翌日、出社して早々私はなんと社長室に呼ばれた。
昨日の約束通り戸次部長のところに朝イチで行ったら、冷たく社長室に行くように言い放たれた。
それ程、今回の騒動は大きかったということだ。
ことの大きさには、私は通勤した段階で気がついていた。
皆が私に軽蔑したような視線を向けてくる。
このような事態を予想していたから、今日、私は退職届を用意して出社していた。
「昨夜、新渋谷病院の渋谷院長から謝罪があったよ。知り合いの子が君が不倫したと誤解して騒いで申し訳なかった。君に責任はないってね。だから決して辞める必要はないって私も思うんだ。会社的にも君にはやめて欲しくないんだ」
社長が思っているのとは、全く違う言葉を吐いているのは表情からも明らかだった。
トラブルを起こした私は必要ないけれど、取引先である新渋谷病院の顔は立てたいのだろう。
この職場で私の代わりなどいくらでも存在する。
(わざわざ渋谷さんは、うちの会社に連絡してくれたのね⋯⋯)
渋谷さんには悪いが、私も社会人を8年もやっている。
今、言葉で何を言われても社長から辞めるように促されていることは分かっている。
社長は私が自分から「辞めたい」と申し出るのを待っている。
だから、私は社長の言って欲しい言葉を言った。
「それでも会社に迷惑を掛けてしまったことには変わりがないですから、辞めさせて頂きます」
私は用意しておいた退職届を出して深くお辞儀をした。
「分かった。君がそう希望するなら仕方ないね。今日にも荷物をまとめて出ていくと良い。今、この会社にいるのもキツイ状況だろうし」
社長室を出て、心の穴がもはやブラックホールのように大きくなっていることに気がついた。
会社から退社を引き止めてもらえなかったのは私のせいでもある。
私は雅紀の医者になるという夢を叶えるためにもお金を貯める必要があった。
だから就職の時もやりたいことより給与の高い会社を受け続けた。
内定をとれた中で1番給与が良かったのがラララ製薬だ。
入社してからも、私はこの会社で給与を稼ぐこと以外の目的を見つけられなかった。
(始業チャイムから終業チャイムまでなんとなく働くだけになってたわ⋯⋯)
そのように過ごして来たからトラブルが起きた時に切り捨てられて、引き止めてもらえないのは当然だ。
戸次部長に挨拶し、他のお世話になった人にも笑顔で挨拶できたと思う。
8年間働いてきて、私はこの職場になんの爪痕も残せなかった。
他に代わりがいくらでもきく存在にしかならなかった。
私が会社を出てこうとした時に、同期の間宮玲香が追いかけてきた。
「きらり! ちょっと待ってよ」
手にノートパソコンを抱えて息を切らした彼女は画面を見せながら必死に話してきた。
「見て、昨日の騒動について社内に一斉にメールを送ろうと思うの。きらりは被害者なんだよね。それなのに、辞めるなんておかしいじゃない」
私のために必死になってくれる玲香の目には涙が浮かんでいる。
でも、こんなメールを出したら玲香にも迷惑がかかってしまう。
「玲香、情けないけど、私そんなにこの会社に未練がないんだ。本当にお金稼ぐためだけに働いていたようなもんだし」
「そんなのみんな一緒だよ。8年も一緒に頑張ってきたのに、こんなのってないよ!」
私が泣いてないのに玲香がポロポロと泣きだした。
その様子を受付の子達がコソコソと見ている。
「玲香、あんたみたいな友達ができたから私はもう十分。私が男だったら絶対にあんたと結婚したいってくらい、あんたが大好き」
私は玲香の耳元でそう囁くと手を振って出口に向かった。
「きらり! 私もだよ。困ったらなんでも言って! 私たちは一生友達だから! 家賃に困ったらうちに来てシェアハウスでもしよ!」
泣きながら笑顔で手を振る玲香に私も手を振り返した。
若い受付の子達は私と玲香のやり取りをバカにするように笑っているけれど、これが女の友情だ。
8年もの間、同期がどんどんやめていく中でセクハラやパワハラにお互い耐えながら支え合い、時に苛立ちに任せて喧嘩しながら築いた絆だ。
(そうだ!収入がなくなるから東京に住み続けるには直ぐに家賃を稼がなきゃ!)
ルナさんに玄関くらいの広さと呼ばれた私のワンルームの部屋も、月15万円と私に取っては高めの家賃だ。
東京の家賃の高さは異常だが、社会人になって8年も一人暮らしをしていると今更実家は頼れない。
正直、退社した理由も含め親には仕事を辞めたことを報告できない。
「新しい仕事、すぐにでも探さなきゃな」
私はふと昨日貰った芸能事務所の名刺を出した。
とりあえず、そこで事務仕事でも貰いながら定職を探すのがベストかもしれない。
雅紀に貢ぎ過ぎたことや東京の家賃の高さもあり、ここで住み続けるにはとりあえずお金が必要だ。
私は昨日貰った名刺を見て、芸能事務所『バシルーラ』に連絡を取った。
事務所は古めの雑居ビルの4階にあった。
(中に入るなり、服脱がされたりしたらどうしよう⋯⋯)
ラララ製薬はピカピカの高層の自社ビルだった。
そこから、古いエレベーターが一機しかない雑居ビルに来たからか少し怖気付いてしまう。
「わーお! 素敵! 来てくれたのね。梨田きらり」
芸能事務所の社長、友永寛太は私を見るなり感嘆の声をあげた。
「実はこの度のっぴきならない理由で会社を辞めまして、ここで何らかの仕事を頂ければと思いまいりました。雑用とか何でも良いのでお仕事を頂けませんでしょうか?」
「仕事!あるよ!『フルーティーズ』に入りなさい。あなたは絶対に伝説のアイドルになるわ」
「いや、ある意味伝説になるかもしれませんが、私はアイドル以外の仕事が欲しいんです」
三十路でアイドルなんて、笑われるに決まっている。
できれば事務仕事的なものが貰えれば良いと思った。
就職活動をするにしても時間がかかる。
しかし、私は雅紀に貢いでたこともあってか全く貯金がないに等しい。
だから雑用でも良いから小銭を稼げる機会が欲しい。
「本格派の女優や歌手になりたいってことかしら? 確かに君からは嗅いだことのないマネーの覇王臭がするのよね。でも、今『フルーティーズ』は人気ナンバーワンが抜けて大変なの。あなたの歌唱力と苗字の力で彼女たちを助けてやって欲しいのよ」
友永社長が真剣に私に訴えた後、秘書に合図を送った。
扉が開くと3人の顔も小さく背も小さい可愛い女の子たちが入ってくる。
「彼女たちがフルーティーズのメンバーよ。あなたにはこのメンバーに入りアイドル活動を行ってもらいたいの」
社長の言葉が幻聴だと思いたいくらい、私はその3人の中に入れる気がしなかった。
(明らかに若い! 中学生くらい?)
168センチの私とは15センチ以上も背丈の差がありそうな、ロリロリした3人娘が私を不思議そうに見ている。
「はーい!『フルーティーズ』!自己紹介は?」
友永社長の言葉に可愛い3人の娘が自己紹介を始めた。
「モモッチこと瀬谷桃香13歳です。あなたのハートもピンク色にしちゃうぞ!」
バキューンポーズをしてくる彼女はサーティーン・イヤーズオールドらしい。
私はサーティー・イヤーズオールドだ。
「イチゴンこと菅田苺14歳です。今日も私のコアは真っ赤か。もう、あんまり恥ずかしいから見ないで!」
なんかよくわからないが、ハートを手で作るのが彼女の決めポーズなのだろう。
見ないでと言いながら見て欲しくて仕方がない目をしている。
「コリンゴこと斎藤りんご14歳です。もう、これ以上剥いちゃダメだよ!」
ウインクしながら言ってくるコリンゴさんに私はどうして良いかわからなかくなった。
「あの、流石にこのグループの中に入るのは厳しいというのが私の見解です。そしてこのグループは売れないと思います」
私は自分がグループに入れないことだけを伝えれば良かった。
それでも、あまりに寒い自己紹介が痛々しくてグループが売れないだろうという余計なことまで言ってしまった。
その途端イキイキと自己紹介をしていた可愛い3人娘たちの顔が曇る。
(こんな若い子達が頑張っているのをバカにして私は何をやっているの?)
「そう思うなら、あなたがこのグループを売れるようにして見せてよ。マネーの覇王臭のするあなたの本気を私に見せて!」
友永社長が挑戦的な目で私を見ながら顎クイをしてくる。
「そうですね。この子たちは磨けば光り、将来的には武道館に立てる子たちです。私の覇王臭とやらの本気を見せます」
若い頑張っている子を傷つけた罪悪感からか、私はできるかわからない約束をした。
(もう、こうなったらできるかできないかじゃないわ。やるしかない!)