエレベーターの前⋯⋯」

私は雄也さんからネックレスをプレゼントされキスされたのを思い出して。

顔がまた熱くなった。


「あれ? 当たり」

雄也さんは意外そうな顔をして、考え込むような仕草をする。

「覚えてないと思った?」

「そんな事ないよ」

私の疑問に一瞬困った顔をしたように見えたが、雄也さんは今度は私の頬にキスをしてきた。


「雄也、こんな事してないで仕事に戻らなきゃ行けないんじゃないないの?」

「今は大丈夫。恋人が気を失ってるから寄り添っていたいって伝えてあるから」

「恋人⋯⋯」

私はこの恋人遊びのようなものが、なぜ始まったのか理解できていない。


「じゃあ、問題。アイドルグループ『フルーティーズ』の最新曲は?」

急にクイズ番組のような問題を出されて私は戸惑った。

「『フルーティーズは泣かない』だよね。流石に自分のグループの最新曲は分かるよ」

私の言葉に雄也さんが目を丸くして固まっていた。


「きらりさん、すみません。もしかして、記憶ちゃんとありますか?」

雄也さんに急に敬語で尋ねられて私は困惑する。

先程までの恋人ごっこは何だったのだろうか。


「あります。頭をぶつけた時の記憶は曖昧だったんですが、今はクリアーに思い出せます」

私も彼につられて敬語に戻った。

「あー」

急に雄也さんが頭を抱え出して驚いてしまう。


「雄也さん、どうしましたか?」

「すみません。正直に告白します。きらりさんが記憶喪失になったと思って、このまま自分の恋人にしてしまおうとしました」

「⋯⋯はあ?」

私は斜め上の彼の告白に声が裏返ってしまった。


「きらりさん、怒ってますか?」

「怒ってないですけれど⋯⋯雄也さん、お医者様ですよね。記憶喪失の人間にそんな悪い事しないですよね?」

私はようやっと彼のやろうとした事を理解した。

しかし、私の中で真面目な雄也さんが、そんな大胆な嘘で詐欺的に私を手に入れようとしたのが信じられない。


怒りを感じるというより、彼のやった事が半周回って面白過ぎる。


「きらりさん、男は皆、狼ですよ。気をつけて。明日は頭のCT検査をしましょうね」

雄也さんは私の肩をポンポンと叩くと、にっこり微笑んで「おやすみなさい」と良い声で囁き病室を出て行った。






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