「みんなー! 今日は本当にありがとう。私、梨子こと梨田きらりは今日を持って『フルーティーズ』を卒業します!」
「梨子! 梨子! 梨子!」
一面に広がるサイリウムの海と歓声。
本日の武道館のコンサートをもって私はアイドルグループ『フルーティーズ』を卒業する。
30歳の誕生日、私は積み重ねた信用も仕事も全てを奪われた。
奪ったのは私の14年以上も付き合った恋人だった。
もう、誰も信用しない、誰も好きにならない、結婚も絶対しないと誓った。
でも、今、舞台袖には私を溺愛してくれる無敵のスーパーダーリンがいる。
私はウェディングドレス姿でマイクをステージに置くと、彼の胸に飛び込んだ。
これは、裏切られ、蔑まれ、絶望のどん底に落ちた私がスターダムを駆け上がった夢のようで夢じゃない物語。
1年前の私に教えてあげたい。
「自分を諦めてないで」って。
♢♢♢
1年前。
私は、ラララ製薬8年目社員の梨田きらり。
今日は私の30歳の誕生日だ。
私は今日、もしかしたら14年以上付き合った恋人からプロポーズをされるのではないかと期待していた。
「先輩、今日、誕生日ですよね。今日は彼氏さんとご予定ですか?」
「うん。今日は大切な話があるらしくロイヤルランドホテルのフレンチに行く予定なんだ。もう、三十路だから誕生日なんていちいち喜ぶことじゃないんだけどね」
「先輩の彼氏さんってドクターですよね。羨ましいな。今日プロポーズとかされるんじゃないですか?」
「まだ、研修医だって。でも、もう付き合いが長いからそろそろを籍入れて良いかなってお互いに話してるんだけどね」
退勤までちょっと早いけれど、トイレでメイク直しと髪を巻き直しながら後輩からの質問攻めにあっいる。
恋人の雅紀とは高校生からの付き合いで、もう14年以上の付き合いだ。
医者を目指す彼は浪人しまくりながらも医学部に入り、今やっと研修医だ。
私はその間、彼を精神的にも経済的にも支えてきた。
気持ち的には、私は彼の糟糠の妻だ。
「きらり! あんた、不倫してたの? 受付で今、奥さんが梨田きらりを呼べって大暴れしているんだけど!」
息を切らしてトイレに入って来た、同期の間宮玲香の言葉に私は耳を疑った。
「不倫? そんな非生産的なこと私がするわけないじゃない。私はずっと雅紀一筋だし。同姓同名の別人じゃない?」
私には全く身に覚えがない。
私は高校2年から雅紀一筋で不倫どころか、浮気さえしたことがない。
「いや、もう、あんただから。派手顔、愛人顔の梨田きらりを呼べって、今、下は大変なことになっているの!」
「愛人顔って⋯⋯失礼な。私じゃないんだけど、騒ぎになっているならちょっと見に行くか。そろそろ会社出ようかと思ってたし」
私は元々顔が派手だけれど、それを愛人顔と呼んでいるなら失礼にも程がある。
玲香に連れられて、エレベーターに乗って1階のボタンを押した。
まだ終業チャイムがなる前だからか空いている。
「流石に、終業チャイムがなる前に帰ったらまずいだろうから10階に戻ろうかな」
「戻っても、受付に行くように言われるよ。今、外回りから帰ってきたらエントランスで大暴れしている女が、あんたの名前叫んでて驚いたんだから」
玲香の焦燥した姿に、私は彼女に従い1階まで降りることを決めた。
1階に降りると、フロアーには何言っているか分からないくらいに興奮状態の女の叫び声がしていた。
エレベーターを降りると、受付の前にいる黒髪ロングヘアーの可愛らしい若い女の子と目が合った。
膝丈の上質なワンピースに、ピンヒール。
超ハイブランドのカバンを持った彼女は大学生くらいだろうか。
(知らない子だけれど、社会人って感じがしない子だわ)
「梨田きらりー! この売女! 人の夫寝取りやがって!」
私を見るなり、黒髪ロングの女の子が突進してくる。
「え、何? 本当に私、あなたが誰か分からないだけど」
戸惑っていると、さっき綺麗に巻き直した髪を思いっきり引っ張られた。
「私は富田雅紀の妻の富田ルナよ。あんた、いつから雅紀とできてたのよ」
「え、妻ってなんのことですか? 私が雅紀の鐘楼の妻なんですが。雅紀って私の雅紀?ちょっと髪引っ張らないでくれます? 今からデートなんです!」
意味が分からない。
富田雅紀は私の恋人で、私は彼に尽くすことを喜びとしてきた。
今日、私は彼にプロポーズされる予感で胸がいっぱいだったのだが、目の前の興奮した女は彼の妻だと自称している。
「今から雅紀に会うつもりなんでしょ。このクソビッチが!」
「多分、同姓同名の富田雅紀違いだと思うんですが、そんな珍しい名前でもないと思いますし」
私の言葉にルナさんがスマホの画面を見せてくる。
そのホーム画面にはウェディング姿の私の雅紀とルナさんがいた。
しかも、背景はハワイのアロハチャペルだ。
(私が結婚式挙げたいっていってたところ!)
「ちょっと、これ、いつの写真ですか? 本当に結婚?」
ルナさんは艶々の黒髪のお嬢様といった感じでウェディングモデルを頼まれそうな容姿をしている。
しかし、雅紀はイケメンではなく縮毛に糸目でモデルをするような容姿ではない。
従ってこの写真は本物のウェディング写真である可能性が高い。
「今年の6月に私達、運命的な出会いをして結婚しているの。あんたいつから雅紀と出来てたのよ」
「いつからって、高2の文化祭の時からだから、かれこれ14年以上付き合っているんですけど」
私の言葉にルナさんが驚いたように目を丸くする。
今日は私の誕生日である9月9日。
6月といえば、ほんの3か月前。
どう考えても付き合いが長い私の方が本命で、彼女が浮気相手だ。
「彼の子供がお腹にいるのよ。今、大学も出産に備えて休学中なんだから」
もし、彼女の話が本当ならば不安になるの当然だ。
彼女のハイブランドバッグに可愛いキーホルダーが付いているなと思っていたら、よく見るとマタニティーマークだった。
「大学生なの? というか、妊娠初期にハワイなんか行っちゃダメですよ。赤ちゃんのことを第一に考えて安静にしてなきゃ」
「はあ? なんなのオバさん。説教してくんな」
私の胸ぐらを掴んでくるルナの目は血走っている。
エレベーターの到着音がなり、ゾロゾロと人が降りてきた。
聞き逃していたが、終業チャイムがなっていたみたいだ。
そして、私の直属の上司の戸次部長が鬼の形相で私に話しかけてきた。
「梨田くん、君、こんな騒ぎ起こして。不倫してたの? 詳細は明日聞くから、今日はもう帰りなさい。その時に、この騒ぎの責任も取ってもらうから」
「戸次部長、私、不倫なんかしてません」
私は今の状況に理解が追いつかなかった。
私は浮気とか不倫とはドラマの中だけの話だと思うくらい自分は安定した恋愛をしていると思っていた。
「とにかく、明日、朝イチで私のところに来なさい」
部のお気に入り社員を連れている戸次部長を見て、今晩、部長は取引先と会食があったのを思い出した。
「お疲れ様でした」
時間がないので、ここで引き止めてもしょうがないと思い、部長に挨拶して周りを見渡す。
私は自分が経験したことのないような、軽蔑の視線に囲まれているのに気がついた。
(何、この、世界中が敵になったみたいな感じ⋯⋯)
「ルナさん、とにかく、私の雅紀のところに一緒に行こう」
今は、17時20分。
本当は今日は20時にロイヤルランドホテルのフレンチで雅紀と待ち合わせをしている。
(早めに出て雅紀と初デートで言ったオープンカフェに寄ってゆっくりしようと思ったけど、そんな気分じゃない)
私は、ルナさんの手を取って雅紀の勤務先である新渋谷総合病院に向かおうとした。
「汚い手で触んな! この、不倫ババア!」
私の手を引っ叩いたルナに、私の中の何かが切れた。
「あのさ! 妊娠して休学しているお気楽大学生のお嬢様には分からないかもしれないけれど。ここ、会社なの! 周りを見なさい、騒ぐ場所ではないのよ。それから、勝手に私を悪者扱いしているけれど、私の雅紀は結婚なんかしてないから⋯⋯」
私は自分で言っていて不安になってきていた。
雅紀と会うのは大抵、私の部屋が多かった。
その上、なかなか連絡がつかなくても彼に「仕事中だった」と言われれば納得していた。
お互い社会人で忙しくしている身だから当然だと思っていた。
雅紀は不倫しようと思えば出来てしまう。
(え? この場合、まさか不倫相手は私の方?)
私は不安を抱えながらも、ルナさんを連れてタクシーに乗り込んだ。
「新渋谷総合病院までお願いします」